長い年月が過ぎた。

俺達が思春期を迎えるころ、フランスにはオーストリアから若きアントワネット様が嫁いでこられた。

　そこいらの貴族のドラ息子たちを尻目に士官学校で優秀な成績をおさめていたオスカルは、やがて

ベルサイユ近衛連隊に入隊し、俺もまた、従者として宮中に日参することとなった。

　思春期真っただ中とはいえ幼さが僅かに残る俺達は、宮中に漂う、貴族達の好奇心の的となっていた。

オスカルは、女性でありながら軍人、それも美貌ゆえ。

俺は平民でありながら宮中に伺候し、美しく若い貴族の娘の従者ゆえに。

　俺の長い黒髪と黒い瞳がベルサイユの貴婦人達には珍しかったのか、彼女達は頻繁に俺を「味見」したいとモーションをかけてきた。

　話には聞いていたものの、清冽なオスカルの気性と内側から滲み出る美しさを知る俺は、宮中の貴婦人たちの露骨な誘いに嫌悪感と憐憫すら感じていた。

　オスカルも宮中の空気には辟易していたのだろうか。行き帰りの馬車の中、二人でいる時の彼女は、

出逢った頃のように無邪気でストレートで・・・平気で俺の上着の内側に両手を突っ込んで頭を摺り寄せてくる。

「こら…！お前いい加減にしろよ！」

「だって疲れてるんだもの、いいじゃないか。ん～ん、お前の胸板気持ちいい！暖かくて、柔らかくも固くもなくて。屋敷につくまでこのままでいいだろ？」そしてそのままうたた寝をしてしまうんだ。

　俺は、自分の体温が急上昇していることを悟られたくなくて、夢の世界に入った彼女の頭に枕をあて、眠りにつきやすいようにしてやった。そして少しだけ馬車を道端に留め、冷たい空気で自分を落ち着かせる日々が続いた。苦しい。

いけない気持ちとはわかっていた。別の世界の住人だと思え、とお祖母ちゃんにしつこいほど言われ続けてきた。

でも、

俺の背が、オスカルの背を超えた頃からか。

月に一度、彼女に女性であることの印が訪れるようになった頃からか。

それ以前は気に留めなかった、オスカルの蒼い瞳や、眩しく柔らかな金髪が風にフワフワと揺れるのを目にするたびに、

緋色の軍服を着ていても、その胸元が少し隆起しているのをみるにつけ、

心臓の鼓動は早まり、胸が甘く掻きまわされるようになった。

やがてその気持ちが、とても痛みを伴うものになってきたのは、ある仮面舞踏会をきっかけに、

フェルゼン伯爵が俺達の前に存在するようになってからだったと思う。

アントワネット様と語らう伯爵を見るオスカルの瞳が。

俺達に手を振りながら、気軽に声をかけてくる伯爵を見つけた時のオスカルの頬の色が。

オスカルの初恋を物語っていた。彼女に恋い焦がれる俺だからこそ、わかる。

俺は多分、彼女に寄せる想いすら、彼女に気づいてもらっていないのだろう。

悶々とした日々を送りながら、晩秋のある日。おばあちゃんが朝からソワソワしている。それも嬉しそうにこまねずみみたいに厨房とオスカルの部屋を行き来していた。

「どうしたの、おばあちゃん？」

「どうもこうもないさ。オスカル様がね、ドレスを着て舞踏会に行かれるそうなんだよ、今夜。私もね、

長生きした甲斐があったよ。ああ、今日はお前、お伴はいいからね。ゆっくりしな。」そう言うと、ばあちゃんは、鞠のように、コロコロとすっ飛んでいった。

オスカルが、誰のためにドレスを着るかなんて・・・わかりきったことさ。俺はつま先から体温がすうっと下がっていくような、不快感を感じた。

オスカルのドレス姿、見たいけど見たくない。俺は色んな雑用を進んで引き受けて、オスカルと顔を

あわさないようにしていた。

　お忍びの馬車が彼女を乗せて屋敷の門を出ていった頃、たいがい疲れ果てた俺は何か飲もうと

厨房へ向かった。中へ入ると、仲間のメイド達がテーブルの前で何かつまみながらお喋りに花をさかせている。

「アンドレ、お疲れさま。あなたも座ってこれ、食べない？」ローザがすすめてくれたのは、木の菓子鉢に盛られたあの時のクッキーだった。

「懐かしいな。おばあちゃんが焼いたの？」

「そうなの。今夜オスカル様がドレスを着て舞踏会へ出かけられたでしょ？普段軍服をお召しのオスカル様が、ドレスを着ていては苦しくて何も召し上がれないだろうって。お出かけ前につまんでいただけるように焼いたのですって。たくさん焼いたから私達もおこぼれを、ね。」

俺は、苦笑いをしながら二つ三つ、口に放り込んだ。ナッツの欠片がのった、シンプルなクッキー。

美味しいけど、今日の俺にはちょっぴり苦く感じる。

オスカルには多分、アラザンやオレンジピールがのっかった星形のクッキーが焼かれたんだろう。

それが、羨ましいわけじゃない。ただ、

今夜ほど、身分違いゆえの切なさを感じたことはなかったから。

「アンドレ、オスカル様のドレス姿、見た？」

「いや、見ていない。仔馬が生まれたばかりで、世話を焼いていたから。」

「オスカル様、お出かけの時に『アンドレは？アンドレはどこへ行った？』って言ってたわ。あなたに

見てほしかったんじゃないの？」いつも控えめな姉のようなローザは俺に言った。

「・・・・興味ないよ。あいつのドレス姿なんて。」

「アンドレ・・・。」勘のいいローザはわかってるんだろうな、俺のぐっちゃぐちゃな気持ちを。

ごちそうさま、そう言うと、俺は屋敷の男連中とパリの街へ繰り出していった。

しらふでなどいられない、今夜は。

続く

思い出の菓子・冬・片思いの季節