プロジェクトチーム
プロジェクトチームにまず求められる協調性。
創造のプロセスの中で、協調性はやがて一体感に。
何を作ったかより、何を分かち合えたかの手応えこそ、映画作りの醍醐味と語ってくれた。
プロジェクトチームの創造的進化、その数々のエピソードの方が、映画そのものより面白かった。
しかるに○idierのスタッフブログは毎度毎度、ランキングの話ばかり。
俗物平杜カノン・×樹のスタッフらしい。
数字を誇るばかり。
自動再生のブログパーツ、ミリオンがどうのと、虚しくならないか。
進歩なきお粗末な発想が、×樹そのもの。
読者が知りたいのはランキングの数字などではなく、創造のエピソードだと、そのくらい普通の人間なら誰しも想像するだろう。
プロジェクトチームによる、個性のぶつかり合いと融合のドラマなど、
きっと皆無なのだろう。
実態の感じられない会社。
創造のエネルギーが伝わってこないのだ。
インターネットアルバムが、何百年先行く音楽発信形態?
本気でそう思うのか?
提案
君が大好きな澤口氏がまた何か書いているようではないか。
心身一如。
君のその体格と君の攻撃性は、
どうやら関係があるようだ。
もう読んだろうね。
まだなら、
「澤口 甘いもの 攻撃性」でググってみることをお勧めする。
「何も攻撃してない。放っておいてほしい?」というかな?
ネットにしがみついている限り、
君の攻撃性は変わっていないと誰でも思うだろう。
「私を誰だと思っているのですか」
つい先日書いた君の文に、
君の傲慢さ、攻撃性、異常さは、
隠しようもなく現れている。
自省したらどうだ。
疑惑
そもそも本当に、アコースティックなグランドピアノの音なのだろうか?
きらびやかな高音、豊かな中音、重厚な低音の響きがない。
何より、倍音を感じられない。
遠××樹・平杜カノン・ネレウスのピアノの音だ。
それにもまして、過剰なエフェクト。メロディーが立ち上がってこない。
更に、曲によって違いすぎる音色。
とてもグランドピアノの音とは思えない。
よしんばアコースティックピアノだとしても、
あまりに低レベルなレコーディングエンジニアではないか。
平杜カノン・×樹はCDの形態を取らないアルバムを作っているという。
携帯に入れて聴いてもらいたいという。
海外の友達からは「常識」のお墨付きをもらっていると。
音楽をどう思っているのかと愕然とする。
CDからmp3への圧縮率が約10分の1。
圧縮率と言えば聞こえがいいが、劣化だ。
リスナーへの感謝と愛を込めて作った曲なら、CDでお届けしたいと思わないのだろうか。
手元にある様々なCD。
インディーズのものもある。
器楽曲も。
どのCDにも思いがこもっている。
アーティストの意気込みだったり、さりげないメッセージがある。
こだわりやユーモアほの見えて、感心したり心温まったりする。
ショップでCDを手に取るには?
ファーストインスピレーションを決めるデザイン。
写真は重要な要素だ。
カノン・×樹が大好きな写真とのコラボ、まさにそれがCDでは実現できる。
更に、ライナーノートだ。
あんなに音楽夜話を書いていたではないか。
今でも大好き音楽蘊蓄。
やめられない○ハリク○ハリタ。
他人の「黄色い肌のカワイ子ちゃんという評価」がどのうこうのと、贅言を弄するくらいなら、
自分のCDに、オリジナル曲のライナーノートを思う存分書けばいいではないか。
それをなぜ、CD化しない?
できないのではないか?
何とかジャパン。
CDの流通会社ともつながっていないような、
目も当てられない、
超が付くマイナーレーベルではないのか。
○idierの正体が、平杜カノン・×樹だから書いている。
いまだに、残酷レクイエム311を捏造し、ネット汚染を繰り返しているから。
東北の皆さんが、力を振り絞って立ち上がり、復興を目指し、涙をぬぐって歩んでいる時、
絶望の「魂の叫び3」を書くような、
無神経、非常識、冷血なカノン・×樹だから、
同胞の苦しみ、悲しみ、寂しさをあざけり、弄び、それを楽しんでいる平杜カノン・遠××樹だから、
指摘せずにはいられないのだ。
「ピアニストを名乗るなら、その曲、疑惑の音だよ。音まで嘘か?CDを流通させられない?宅録じゃないか?」と。
TRUE LOVEと書き立てる真実
なぜそれが分からないのだろう。
理想的な夫婦だったならば、わざわざ理想の夫婦と語らずともよい。
ただ、二人存在する。
それだけで周囲がわかり、学び、感謝する。
あまりにも自明。どうしてそこに気がつかない。
カノン・×樹は、「Toyと私は真実の愛」と言いたいらしいが、その饒舌、逆効果だと、いまだに気がつかない。
そもそも、ネレウス・カノン・×樹が言ったのだ。
「親友の言葉さえまず疑う。」と。
ましてや、数々の嘘がバレている平杜カノン・山××樹の言葉を、誰が、どうして額面どおりに受け取れるか。
愛の二人なら、所有も束縛もしないなんて当たり前。
語るから陳腐になる。
平たく言えば「嘘っぽい」のだ。
だいたいが、毎晩4時や時には徹夜でネットに張り付いて、
どうしてまともに主婦業をやれるだろうか?
起床したなら、まず、神前、仏前を浄め、
夫の朝ごはん、お弁当、その合間に掃除に洗濯。
季節の変わり目には夫の衣替えをし、
天気が良ければ布団を干す。
あまりに当たり前な生活を、
カノン・×樹は営んでいないと誰にも分かってしまう。
あまりにいろんなブログに、
毎日たくさん、いろんな時間帯に記事を書きまくっているからだ。
これでレコーディング?
生徒の指導?
とてもできたものではないだろう。
主婦業にしろ、
音楽にしろ、
まるでネットの片手間。
これを「仕事」というなら、仕事をなめている。
嘘をつくことで己を奮い立たせるカノン・×樹。
あまりにも熱心にブログを書くから、かえって皆がおかしく思う。
カノン・×樹は、また墓穴を掘る。
ただ掘るだけなら、静かに1人で掘っていればいい。
墓穴にはまったまま、誰にでも石を投げるから厄介者なのだ。
ある読者さんからの投稿
例えば、ニートには飲めないという高級ワイン、
ご主人とのお洒落な外食の一品、
ご自慢のヘルシー料理、
心込めたご主人へのお弁当…
最近引っ越されたという素晴らしい田舎風景…等々。
一枚の写真も無いのは、どうして??
写真が嫌いな訳ではないらしく、記事の中にふんだんに取り入れられている。
プライベートな写真は避けたい?って
考えてみたけれど、
いいえ、
美しいワインのボトル、
高級レストランのワンプレートを記事に載せたところで、
プライバシーは決して侵されはしない。
第一、プライベートを秘めたいなら、
こうもゴテゴテと、ご主人との時間を書かないと思う。
読者を前提としての開かれた日記、それがブログ。
毎度、明晰でない文章が並ぶより、
一枚の写真がアップされた方が、よほど読者は楽しく読めるのに。
無関係な写真ばかりが、意味不明に続くより、
よほど日記らしく、温かな記事が整うだろうに。
それほど、愛に満ちた素敵な暮らしをしていて、
思わずその瞬間を記録に残したくならないのだろうか…?
彼女の記事を読むほどに、
空虚さばかりを感じてしまう。
全てが絵空事、
実は、彼女が一人作り上げてる架空の世界では?と、
読むほどに私の心に、寒い風ばかりが吹き込んでくる。」
ありがとう
「ございます」までつけたら最高だ。
けれども、
「ありがとう」を「付焼刃」の言葉という愚か者がいる。
遠××樹・平杜カノン、ネレウスやハノンや舞花、M.Cafee、Merah。(同一人物)
カノン・×樹はありがとうが言えない。
読者に「忠誠が誓えないのか」と脅迫するような、他責的なこの人物、
何を根拠にか分からないが、君臨者だと勘違いしている。
その時点で病的な愚か者だが。
存在自体が論理矛盾だ。
ステージに立てない演奏者。
(人に己を晒せない、膨張止まらない体格による。)
鎮魂の心なきレクイエム詩人。
天に背くチャネラー 。
歌えない歌唱指導者。
シャンソン歌手さんのブログに、
「今度×樹さんのピアノを弾く指先を見てください。オーラが出ていますから。」と、
粘着自演のコメントを入れ、失笑を買っていたこともある。
若い歌い手さんにコメントを入れ、
「×樹さん、貴重なご意見ありがとうございました。」とコメ返されていた。
カノンのコメントは伏されたまま。
「もう書き込みしないで」と、普通なら読み取って赤面するだろう。
「ありがとう」を言われもしない。
言うこともできない。
何て寂しいやつなんだ。
10年前、さんざん、「ユニットを率いている」と言いながら、
今年の秋、そのギタリスト、越田さんのページに、
「覚えてますか」とコメント入れている。
率いていたリーダーが言う言葉か。
彼は現在大活躍だが、
×樹は泣かず飛ばず。ステージにも立てない。
この差は?
他の仕事もそうだが、音楽は特に人間関係が大切だろう。
「ありがとう」は「付焼刃」という傲慢な生きざまの結果ではないか。
かつて、他に誰もお客さまがいないシャンソニでピア伴していた×樹に、
一曲終わる度に精一杯の拍手をした人もいた。
「ありがとう」の心があれば覚えているだろう。
その人に、あの借りた金は返したのか?
詐欺じゃないだろうな。
白を黒と
白を黒と言い、
黒は白と言う鴉。
祈りを呪いと、
アセンションを死という女。
平杜カノン・×樹は兎を夫というくらいだから、
言うこと為すこと嘘ばかりである。
虚偽に虚偽を重ね、エゴから邪悪へ堕ちたカノン・×樹。
自省を拒否する怠惰な自己愛が嘘を生む。
自制心は怠惰の妨げとなるから、
自省を拒否し、微塵の自制心もなく、
だらしなく食べて肉体を崩壊させている。
今日は焼き芋か、おでんか?
はたまた大好きな肉か?
私がカノン・×樹の体格を問題にするのは、
魂を売り渡し、怠惰に自己愛に生きた証としての、
つまり、邪悪の象徴としての醜悪な姿を嫌悪するからだ。
自分で自分を「象」と言ったのは、
他ならぬカノン・×樹本人である。
冠する言葉
平杜カノン・遠××樹・○idier○erahがつぶやく、アフォリズムまがいの戯言が見苦しい。
「苦悩」、「正義とは」、「目的意識」、「Honesty」、「誠実」等々。
すべてに「自我の」あるいは「自我に」という言葉を冠すれば、カノン・×樹に当てはまるだろう。
すなわち、自我の苦悩、自我の正義、自我の目的意識、自我にHonesty、自我に誠実。
「自分が、自分が…」
カノン・×樹の文の著しい特徴、それは徹底したエゴの表出。
自己解釈、自己主張、自己判断、そして自画自賛。
「本物の勝者とは、目先の勝敗を目的としていない。勝者の目的意識は、遙か遠く、前人未踏の荒野の中にある。」
何を格好つけているのか。
普通は誰でも、人生を勝負とは見ていない。
見ているのは創価学会とか、そういった手合いだ。
本物の勝者を文にするなら、まず自分が勝者であるべきだろう。
かつて、「演技指導を本当に行うのであれば、その前に演技者としての成功が必須ですが、その経歴も見えて来ません。」と書いたのは、カノン・×樹自身だ。
まず、己の過剰な食欲に打ち克ってからものを言ったらどうだ。
インスピレーション
平杜カノン・遠××樹に告ぐ。
地球のストレスを心配するより、自制心の欠如から地球のようになった己の体格を心配したらどうだ。
それより何より、冗談も寝言も休み休みにしたらどうだ。
ブログパーツの○idier何とか、「みじかいブログ」のM.Cafee、つまり、平杜カノン・山××樹。
チャネリングができないのがばれてアメブロを逃げ出し、
鎮魂なきレクイエム311で声なき声の捏造詩を、一旦は止め、
性懲りもなくまた書いている、あのインチキ詩人遠××樹よ。
人の「命」だぞ。
「命」を、己の下らぬ詩の道具にする、カノン・×樹の無神経と傲慢が許せない。
どこからか、何かの妄想をインスパイヤされたと言い張りたいのか。
「現世の自分より千年後のこの星のために、私はインスピレーションを加速させて行く」だと?
戯言はおしまいだ。
もし、本当にインスピレーションを得たのなら、それはまず、
「家賃を払ってくれた人をネットで個人攻撃した罪、
サプリの品物を掠め取ってお金を払わなかった咎、
嫉妬に狂って事実無根の誹謗中傷を繰り返して人を貶めた悪行、
311被災者の遺族を軽んじ、亡くなった方の魂を弄んだ捏造詩を書き続ける無惨等々…を詫びろ」とのインスピレーションであるはずであり、
「今すぐに、
47年の人生を嘘一色で塗り固めた厚顔無恥を知れ」と、
「黙って反省懺悔せよ」とのインスピレーションではないか。
決定的な欠落
その名を、平杜カノン・遠××樹という。
または○idier何とか、M.Cafee、ネレウスとかニソルその他いろいろ…
このカノン・×樹、数多のブログを運営し、
良くて無駄な言葉、悪ければ邪悪の極致の誹謗中傷を撒き散らし続けてきた。
基本的に虚偽でできている人間だ。
そんなカノン・×樹は、チャネラーやスピリチュアリストや音楽の先駆者を僭称しつつ、もっともらしい言葉をブログに並べ立てて来た。
けれども、
本人はいまだに気づいていないが、
あんなに昔から、あれだけの言葉をネットで流しながら、
大切な言葉が、カノン・×樹のブログには、決定的に欠落している。
それは、「感謝」。
例外はある。
コメント欄に、「ありがとう」という文字は確かにかつてあった。
けれどもそれは、カノン・×樹から、自演キャラに向けられた言葉。
「今の主人には感謝している」とも言う。
けれどもまた、その主人とやらが、自演なのだ。
人と人とを結ぶ感謝。
何よりも、生かされている、それだけで感謝ではないか。
カノンのブログに感謝という言葉がないのは、
何も言葉だけのレベルの問題ではない。
カノンの語彙に感謝という二文字がない、
それは、
カノンの心には感謝がないということだ。
他者との暖かい絆が皆無であり、
更には、生かされている有り難さに頭を垂れることが絶無だということだ。
