お待ちかねの祝杯グラスが届きました
今晩の独り言
写真とは特に関係がないのですが、
寒暖差で体調を崩して鼻をかみながら特に何もすることもないので……。
あらかじめ言っておくと、今からする話は特に宗教的な内容ではありません。眠れないミトコンドリアの吐き散らしなのでお気楽に聞き流してください。
昔から、わたしの家には家庭用の小さなの観音様像がおいてあります。
いつからあったのかは覚えていません。父も母ももちろん私も、特段なにかの宗派に属してるわけでもなく、また何か固定された習慣のようなものがあるわけでもないのですが。
かといって何もしていないわけでもなく。
することといえば毎日小さな器のお水を変えること、お線香を炊いて手を合わせること。それだけです。
そのとき何を祈るとか願うとかそういうのもなく、私なんかは『今日も見守ってくださってありがとうございます』とか『いい夢が見れますように』とか『明日も健やかに過ごせますように』とかそんな類の、例えるなら七夕に短冊に書くよりも拙く短くささやかなものです。
多分、ほかの家族もそんなものじゃないかと。
誰かがやれと言って行うものではなくて、誰かがその時に気がついたら勝手にやる、くらいの習慣とも言えないのか?みたいな行動です。
それと同じく、たぶん親がやるのを真似しての行為から身についたものとは思いますが、私も姉妹も、道端にいらっしゃるお地蔵さまにはいつからか必ず手を合わせるようになりました。
お友達といるとたまに物珍しそうな反応をされることもあります。
なんでしょうね。特に強い理由があって続けている行動ではないのですけど、それでもなんだかやめる気にはならないので、多分これからも続けていくのでしょうね。
心が洗われるとか、神仏に心から日々感謝を……とか、それほどまで強い思念は持っているわけでもなくて。
というと不敬だと思われてしまいそう。
全くないわけではないです。
でも、御仏に対する感謝の意とか、今日一日を無事に過ごせて良かったとか、大切な人たちが楽しみ夢を見れますようにとか、お地蔵さまに5秒弱のご挨拶とか、そういうのを日常のなかにそっと偲ばせるだけでも生活がちょっぴり落ち着いたり心が穏やかになることってあると思うんですよね。
神社でお詣りするのと同じように。
その時その時間その場所で、なんとなくでも手を合わせてお辞儀をするだけで、不思議とその瞬間心が凪いでいく。
そういうのを、忘れないでいられる自分がたまに好きだなとか思います。
まとまらない!
それでは、いい夢を。