「きちんと」とは人によって違います
先日の講座から。
あるCSAグランドマスターが「きちんと」ほど曖昧な言葉はない、と言いました。
確かに!
「きちんと」とは一瞬しっかりとしたイメージでみんなが理解できそうですが、それが何かを定義するのは難しい。
でもこの「きちんと」には、どうやら二つの意味がありそうです。
まずは「一点の曇りもなく絶対的に完璧な」という意味。
政治家などがよく言うのは、「国民の皆様にきちんと説明していく必要がある」などの都合のいい表現です。
さぞかし立派な説明があるのだろうと期待していても、こちらが事前にイメージしていた説明が出てきたことなど一度もありません。
本来なら非の打ちどころもないほど全てを網羅し無駄のない言葉で事実を述べることを指すはずですが、日本の政治家にはその技術は無いようです。
・自分にとって都合の悪いことは答えない。
・平気で嘘をつき屁理屈を言う。
・「出処進退は国会議員は自ら決める」と言い、誰も責任を取らない。
・PCR検査も徹底できないし、その理由も言えない。
日本の政治家たちははきちんと説明する術は知らないようですが、説明をしない技術は相当磨いていますね。
「きちんと説明する」と言うのであれば、国民に言葉で伝える覚悟を持つべきです。
保身ではなく、国民のために。
誰もが納得する完璧な説明とは程遠い言い訳が並びます。
「きちんと」とは名ばかりで、何かを徹底的にやろうとすると邪魔が入ります。
例えば利権だとか人間関係とか面子とか。
論理的で客観的な説明は後回しです。
もう一つの「きちんと」の意味は「相対的な基準に合わせる」とでも言いましょうか。
学校の先生や親が伝統的に言ってきたこと。
つまり「みっともない」ことをしない、ということです。
そのグランドマスターは公立の中学校の先生何ですが、彼によると「きちんとしなさい」と児童、生徒に言ったところで、そのきちんとの意味が分からない子供たちがたくさんいるのです。
僕も小さい頃は確かに相当言われました。
「きちんと」していなかったからでしょうね。
そして自分で出した結論は、先生たちが言うきちんととは「他の人と同調」でした。
もう一歩踏み込んで説明するなら、「他の人から見て恥ずかしくないように周りに合わせる」です。
つまり他者からの評価です。
ここにも恥の文化が表れているのです。
教師や親から「きちんとしなさい」と言われても、その人がきちんとしているつもりだったら「では、どうやったらきちんとになるのか?」と分からなくなることでしょう。
これだけ多様性の時代だと言われているのに、この「きちんと」がどれだけ画一的な人間を作り出しているかに多くの人が気付いていません。
常識は時代とともに変化する
考えてみたら、昔はシャツがズボンから出ているからと「ズボンにきちんと入れなさい!」と言われていましたが、その頃はシャツはズボンにインするのが一般的でした。
でも今ではシャツはパンツから出すのがフツーです。
きちんとしたつもりが、今度は非常識者扱いされます。
いずれにせよ、他者からの評価や顔色を見てコロコロ変わるのではなく、絶対的な信念を持っていれば間違うことはありません。
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