どーも、どーも、橋倉ですっ✨(出たよこのテンション)

 

さて、ちょっと重め赤ちゃんぴえんなこのタイトルですが

毒親に関して解説していこっかなって思います

 

ただし!私の人生観が盛りだくさんなことこの上ないので

「毒親って言い方キライ!」「親を何だと思ってるんだ、大事にしろっ!」という感情が出てきてしまった方‼

そっ閉じ かブラウザバックを推奨いたしますにっこり

なんせ、親と子の目線の乖離を説明しますので、耳の痛いことも言いますし。真顔

「毒親」とは?

親がどんな性格・人格であれ、子を産んだら仲良く過ごしたいとお互い願うもの

しかしそれが、お互いの人生観の乖離によって修復不能なまでにヒビが入ってしまった状態。

その状態を子供側の目線から見た言葉だったりしますにっこり

親目線からだと「親不孝」ってやつね。昔の言い方になってるかも

 

何を隠そう

昔は子供の人権って無いに等しかったのです。

1989年に「子供の権利条約」って言うのが国連で締結されて、やっとこさ日本にも1994年になってから

「成人前の子供にも人権があり、人格が尊重されるべき」という考え方が入ってきたのです。

でもまだまだ日本人全てに浸透するような状態ではありませんでした。

こういう「今までと違う考え方が取り入れられて、どう考えるのも自由だよ」っていう変化が起こると、いつの時代にも立場の違う人同士で軋轢が生じます。

当然この時も「そんなわけないだろう。子供は親によって養育される代わりに親の役に立つのが当たり前だ」という親の親から受け継いだ考えを曲げない人もいたでしょう。

それが毒親の正体ってわけです。

私の言い方は「どっちにもとれる」って感じですが、何を隠そう人は変わるものですので中立そのままの情報を発信していったほうが、考えられる人には響くかなと思います。なので、このまま行きます。

私は1980年代の終わり生まれです。

まだまだ、「子は親に従うのが当たり前」という大正~昭和中期までに生まれた人の固定観念が強い家に生まれました。

我が強かった私は自分個人の考えを大事にする癖があったので、当然のように家でも学校でも叩かれっぱなしでした。

「誰も親切にしてくれやしねぇ」「なんだこの自分で考えもせずただ大人に従ってるだけのクソみたいな世界は」

と感じていました。(口が汚い)真顔

ただ、数の暴力には勝てないのでいじめの様相を呈してきたから大人しくしていたよにっこり

↑ご想像の通り、お世辞にも要領が良い子とは言えませんでした。絶望

そんな私を見ていて「こいつはもしかしたら世の中に出ていけないのでは」という一抹の不安と愛情をかけてくれたわが父親でしたが、当時の私は「すべてを禁止して管理しているくせに、愛情をかけてやっているなんて馬鹿げてる!」という感覚でした。

そのくらい、私の両親と私が生きている時代は違い過ぎていたのです。

学校で習ったり見聞きした情報はすべて

「そんなの嘘だよ。信じちゃいけない」と優しい声で”すべてがお前のためにならない””俺たち親の言うことに従っていればいいんだ”という教育(洗脳?)をされました。

本当にただの邪魔だった。

結局私が高校卒業とともに家を出ていく気力体力を「学習性無気力」というもので奪い去った後

「さあお前はもう自由だ。18になったんだから家を出なさい。お父さんとお母さんの教えたことを守れば絶対大丈夫だから」とのたまってました。真顔笑い泣きチーン

まじか…お前らゲロー

と思ったのも束の間

おかしい家庭環境に脅しと恐怖で操られて適応してしまっていた私は、行く先々の職場で適応障害・自律神経失調症を起こします。いつも職場で言われるのは「お前そんな時代錯誤のやつなんか聞いたことねぇよ。ズレてんな」でした。

そう、両親の正しさを自分も知らぬ間に押し付けられていた私は、十分な学生時代があったにもかかわらずその間に社会勉強を全て自分で放棄しているという、所謂「親が原因とは思われない方法で自分を操って社会不適合者になっていた」のでした。

今思い出してもシャレにならないんだけど、よく生きてたな自分。よう頑張ったわ。おかげで今コレ書けてる爆笑

ところがこの結果に満足しなかったのはまたもや我が両親。

「俺/私が間違ってたって言うのか!お前の解釈がおかしいんだ。いつだってお前はそうだ!」

という批判っぷり

「あ、そうだ忘れてた。コイツら私の味方じゃなかったわ」ゲロー

生存のために親も自分も自らに嘘をつき続けた「共依存」状態になっていたのでした絶望

 

続く(・・・・かな?)

コメントや反応次第ってことにしときます!今回はここまで