ブルース・リー没後10年のときのうっすらとした思い出のことを先日書いた(リターン・オブ・ザ・ドラゴンとは
)ので、今回はブルース・リー没後20年のときのことを書きます。



没後20年の年は、1993年。



日本ではブルースのあとに、ジャッキー・チェンがプロジェクトA(1984)で爆発的人気に。



香港からは、霊幻道士(1985)でキョンシーが流入し、チャイニーズ・ゴースト・ストーリー(1987)のヒットでジョイ・ウォンをはじめ中国・台湾女優にそれなりのファンがついた。



男たちの挽歌(1987)で香港ノワールという合言葉も定着。



欲望の翼(1992)ではウォン・カーウァイ監督という不可思議な映画を撮る人がひそかに話題に。



同じ頃、香港ニュー・ウェーブ監督の作品もぞくぞくとビデオ化。



もはや香港映画=武術ではなくなっていた90年代初め。


そして、かくいう私・龍虎も香港から流れ着いた映画のエッセンスを残らず浴びて、大人になりつつありました。



以上、( )内は日本での公開年。



今更、ブルース・リーでもなかろう。


そんな気持ち、だったんだけど!




20年目の節目の年、ブルース・リーを再認識することになる書物との出会いがあったのです。



それが、リンダ・リー著『ブルース・リー・ストーリー』(1993、キネマ旬報社)。



言わずと知れたブルース・リー夫人リンダ・リー・キャドウェルさんによるブルース伝記本の決定版です。








もちろん、ブルース・リー・ファンクラブ(日本支部)にまで入っていた私。



ブルースに関して書かれている書物は子どもの頃から飽きるほど読みあさってきた。



例えば日野康一さんの本はほとんど読んでいるのではなかろうか。


いま思うと、日野康一さんは英文経由だけでない、中国語文献からも情報を仕入れて、かなり信頼すべき俳優史を書いていた。


ジャッキーに関する知識もこの人経由で仕入れたものだ。









   日野康一さんの著書(画像はamazonさんより拝借)



筒井道隆のお父さんであるキックボクサー風間健さんによる怪しい(生前のブルースと交流があったという話はこの本で本人が書いた以外にみたことがない)ジークンドー解説本も買って読んだ。






   (画像はamazonさんより拝借)



日本語、英文の活字情報は、手に入る限り読んでいた思う。



しかし、そうした第三者による伝記書の類と、本書ブルース・リー・ストーリーは決定的に異なる。



それはブルース本人に最も近しい妻による直々の書だったという点である。


聞きかじりや取材情報ではない、すべて自分が接してきたブルースその人のありままの姿が書かれていた本であった。



かつて子どもの頃、あまたの伝記本に描かれるブルース像にいまいち納得していなかった私は、日本で翻訳される前から本書の原著の存在は知っていたものの購入の機会はなかったが、翻訳書が出るなり発売日に飛びついた。



そして、その日のうちに読み始め、夢中で次の日の朝まで読んだと思う。



心に残っているのは、walk on という言葉を若かりし日のブルースが座右の銘にしていた逸話。







  (画像はブルース・リー財団サイトより)



リンダはグリーン・ホーネット以後に次の仕事を得るのに苦労していた若かりし日のブルースが、この言葉を自分の名刺の裏に書き記してデスクの上に置いているのを見ていた。



「歩き続けよ」あるいはもっと簡単に「頑張れ」といった感じのたわいのない言葉だが、香港映画で大成功したブルースの超然とした感じではなく、白人社会のハリウッドでは日の目を見ずに、くすぶっていたときに、それに負けまいとしていた時期のブルースのありようが、いつも一緒だった妻の思い出話として出てくるから意味がある。



この言葉自体は、ブルースが残した言葉として死語まもなくからよく知られていたのだけれど、人間らしさをともなった逸話とともに出てきたのは初めてだったし、青春まっさかりで何かと挫折しがちな頃の私にとって、なにかこうしみじみと心に響くものがあったわけです。



ブルースがありあまる活力を持っていたことも、同書はうまく伝えています。


誰もが期待した死の真相については触れなかったけれど、それでよかった。


リンダがこの本を執筆した時期は既にブルースの死語15年以上経っていた時期だし、再婚もするかしないかって時期で、自分なりにブルースのことが過去の思い出として昇華された頃だったように思う。


これだけの年月が経ったから冷静にかつての夫、偉大な夫について客観的に書けたと思うわけ。



この本がもとになってリンダも関わる形で1993年の没後20年メモリアルイヤーには映画も完成。



それが、『ドラゴン ブルース・リー物語』



この映画の脚本にはいろいろ言いたいことはあるが、それは言うまい。


まぁ、主演のジェイソン・スコット・リーは熱演だったもの。







それに、この映画があることもあって、テレビではブルース特集も組まれたし、ハリウッド映画がこれを作ったということで、ウォーク・オブ・フェイムにブルースの名が刻まれ、さらに名声も高まったと思う。



かえすがえすも残念なのは、息子のブランドンがこの映画の公開前に映画撮影中の事故で亡くなったこと。



リンダさんにとっては、よいことも悪いことも一気に訪れた時期が、この頃だったわけですね。



というわけで、私の1993年は、ふたたびブルースにどっぷりとはまり、バイトで稼いだお金でVHSでブルース映画を買い揃えた。



人生に真剣に取り組みはじめた時期と重なっていたので、この本は私にとって座右の書になっているんだよね。



没後20年なのに、これだけの影響を世界に及ぼす男ってスゲェ!



さて、次は30周年だねぇ。いつか書きます。