https://youtu.be/x7ZcPAr0OvQ

いきなりショッキングなビデオですが。

年始には今年はどうしたい?って聞かれることが多いですね。私は平凡にトラブル無く過ごしたい、欲はあまり言いません。望みすぎるとなんか的外れな目に遭った時辛いし。でもやはりそれは当たっているなと思う事がこのビデオを通して分かりました。


私は仕事に役立つかもしれないので、テレワークの日には、仕事をしながら良くこの様なビデオを観ています。このビデオは、プレゼンテーションは置いておいて、トピックや内容が良いと思います。さすがスマート!

さて、貼ったビデオはカンボジアのお話ですが、ビデオの中に出てくる現在のカンボジア人の人口分布に注目すると当然のことながら50代など年齢が上になるにつれて極端に少ない。(何故なのかはご説明されているのでビデオを観ましょう)

私の同僚にはカンボジア人がいて、彼は50代。

思い切ってこの話を聞いたら想像以上に凄惨でした。彼は9歳から3年ほど「働いた」そうだ。

まずは彼が9歳の頃、すでに木の銃を運ぶと言う「仕事」をさせられていたと。逆らわせないように、色々な洗脳教育をしていたと(ビデオで紹介している通り!)彼の父親は朝になると石で手を擦ってたそうです。なぜか分かる?って聞かれても答えられない、想像が出来ない。石で手を擦れば手の表面がガサガサになり、農夫であると思われるからだよ、って。1日一回与えられる食事の為に働いていた彼ですが、その後もっと状況が酷くなるからと彼らはジャングルに身を隠した。8ヶ月すればアメリカが助けに来るからと聞いたからだ。

実際には8ヶ月を大きく上回る3年に及ぶ潜伏であったという。追ってくる兵士の脅威はもちろん、ジャングルに潜んでいる野生動物、特に虎に怯えながらその後タイへ逃避するのを手伝ってくれた人のおかげで生き残った。タイの国境までの逃避過程も過酷で、ジャングルには沢山の地雷が埋まっていてガイドの人の足跡と同じ所を踏んで進んだそうだ。前述した様にジャングルに潜む野生動物や地雷、ジャングルの病原菌、様々な脅威が待ち構えていたわけだが当然のことながら逃亡中に倒れて亡くなった人たちを見るのが子供心に一番怖かったそうだ。彼は「それら」を見ないように「地獄」をひたすら歩いたんだ、と語った。

タイの難民キャンプについたとき、それまでの緊張がほぐれて平和を噛み締めたんだ、人を、同じ国民同士を殺し合うって想像できるか?と言う。日本では戦国時代にはその様なことがあっても戦後は無いだろう。彼にとって先の見えないジャングルの中での逃避行から逃れ、難民キャンプにあった思い出を最後に話してくれた。それは日本が提供していた難民救済のテントにあった食事や医療品の数々に驚き、そしてその感謝をいつまでも忘れないと思っているそうだ。

学校に通う訳でもなく、食事の為に、生きる為に少年兵として「働いていた」同僚。ビデオの中でもおっしゃられている通りカンボジア語の本が殆ど無く、簡単な言語なのにカンボジア語を読み書きできる人が本当に居ないんだと。その流れで彼もカンボジア語を話せても読み書きはできないそうだ。

私が9歳の頃は毎日学校へ行き、友達と遊びそしてお正月には家族親戚が集まる、普通のごく普通の日常、習慣。平凡こそ幸せであると切に学びました。