赦し (破壊をもたらす赦し) ケネス・ワプニック Ph.D.

Forgiveness, Forgiveness-to-Destroy Part 1
Youtube
https://www.youtube.com/watch?v=D_x795BQeXE

今朝は赦しについてお話します。内容は2つに分けます。まず、"祈りの歌"の小冊子が「破壊をもたらす赦し」と呼んでいるもの、つまり赦しではないものについてです。そして次のビデオでは、真の赦しについて話します。

「破壊をもたらす赦し」という言葉は、コース自体には登場しませんが、テキストやワークブックには言及されています。しかし、実際にこの言葉が使われ、ある章のタイトルにもなっているのは"祈りの歌"の小冊子です。「破壊をもたらす赦し」とは、分離という誤りを現実のものとするエゴの赦しのことです。

つまり、エゴの視点から誰かを赦すとき、私たちが実際に行っているのは、自分と相手が互いに異なり、分離しているという事実を強調し、強化することなのです。伝統的なキリスト教に見られるように、「あなたは惨めな罪人だが、私の心の優しさ、私の存在の聖性によって、あなたを赦す」という形を取ることがあります。私はあなたとは違うのです。

私はあなたよりも聖なる存在であり、あなたを赦す力を持っています。そしてもちろん、カトリック教会では、これは告解の秘跡という形で現れました。そこでは、神またはイエスの選ばれし使者である司祭のもとへ行き、司祭は赦す力を持っていました。しかし、役割分担は明確でした。神またはイエスの使者である司祭と、罪を犯した可哀想な罪人というように。

これは、繰り返しになりますが、私たちが互いに分離し、異なっているというエゴの根本的な考えを強化するだけです。これは真の赦しではありません。なぜなら、誤りを解消しないからです。先ほども言ったように、それは誤りをさらに現実のものにし、それゆえに罪悪感を強化します。

つまり、自分は赦していると言う人は、分離と差異を現実のものにするという元の誤りを再現しているのです。エゴが罪と呼ぶものは、皮肉にも赦されるべきではないとされているため、罪という考えを現実のものとし、罪を赦す人自身も、自動的に罪悪感を感じるようになります。罪悪感は抑圧され、投影されなければなりません。つまり、赦しの仮面の下で、実際にはさらに攻撃しているのです。

これが、コースが「罪悪感/攻撃サイクル」と呼んでいるものです...罪悪感を強く感じれば感じるほど、それを解消するために、不適応または魔術的な方法で投影する必要性が高まります。それによって、あなたを罪人とし、それが攻撃を構成し、私の罪悪感を強化します。私たちはこの悪循環をぐるぐる回っています。しかし、それが「破壊をもたらす赦し」なのです。

言い換えれば、「破壊をもたらす赦し」は、罪を現実のものとし、それを赦すふりをすることです。一度現実のものとして、実際に起こったことを、どうして最初に赦すことができるでしょうか? これがエゴが認める赦しの種類です。それは、世界が常に祝福してきたものです。例えば、ホロコーストについて、名誉毀損防止同盟(Anti-Defamation League)が「私たちは赦しますが、決して忘れません」というように。

つまり、悪い奴ら、ナチス、そして彼らを支持したように見えるすべての人々は、とてつもなく恐ろしいことをしました。私たちはそれを赦しますが、あなたが何をしたのか決して忘れません。私はユダヤ人の家庭で育ったので、それを覚えていました。これはすべてのユダヤ人のスローガンでした。 しかし、これは真の赦しではありません。

繰り返しますが、それは罪悪感を強化するだけです。そして罪悪感があれば、それは常に投影され、あなたは自分にされたと信じていることを他人にします。これは大規模なレベルでも、個人的なレベルでも当てはまります。ですから、「破壊をもたらす赦し」は、エゴの思考体系に完全に適合するのです。

テキストには「防衛は、それが守ろうとするものを実現する*」という一節があります。私たちを守るはずの防衛、この場合は罪悪感から、それを強化するだけなのです。そして、再び、私たちは皆、個人としても、人種的、政治的、国家的、宗教的なグループとしても、エゴの思考体系を現実のものとし、その恐ろしい結果、つまり私たち自身の罰から逃れようとし、誰か他の人を見つけて罪人としてレッテルを貼るという、同じ悪循環をぐるぐる回っています。そして、もし私たちがこれを宗教的または精神的な文脈の中で行おうとしているなら、私たちは良い人で、彼らは悪い人であるように見えます。そして、もちろん、これはエゴの視点からしかうまくいきません。

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*訳注:T-17.Ⅳ.7
すべての防衛はそれが防こうとしているまさにそのことを行うということを、理解することがきわめて重要である。防衛の効力の根底をなす基本原理は、それが防ごうとするものをそれ自体が提供しているということである。防衛が防こうとしているものが、防衛自体の中に組み込まれて保管されており、防衛が作動すると同時にそれがあなたにもたらされる。どの防衛も贈り物を与えることによって作動し、その贈り物とは常に、その防衛が保護している思考体系の雛型を黄金の額縁に納めたものである。非常に手の込んだその額縁には、宝石がちりばめられ、彫刻がほどこされ、磨きがかけられている。その額縁の目的はそれ自体で価値あるものとなることであり、それが縁取っているものからあなたの注意を逸らせることである。しかし、絵の無い額縁を飾ることはできない。それができるとあなたに思わせるために、防衛が作動する。
It is essential to realize that all defenses do what they would defend. The underlying basis for their effectiveness is that they offer what they defend. What they defend is placed in them for safe-keeping, and as they operate they bring it to you. Every defense operates by giving gifts, and the gift is always a miniature of the thought system the defense protects, set in a golden frame. The frame is very elaborate, all set with jewels, and deeply carved and polished. Its purpose is to be of value in itself, and to divert your attention from what it encloses. But the frame without the picture you cannot have. Defenses operate to make you think you can.

参考:  「許す」と「赦す」の違い