どんよりとした、パリの下町をデカい男二人は、歩いていた。
気が滅入るのは曇り空のせいだけではない。残飯や、安酒、糞尿のニオイ。それに加えて怪しげな薬や香料の香り漂う裏路地を衛兵隊B中隊のアラン・ド・ソワソンとアンドレ・グランデイエは悪臭に辟易しながらも巡回していた。道の両側には、残飯を漁る野良犬どもに混じって、職にあぶれた無宿者が寒そうにちじこまっていた。
「おい、じいさん。こんなところで寝るなよ。安酒あおってこんなところで寝ていたら、そのまんまあの世行きだぜ。」乱暴な言葉とは裏腹に、老人に肩を貸してやって安全な場所に連れて行ってやるアランを見て、アンドレはそっとほくそ笑む。
「この辺も物騒になったなアラン。20年も前のパリはもっと綺麗で希望に溢れていたような気がするよ。」
「ああ?おまえ、王妃がオーストリアから輿入れしてきた時のことを言ってんのか?冗談じゃねえ。あの頃もこんなだった。当時の王は妾に随分と金を使っていたようだからな。貧乏人はいつも腹を空かせていたよ。」アランはペッと唾を吐く。「ただ、そうさな。今みたいなきな臭さは、なかったなあ。」
・・・・そうだった。アンドレはハッとした。平民ながら、自分は飢えも寒さの辛さも経験することなく育ったのだ。軽率な自分の言葉をアンドレは悔いた。
気まずい沈黙を漂わせながら歩いていた二人を救ってくれたのは思わぬ小さな存在だった。
ゴミだめみたいな道端でころりとうずくまっている小さな子供。クンクンと子犬の様に鼻を鳴らしているのは、どうもべそをかいているらしい。
「おい、こいつ・・・。」アランがアンドレの方を見る。
「迷子・・・だよな。」アンドレも、戸惑いながらも会話のきっかけができたことにやや安堵している。
「まいったな。そろそろ腹も減ってきたってえのに、ほっとけねえや。」
背の高い男が二人、やや、窮屈そうに体をかがめて子供の顔を覗き込んだ。
「ぼうや、どうした?大丈夫かい?」
「おい坊主、家はどこだ?送っていってやるよ。」その時である。亜麻色の髪の小さな頭をもたげ、黒い瞳がアンドレをじいっと見つめると、ぱあっと明るくなった。「パパン、パパンだね!」
一瞬、なんのことか理解できなかったのは、アンドレだけではない。パパンという言葉を解釈するのにやや時間を要したのはアランも同じであった。無論、アンドレは身に覚えのない”息子”にいささかフリーズしている。
「アンドレ、てめえ~!!パリの下町で女囲っていやがったのか!」
「冗談じゃない。俺は大きな声ではいえないが、オスカル一筋なんだ。何かの間違いだ。信じてくれ。」
デカい、それも兵士が二人、下世話な言い争いをしてりゃかなり目立つ。なんだなんだと通りすがりの人間やその辺の商店のカミさんやらがわらわらと出てきてしまった。
ほどなくして、子供の身元は判明した。「この子、あのかどっこの長屋に住んでいる、ナタリーさんのせがれじゃないかな。」近所のパン屋のかみさんが教えてくれた。とりあえずのお礼にと、アンドレはそこのジャンジャーブレッドをやや、高い値段で買わせてもらった。
「本当に、なんてお礼を申し上げたらよいのでしょう。隊士様たちに送り届けていただくなんて。」母親とは思えない、若々しく清楚な女性が亜麻色の小さな頭をなでながら、ニコニコしている。
子供と同じく亜麻色の髪をさらりと伸ばし、化粧っ気もないので、明らかに市井の女だが、これで化粧をほどこしドレスを着せれば、さぞや美しい貴婦人になるだろうな、などと思っていたアランは、思い切って聞いてみる。
「奥さん、一つお聞きしたい。さきほどあなたの息子はこいつの事を”パパン”と呼んでいた。どういうことかね。」横で、情けない顔をしているアンドレをまぶしそうに見ながら、ナタリーは微笑んだ。
「まあ・・・ええ、そうですわね。こちらの隊士様が、亡くなった私の主人にそっくりなんですの。縁起でもないですよね、申し訳ありません。優しいひとでしたわ。私達を養うために昼も夜も働きづめで、自分の病にすら気が付かず、ある日、眠るように逝ってしまいました。」聞けばあの子がうずくまっていたところはご亭主の働いていた工房の近くであったらしい。今は市場で働かせてもらっているという、この美しい母親の話を聞いて、二人は言葉を失ってしまった。
「おい、遅くなっちまった。昼飯にしようぜ。」親子の家を辞してから、最初に口を開いたのはアランだった。
大衆食堂で、パンとスープを腹に入れ、人助けのご褒美と、食休みという口実をつけて、二人は小高い丘で、しばし休憩をとることにした。近くにはリンゴの木がうまそうな赤い実をぶら下げている。
「さっきあの子をみたときな。」アンドレがポツリと話し始めた。「俺は早くにおやじを亡くした自分を思い出したんだ。そのあと、7歳の時におふくろを亡くして、お屋敷にひきとられた自分はなんて不幸な子供だろうと思っていた・・・大間違いだよな。お屋敷では暖かい布団とパンとスープがいつもあったんだ。俺がやったパンをほおばっているあの子を見たか?3日ぶりのパンだったそうだ。」
アンドレが辛そうなため息をついた。このやろ、まった人の不幸でてめえもブルーになるなって。
「気にすることはねえよアンドレ。お前の生活環境はお前にはどうしようもなかったのさ。それにパリはずうっとこんなもんよ、今も昔もな。お前が恥じることはないんだ。」
「以前、お前に”お前だって、貴族だろうが。”って言ったよな。本当にすまなかった。お前たちがどんなに苦労してきたか、知らなかったよ。」目の前に広がる草っ原を見るとはなしに見つめていたアンドレは頭をゆるりとアランの方に傾け、ぺこりと許しを乞うた。
「いや・・まあな。俺は腹は減らしていたが、家族はいただろ?お袋と、それに最近まではデイアンヌもな。お前が抱えていたであろう孤独とは無縁だったと思う。」ついさきほど、林檎の木から失敬してきた赤い果実をじゃりじゃりとかじりながら、アランは空を見上げた。それから、ガバッと身を起こして、アンドレの顔を覗き込んだ。
「なあ、アンドレ。だからこそ、いや、今までも思っていたことだが、言わせてもらうぜ。」アンドレはごくりと唾を飲み込んだ。こいつがこの顔になる時はいつだって本気で相手を思いやっている時だ。あのオスカルと乗っていた馬車が襲われた日の朝、こいつはこんな表情で、俺に代われと言ってくれたんだった。真摯に耳を傾けるとしよう。
「お前がさっきの坊主にパンを食わせてやっている時な、お前、すっごくいい表情していたんだよ。なんていうか、幸せそうでな。いつものお前・・・隊長と、ニコイチの時・・・もなかなか色男だが、子供といる姿がサマになっていてな。お前なんかその気になれば、気立てのいい嫁さんもらって、子供つくってさ、あったか~い家庭を持てるんじゃあないのか?なんでまあ、ややこしい女を好きになるかね?マゾかよ、てめえ。」
にじみ出ているぞ、お前の優しさが。ありがとうな、アラン。本っ当に俺の事を心配してくれているんだな。もう、言わないよ、”けつの青いガキ”なんて。でもな、だからこそ、お前にだからこそ俺の気持ちを伝えておくよ。
「アラン、お前の言うとおり、俺は幾度となく家庭を持ちたいとおもったよ。一人の女性と神様の前で誓いを立て、彼女の手を握りしめ、励まして、子供の出産に立ち会う。生まれてきた子供には手造りのおもちゃを毎年の誕生日に贈る。それが俺の最大の夢、だった。」
「だろ、じゃあ、なんで、そうしねえんだよ。なんだかな、お前見ているといたたまれん。」
「ん~なんだかな。確かに、何人かの女と付き合おうかとも思った。おばあちゃんの勧める人もいたしな。でも、その人との生活を妄想すると、相手の顔に霞がかかってしまう。イメージできないんだ。その次に頭に浮かぶのは、軍服着ているオスカルの後姿や、剣の稽古をしている、ブラウスとキュロットを身に着けた彼女の姿だったりしてな。」
「・・・・・・・・・・・・・・もう、あほらしくなってきたな、俺は。」
「でもな、聞いてくれよ、アラン。確かに結婚っていうのは、相手と家庭を築いて、子供を作って、俺が働いて、家族を養う。そして奥さんは俺の為に家を切り盛りして、暖かいメシを用意して待っててくれる。俺も安らぎをもらうことで、お互いを守りあう。そして、そのプロセスが幸福だと思うんだ。オスカルとはもちろん、結婚なんて考えてはいけないんだ。」アンドレは一瞬、遠い目をした。そして話を続ける。「でもさ、この20年以上、俺はあいつにつき従ってきた。守る・・・なんて言葉はおこがましいけど、俺達は共に生きてきた気がするんだ。なんだか、片方だけだと、不自然な気持ちになるくらいに。俺なんかは取るに足らない存在だけど、あいつは軍服を脱ぐと、すごく儚くなる。小さな女の子みたいに感じる時があるよ。あいつは、軍人である間、どれだけあの細い肩に重責を負わせているのだろうか。」
彼の言葉はいつの間にか独り言になっていた。「だからこそ、守りたいんだ。あいつのことを。」
「わかったよ。もう、な~んにも言わねえ。」クックとアランは笑い、アンドレと同じく上半身を両腕にもたれさせ、空と丘陵地の境目あたりを見つめながら、しばし寛いだ。吹く風が顔に気持ちいい。
「こいつの目にこの緑はちゃんと映っているんだろうか?」そんなことを考えていると、今度はアンドレがニヤニヤしながらアランに言った。「アラン、お前こそいいオヤジになれると思うぞ~。お前は本当は心底優しい男だものな。お前こそ、救いのない恋に身をささげるなよ~。」
「ば、バカ。俺様が結婚しちまったら、パリの女たちが嘆き悲しむからしねえんだよ!・・・・それに俺はつくづく鉄砲屋がお似合いなんでね。世帯をもったら、女房、子供に寂しい思いばっかりさせちまう。わかったか、このバカ!」おいおい、アラン、顔が赤いぞ。けつの青いガキを卒業したばかりなんだぞ。忙しいやつだなあ。
「お、いいこと考えた。」アランがガキの顔になった。「連隊本部にもどったらよお。隊長にこうご報告しようと思うんだ。”本日、パリを巡回中迷子に遭遇いたしました。私アラン・ド・ソワソンとアンドレ・グランデイエは迷子を保護。その折に子供がアンドレに”パパン”と言って抱き着きました。子供は無事送り届けました。なお、母親は亜麻色のストレート・ヘアで、瞳の美しい若い後家でありました。”とな。」
「ば、バカなことを言わないでくれよ、アラン。オスカルはそっちのほうは、子供並みの経験値しかないんだから。」
ふんっ、ざまあみやがれ。最後は俺の逆転優勝だぜ!!「そうさな、口止め料は、酒場”ミレーユ”で一番のブランデーでいいや。」「と、とにかく本部へ戻ろう。隊長がお待ちだぞ。」
商談成立だな、とほくそ笑むアラン。二人は馬を飛ばして、オスカルの待つベルサイユに向かう。どんよりしていた空はいつの間にかきれいな茜色に染まりつつある。ノエルももうすぐだ。ほんの少しでも、あの親子を含めてすべての人々に神のご加護がありますように。
その日の夜、パリの酒場”ミレーユ”で酒を酌み交わすアランとアンドレがいたことは、言うまでもない。
FIN.
