ブルース・リー没後40周年だった2013年の喧騒も一段落。
昨年は、ブルース関連映画ということでイップ・マン伝記映画も、ウォン・カーウァイ『グランドマスター』から、え?あなたもイップ・マン師父を演じるの?と周囲を驚かせたアンソニー・ウォンの『イップ・マン最終章』までもが日本で公開され、DVD化も完了。
年末には「ブルース・リー トレジャー・ブック」なるマニア垂涎のお宝グッズの福袋みたいなものまで書店に登場した(なんと9500円+税金!)。
一年間と少々のメモリアルイヤーは幕を閉じた。
が、あらためてそれらを見直してみると、没後10年、そして没後20年、はたまた没後30年のときの喧騒が脳裏によみがえる。
先日、たまりさんに紹介されて読んだ「語れ! ブルース・リー」なるムック本に触発され、私も語ってみたくなりました「僕たちの李小龍 第一回」として没後10年時の東映企画「リターン・オブ・ザ・ドラゴン」のことを。
「彼は、どうしようもなく強かった。そして、たまらなく優しかった」
ブルース・リーの映画はワーナーのマークのついた「燃えよドラゴン」が1973年12月22日に、リーの日本紹介第一作として公開された。
その後、映画チラシのコピーのまま公開作を紹介すると、
●ブルース・リー第二弾「ドラゴン危機一発」(1974年4月13日 日本公開)
●ブルース・リー第三弾「ドラゴン怒りの鉄拳」(1974年7月20日 日本公開):一周忌に合わせて公開
●最後のブルース・リー「ドラゴンへの道」(1975年1月25日 日本公開)
●さらばブルース・リー「死亡遊戯」(1978年4月15日 日本公開)
となる。
このうち、ワーナー映画だった燃えよドラゴンを除く映画は、どこの会社が配給権を取るかの競争になったと聞いている。
このうち東映洋画部は「ドラゴンへの道」の配給権を獲得できたのみ。
あとの作品は全て東宝東和が配給した。
香港映画は日本にとっては洋画であるが、燃えよドラゴンが日本でも半年に及ぶロングラン上映となるスマッシュヒットになったのは周知の通り。
そして、単独映画のヒットとしてだけでなく、その後にあまたのカンフー映画を日本で配給させる原動力となった。
そう、洋画ビジネスにとって、香港映画が新たな草刈り場になったのである。
東映洋画部はしかし、このときには「ドラゴンへの道」しか配給権を取れなかった。しかも、香港ではブルース映画のなかでもっとも観客動員を稼いだ映画だったが、日本で公開された時期が遅く、この間に何本ものブルースでない「ドラゴン映画」が何本も公開されて、熱が冷めてしまったためか、東映はちょっと貧乏くじをひいた形になった。
1972年に東宝東和が配給した「片腕ドラゴン」
で、10周年となった1983年。東映は別途版権を獲得して、かつて東宝東和に取られた二本のブルース作品を上映することに成功。
それが、「リターン・オブ・ザ・ドラゴン」企画で、怒りの鉄拳と危機一発の一挙二本立て上映です。
この企画までの間、ジャッキー・チェン映画の配給に関して、東映は地道に実績をあげてきていた。
日本でジャッキーがブームとなるきっかけを生んだ「ドランク・モンキー酔拳」、そして「スネーキー・モンキー蛇拳」、いずれも東映洋画部の1979年の仕事である。
しかし、ジャッキーがそれまでの弱小制作プロダクション所属から、大手であるゴールデン・ハーベストに移ってからは、これまでの実績から東宝東和に配給権をとられてしまうようになる。
1981年の「ヤングマスター 師弟出馬」以降の新作映画の配給が、すべて東宝東和になっているのは、ジャッキーがゴールデン・ハーベスト所属になったからである。
東映はジャッキーの旧作(残念ながら質はゴールデン・ハーベスト作品に及びない粗い作り)を、日本市場向けに新たに主題歌や劇中歌を施すなどリニューアルして売り出さざるを得なかった。
しかし、古くからのジャッキーファンは、うなづいてくれると思うが、この東映の仕事というのは、それはそれはハイクオリティなものだったのだ。
たとえば、ドランクモンキー酔拳の主題歌(『拳法混乱(カンフージョン)』 唄:四人囃子)や、予告編のモンキーパンチ氏によるアニメ使用、作中BGMの入れ替え作業など、粗い作りの弱小プロの映画を全国公開に耐えるものにブラッシュアップさせていた。
そして、「リターン・オブ・ザ・ドラゴン」もそのスキルを大いに使っている。
まず、主題歌をリバイバル上映用に新たに用意しています。
既に日本公開が行われている映画に、ほんの数年後に別の配給会社が新しい主題歌を入れる例は聞いたことがなかった。
東映はその名も「リターン・オブ・ザ・ドラゴン」という主題曲を、ザ・スーパー・ドラゴン・バンドなる謎のグループに発注。この曲を宣伝に使うだけでなく、ドラゴン怒りの鉄拳の有名なラストシーン(上半身裸のブルースが、拳銃を持った外国人たちの列に跳び蹴りするあれです)にもってきた。
さらには、それまでのジョセフ・クー作曲のBGM音楽についても、新たにザ・スーパー・ドラゴン・バンドに演奏させた新音源に置き換えたほか、ドラゴン危機一発のようにBGMに魅力のなかった作品には新たにザ・スーパー・ドラゴン・バンドによって作曲されたBGMが追加され、映画に新たな命を吹き込んでいた。
現在、Youtubeに当時のザ・スーパー・ドラゴン・バンドによる音源をアップしてくださっている人がいるので、以下にリンクを張っておこうと思う。
(リンク切れの際はご了承ください)
どうでしょう。とっても魅力的な音楽じゃないでしょうか?
このリバイバル企画、二本立てで東映系列で上映されたわけですが、配給成績はどうだったか定かではありません。
しかし、私のようにブルース・リーが同時代じゃないファンにとっては、映画館でブルース・リー映画が観られたという意味では本当にありがたかったです。
そして、おそらくは東宝東和で公開されたときよりも(とくに音楽が)ハイクォリティになっていたバージョンでブルース・リーを感じられたことは大きかったですね。
私にとって、このときのバージョンがベストなわけですが、ビデオ化もDVD化もされることがなく、2012年にパラマウントから発売されたエクストリーム版Blu-rayにもこの東映版は収録されなかったので、もはや観ることはできないのかな、とあきらめています。
唯一の救いは、この東映版リターン・オブ・ザ・ドラゴンのサントラLPを大事に保存して持っているということでしょうか。
LPなので厳重に保管していますが、火事とか勘弁!
二作品とも好きな映画なので、後に普及版ビデオが発売されたときに、広東語バージョンの「ドラゴン危機一発」にがっかりしたことを覚えています。
私たちが劇場で観たリバイバル版は英語版の危機一発でした。
そして、1974年に初回日本公開時に観た人も英語版です。
何が違うかというと、主演のブルースが怪鳥音(アチョー)を発しないのが本来正しいのですが、普及版ではブルースの別作品から怪鳥音をコラージュしていて、ちょっと違和感があるのです。
実際の香港で初回上映されたときも怪鳥音はなかったはずで、私たちはそれで観たいのです。
この問題、あとから発売されたDVDもみんなコラージュ済み怪鳥音つきの広東語音源を使っていて、長らく解決されなかったのですが、パラマウントのエクストリーム版がようやく英語版の日本初公開時音源というのを収録してくれて解決。
もちろん、リバイバル時の音源はないけれど、ひとつ胸のつかえがおりたようで嬉しかったです。
英語版の声をあてている人は誰かは知らないけれど、ブルースの実際の声に近い声質ですし、何より懐かしのバージョンなので、私は好きですね。
リターン・オブ・ザ・ドラゴン企画については、ネット上でも情報が少ないです。
私がここにアップした情報を手がかりに、どなたかさらなる情報を教えてくれないかしら。
とくに、ザ・スーパー・ドラゴン・バンドは、このサントラ以外では見たことがなく、企画バンドだったとは思うのですが、音楽センスは光っていて、きっと名うてのスタジオミュージシャンだったのでは?と思わせます。その後どうなったのかが知りたいところです。
さてさて、次は没後20年目ですね。えー、いつか書きます!