不幸をデザインできるのが、秘訣なんじゃないかと思っていて
たとえば、入り口がちょっと狭くて窮屈なほうが
入り口を出た後の景色がより美しく見れる
これはストレスから解放されたからだし
ディズニーランドなんかは
入り口が狭いし
やたら歩かされるし
やたら並ばされる
そういうストレスがかかるから
幸せをより感じやすい
トンネルを抜けるとそこは白銀の世界
なんてよくありそうなシュチュエーションも
トンネルがあるから
白銀の世界が美しる見えるだけで
トンネルを噛まなかったら、美しさは半減する
バーベキューでは
うまく火がつかないから
ついた時の喜びがものすごいし
ラーメン屋は
うまいから行列があるんじゃなくて
行列に並ぶから、ラーメンがうまい
不幸をどれだけデザインできるのか
ストレスをどれだけ後押しできるのか
キーポイントだと思う
去年の1月から
講師としての活動もさせていただいていて
その中で、ありがたいことに
主催者や協力していただける人がぽこぽこでてきて
一緒に開催させていただくイベントも増えてきた
つまり
自己主催という、自己完結的な仕事ではなく
誰かと一緒にコラボしたり、他の人が主催となって開催させていただける機会が増えてきて
本当にありがたいです
これまでこうして関わってきてくださった方へ
今一度、この場をお借りして言わせてください
本当にありがとうございます
そして、本当に、ご迷惑をおかけしております
ごめんなさい
ぼくは誰かと仕事をするとなると
プライベートであんなに仲が良くても
もめることが多々有る
というか必ず揉める
もう、通過儀礼みたいになってる
そのもめ方は
前に進めるもめ方もあれば
きまづい感じになって、パフォーマンスが下がるもめ方もある
原因はほぼ、ぼくにあって
僕の不器用さと、強い言い方と、押し付けがましい態度と
なにより、役割分担の線引きが曖昧で
その線を超えて、自分の役割を他人に押し付けたあげく
『お前もやれよ!』
って平気で言うのが原因。
ほんとごめんなさい
あまりの理不尽さに、後から笑っちゃうくらいなレベル
いや、笑っちゃいけない
すんません
で、ここからは僕の考えの話になるんだけれど
イベントっていうのは1つの作品だと思っています
そして、作品というのは『こども』だと思っております
つまり
作品を生み出すというのは『子作り』と同じで
作品を届ける(集客、告知、流通など)ことは『子育て』と同じと考えております
で、多くの方が
『子作り』で終わっているケースが多くて
ヤルだけヤッて、あとは放棄される、もしくはそれと同等の態度を示す方がいて
つまり、『育児放棄』される方がいらっしゃって
そこに対して、ぼくがあーだ、こーだ、いうもんだから揉める
僕は育児放棄したくないし
なんなら、『DV』もしたくない
つまり、自分の作品を否定することをしたくないから、反省会という名の『否定』を匂わせることもあまりしたくない
するなら、次はどういう風にしようか、っていう未来会議をしたい
とにかく前に進みたい
話を子育てに戻すと
子育ての仕方は、十人十色、いろんなやり方があって答えがない
もちろん
うまい・下手というのもない
ただ、やるか、やらないか、の話なだけだから
『自分が考えうる、可能な手段は全てやりたい』というのが根本にある考え方
じゃないと、うまくいかなかった時
『これもやっておけばよかった』
って言い訳が必ず出るから
だから、全ての手を尽くして、それで出た結果を受け止めて、次につなげたい
全ての手をやらずに終わると
『もっと勉強してたら100点とれたわ』
みたいな台詞が出てくる
『うまく』できる、できない
っていうのは問題じゃなくて
『やろうとする前のめりな姿勢』
が一番大事だと思ってる
別にうまい、下手は関係ない
できる、できないも関係ない
だいたい、できない理由は『恥ずかしい』にしかない
恥なんてとうの昔に捨ててる
みんなこどもを作る瞬間は前のめりなのに
子育てには、前のめりにならない
理由は
必死さがでてるから
恥ずかしいから
余裕がなさそうに見られるから
そりゃ必死だよ
子育ては必死だよ
作品を1人でも多くの人に届けたいし、見つけてもらいたいから
必死になって、持ってるカード全て出し尽くすよ
それが親としての使命だから
ここら辺はクラウドファンディグ2回を成功させるにあたって得た感覚
この感覚は大事な気がする
必死になることに恥もダサさも感じなくなった
そういうのも含めて、クラウドファンディグ経験するのいいよ、って話をしてる
まぁ
とはいっても
やらないひとには、やらないなりの理由が有る
それは
選挙と同じで、選挙に行かない人なりの理由が有るし
いじめをする人にはそれなりの理由が有るし
育児放棄する人なりの理由がある
わからなくもない
理解できない理由でもない
ただ
やらない自分を必死に正当化してるようにしかみえない
そこで必死になるんじゃなくて
前に進むために必死になろうよ
やらない自分を正当化したところで
それは前に進んでるの?
って思ってしまう
そういう人たちに
『いけよ』『やれよ』
っていうのは簡単だけど
その薬は効き目が全くない
案の定、投票率は一向に上がらない
『選挙に行けよ』っていう薬には効き目がないことに気づかない
つまり、子育てを放棄しちゃう人に
それはダメだ
っていうんじゃなくて
子育てすることも楽しい
と思える仕組みを、僕の方から提示する必要がある
じゃないと、ただもめて終わる
それはあまり気持ち良くない
作品を人に届けるのって楽しい!
流通って楽しい!
告知って楽しい!
集客って楽しい!
って思える仕組み、なんかないかなぁ
とにかくぼくは、前のめりな人が好きです
ちなみに
ゆるくやる
っていうのと
手抜きは全く違う
ゆるいっていうのは雰囲気の話で
それは言葉を変えたら
「癒し」「リラックス」「居心地いい」「安心」「ほわーん」
って言えるけど
ゆるく開催っていうのは、ほとんどの場合ただの手抜き
まぁ、これくらいでいいか
の集合体にみえちゃう
手は抜かない
お仏壇に対しても、お墓に対しても、神様に対しても手は抜かないように
子育てに関しても手は抜かない
前のめりな姿勢でいきたい
それが真心で、それがおもてなし、だと思う
講師としての活動もさせていただいていて
その中で、ありがたいことに
主催者や協力していただける人がぽこぽこでてきて
一緒に開催させていただくイベントも増えてきた
つまり
自己主催という、自己完結的な仕事ではなく
誰かと一緒にコラボしたり、他の人が主催となって開催させていただける機会が増えてきて
本当にありがたいです
これまでこうして関わってきてくださった方へ
今一度、この場をお借りして言わせてください
本当にありがとうございます
そして、本当に、ご迷惑をおかけしております
ごめんなさい
ぼくは誰かと仕事をするとなると
プライベートであんなに仲が良くても
もめることが多々有る
というか必ず揉める
もう、通過儀礼みたいになってる
そのもめ方は
前に進めるもめ方もあれば
きまづい感じになって、パフォーマンスが下がるもめ方もある
原因はほぼ、ぼくにあって
僕の不器用さと、強い言い方と、押し付けがましい態度と
なにより、役割分担の線引きが曖昧で
その線を超えて、自分の役割を他人に押し付けたあげく
『お前もやれよ!』
って平気で言うのが原因。
ほんとごめんなさい
あまりの理不尽さに、後から笑っちゃうくらいなレベル
いや、笑っちゃいけない
すんません
で、ここからは僕の考えの話になるんだけれど
イベントっていうのは1つの作品だと思っています
そして、作品というのは『こども』だと思っております
つまり
作品を生み出すというのは『子作り』と同じで
作品を届ける(集客、告知、流通など)ことは『子育て』と同じと考えております
で、多くの方が
『子作り』で終わっているケースが多くて
ヤルだけヤッて、あとは放棄される、もしくはそれと同等の態度を示す方がいて
つまり、『育児放棄』される方がいらっしゃって
そこに対して、ぼくがあーだ、こーだ、いうもんだから揉める
僕は育児放棄したくないし
なんなら、『DV』もしたくない
つまり、自分の作品を否定することをしたくないから、反省会という名の『否定』を匂わせることもあまりしたくない
するなら、次はどういう風にしようか、っていう未来会議をしたい
とにかく前に進みたい
話を子育てに戻すと
子育ての仕方は、十人十色、いろんなやり方があって答えがない
もちろん
うまい・下手というのもない
ただ、やるか、やらないか、の話なだけだから
『自分が考えうる、可能な手段は全てやりたい』というのが根本にある考え方
じゃないと、うまくいかなかった時
『これもやっておけばよかった』
って言い訳が必ず出るから
だから、全ての手を尽くして、それで出た結果を受け止めて、次につなげたい
全ての手をやらずに終わると
『もっと勉強してたら100点とれたわ』
みたいな台詞が出てくる
『うまく』できる、できない
っていうのは問題じゃなくて
『やろうとする前のめりな姿勢』
が一番大事だと思ってる
別にうまい、下手は関係ない
できる、できないも関係ない
だいたい、できない理由は『恥ずかしい』にしかない
恥なんてとうの昔に捨ててる
みんなこどもを作る瞬間は前のめりなのに
子育てには、前のめりにならない
理由は
必死さがでてるから
恥ずかしいから
余裕がなさそうに見られるから
そりゃ必死だよ
子育ては必死だよ
作品を1人でも多くの人に届けたいし、見つけてもらいたいから
必死になって、持ってるカード全て出し尽くすよ
それが親としての使命だから
ここら辺はクラウドファンディグ2回を成功させるにあたって得た感覚
この感覚は大事な気がする
必死になることに恥もダサさも感じなくなった
そういうのも含めて、クラウドファンディグ経験するのいいよ、って話をしてる
まぁ
とはいっても
やらないひとには、やらないなりの理由が有る
それは
選挙と同じで、選挙に行かない人なりの理由が有るし
いじめをする人にはそれなりの理由が有るし
育児放棄する人なりの理由がある
わからなくもない
理解できない理由でもない
ただ
やらない自分を必死に正当化してるようにしかみえない
そこで必死になるんじゃなくて
前に進むために必死になろうよ
やらない自分を正当化したところで
それは前に進んでるの?
って思ってしまう
そういう人たちに
『いけよ』『やれよ』
っていうのは簡単だけど
その薬は効き目が全くない
案の定、投票率は一向に上がらない
『選挙に行けよ』っていう薬には効き目がないことに気づかない
つまり、子育てを放棄しちゃう人に
それはダメだ
っていうんじゃなくて
子育てすることも楽しい
と思える仕組みを、僕の方から提示する必要がある
じゃないと、ただもめて終わる
それはあまり気持ち良くない
作品を人に届けるのって楽しい!
流通って楽しい!
告知って楽しい!
集客って楽しい!
って思える仕組み、なんかないかなぁ
とにかくぼくは、前のめりな人が好きです
ちなみに
ゆるくやる
っていうのと
手抜きは全く違う
ゆるいっていうのは雰囲気の話で
それは言葉を変えたら
「癒し」「リラックス」「居心地いい」「安心」「ほわーん」
って言えるけど
ゆるく開催っていうのは、ほとんどの場合ただの手抜き
まぁ、これくらいでいいか
の集合体にみえちゃう
手は抜かない
お仏壇に対しても、お墓に対しても、神様に対しても手は抜かないように
子育てに関しても手は抜かない
前のめりな姿勢でいきたい
それが真心で、それがおもてなし、だと思う
たとえば部活の遠征費も
部費から出しちゃうのもいいけれど
クラウドファンディングで集めるのも1つの手段
そうすれば、資金と一緒にファンも増える
ファンが増えれば
勝つためだけのプレー
から
勝つのは当たり前だけど、ファンを喜ばせるプレーもしないと
という意識が加わったかっこいいチームになる
別にクラウドファンディングが最善の選択肢ではないけれど
クラウドファンディングやってみたら?
という選択肢の提示をできるのは、大切だと思う
小学校から高校まで18年間の中で1コマだけでもいいから、クラウドファンディングの授業があってもいい気がする
資金集めに限ったことじゃない
いろんなシーンで
新しい選択肢を提示できる人は素敵だと思う
選択肢の多さは、きっと豊かさにつながる
たとえば
最寄りの駅に1つしか路線(選択肢)が通ってないのと
4つの路線(選択肢)が通っている駅なら
多い路線を持つ駅のほうが、単純に便利だ
1つの路線(選択肢)しか通ってないなら
そこが、事故か何かで止まった瞬間、アウトになる
複数の路線(選択肢)があれば、いろんな手段で目的地までに行ける
ぼくは、上京したての頃
仕事で銀座までいきたかったんだけれど
1つの行き方知らなくて、その路線が止まっちゃっていた時に
ここから、こういってこういったらいけるよ
って言われた時にものすごく感動した
と同時に
複数の選択肢を持ってるその友人が豊かな人に見えた
すると、他の選択肢を提示してるだけなのに
既存のやり方を否定するなよ
っていわれちゃう
別に否定してないんだけどな。。。
言い方が下手なのかな。。。
山手線でいくのもいいけど
中央線でも行けるよ、どう?
って言ってるだけなんだけどなぁ
部費から出しちゃうのもいいけれど
クラウドファンディングで集めるのも1つの手段
そうすれば、資金と一緒にファンも増える
ファンが増えれば
勝つためだけのプレー
から
勝つのは当たり前だけど、ファンを喜ばせるプレーもしないと
という意識が加わったかっこいいチームになる
別にクラウドファンディングが最善の選択肢ではないけれど
クラウドファンディングやってみたら?
という選択肢の提示をできるのは、大切だと思う
小学校から高校まで18年間の中で1コマだけでもいいから、クラウドファンディングの授業があってもいい気がする
資金集めに限ったことじゃない
いろんなシーンで
新しい選択肢を提示できる人は素敵だと思う
選択肢の多さは、きっと豊かさにつながる
たとえば
最寄りの駅に1つしか路線(選択肢)が通ってないのと
4つの路線(選択肢)が通っている駅なら
多い路線を持つ駅のほうが、単純に便利だ
1つの路線(選択肢)しか通ってないなら
そこが、事故か何かで止まった瞬間、アウトになる
複数の路線(選択肢)があれば、いろんな手段で目的地までに行ける
ぼくは、上京したての頃
仕事で銀座までいきたかったんだけれど
1つの行き方知らなくて、その路線が止まっちゃっていた時に
ここから、こういってこういったらいけるよ
って言われた時にものすごく感動した
と同時に
複数の選択肢を持ってるその友人が豊かな人に見えた
すると、他の選択肢を提示してるだけなのに
既存のやり方を否定するなよ
っていわれちゃう
別に否定してないんだけどな。。。
言い方が下手なのかな。。。
山手線でいくのもいいけど
中央線でも行けるよ、どう?
って言ってるだけなんだけどなぁ