「まったく・・・ざまあねえよ。」アランは言った。

数年前の大震災で被害を被った地域で、いまだ仮設住宅で不自由を強いられている人々はまだまだたくさんいる。そんな中での季節外れの台風に遭遇したアランは、目の前で土砂に足をとられ危うく命を落としそうになった女の子を助けた。その時、ゆらゆらしていた柱が彼の右腕を直撃した。

焼けつくような痛みの中、アランは女の子を抱えるようにして、かがみこんだ。

　「アラン、やっぱりお前ってかっこいいよ。」アランの入院先に駆けつけたアンドレは、右手に包帯を巻かれた友を前に、微笑んだ。「でも本当によかった。ニュースを聞いた時は驚いて・・・。」

「フン、お前も心配性だな。俺がそんなに簡単にくたばるわけねえだろ。」言葉こそ悪いが、母国からわざわざ友人が見舞いに来てくれたことで、アランはとても嬉しそうだった。アンドレが土産に持ってきた

パリの老舗のマカロンを一個一個、手にとってはニヤニヤしながら口に運ぶ姿を見て一安心した。

「ところでアンドレ。お前が会社に有給をとってまで遥か日本に来てくれたんだ。俺はタダじゃ帰さねえぜ。」アランはアンドレを見据えた。「持ってきたんだろ？カメラ。」

「まあな・・・。でもアラン、俺はもう・・・。」

「俺の腕はもう少しで回復する。それまでの間お前に撮ってほしいんだ。震災で、自然災害で不自由を強いられている人々がマスコミ報道の陰に押しやられてる、この事実を俺は見ていられないんだ。」

　１０代で初めて会った時も、アランはこんな瞳で自分を見た。

「わかった。・・・全く、お前の熱意に俺はいつも負けてばっかりだな。」アンドレは笑いながらため息をついた。「ただ、お前ほどの情熱を持って撮影はできないぞ。そこのところは理解してくれよ。それに。」

「それに？」

「俺は被写体よりも、目の前の現実を大事にすると思う。お前と同じようにな。」

アランはニヤリと笑って、無傷な方の左手でアンドレの肩を叩いた。

「ね、先生何か心配事があるんじゃないの？」少し前、自殺未遂をして病院に運ばれたアリスは、

すっかり元気になり、少しずつだが教室で授業を受けられるまでに回復しつつあった。オスカルはそんな彼女を気にかけ、何かと話しかけるようにしていた。そんなアリスから、オスカルは逆に心配されてしまった。

アンドレが日本に行って以来、メールは頻繁に来ていた。文面からも自然災害に見舞われた小さな

先進国の有様が浮かび上がるようで、オスカルは胸が締め付けられるようだった。

「自分がここに滞在している間はアランの代わりに今の状況を写真に撮っている毎日です。それと

非力ながらボランティアの人たちのお手伝いも。オスカル、早く君の顔が見たい。」

茶目っ気たっぷりのスタンプや顔文字で連絡をくれるアンドレだが、オスカルは声が聞きたかった。

わかってる。今の彼の状況で、恋人と言葉を交わす余裕がないことくらい。でも自分は彼の声を、息遣いを、優しい言葉を仔猫みたいに欲していた。ほしくてほしくて泣きたかった。彼が日本に行く数日前、実にあっさりと先に帰って来てしまったことを今、悔やんでいた。

可愛げない女だな、私・・・。

そう思っていた時にアリスが自分を思い遣ってくれた。彼女の言葉に自分の心の中が覗き込まれたようでオスカルはドギマギしてしまった。

「何でもない・・・何でもないよ、アリス。ちょっと遅くまで本を読んで・・・。」

その言葉を遮るように、アリスは言葉を発した。

「嘘よ先生。バカみたいに本を読んで人間観察ばっかりしている私だもの。少し前のオスカル先生と何だかとても違う。すごく嬉しそうだったし、すごく切なそうな顔もしていたわ。大好きな先生だからこそ、

わかる。」

そうだったね・・・この子に嘘はつけないな。オスカルはアリスの頭を抱いた。

「そう、よね。アリスはもう子供じゃないし、頭のいい子だものね。」

オスカルは、アンドレとの出会い・・・あのヤグルマギクの群生の場での奇跡の出会いも含め・・・話せることを全て、アリスに話した。一言一言、彼女に話して行くたびにオスカルの心の中の厚ぼったい雲が少しずつだが晴れていくような気がした。

「先生、とってもアンドレっていう人の事愛しているのね。いいな。」アリスは微笑んだ。

「でもどうして？その人と一緒に行かなかったの、先生は。」

「え？だって、たった九日間だよ。それに私なんか一緒に行ったって迷惑になるし。先生はお仕事もあるしね。」

「本当にそう思ってるの？平気なの先生？」ダメだ、この子には嘘はつけない。

「平気じゃないよ・・・。彼に会いたくって泣きそう・・・ね。」

アリスは・・・何となく嬉しそうに・・・まるで姉の様にオスカルの背中を抱いた。

「ウフフ。やっと私も少しは先生の近くに来れたみたい。今までね、憧れてばかりいたから、先生の事。

でもねえ、先生。私はまだ学生だし無責任な事って言えないけど。」

アリスの可愛い顔がオスカルの青い瞳に映っている。

「有給休暇ってあるんでしょ？それにアンドレは絶対迷惑だなんて思わないわ。私が大好きな先生だもの。それに先生いつも言ってるじゃない、私に。『悪い事じゃなければまずやってみるのよ。やらないで後悔するのはやって後悔するよりも罪深い事だわ。』って。」

この子はいつの間にか、素敵な大人へと歩きだしている・・・。

「ありがとう、アリス。先生、勇気出してみるね。」

その夜。エッフェルのいつもの席にオスカルは、いた。

「日本に行ってみるの？オスカル。お家の方は大丈夫？」グラスを拭きながら、ママはチラッとオスカルを見た。

「もう子供じゃないし。自分の進む道は自分で決める。やらない後悔はやって後悔することよりも良くないことだって、ある人に言われたから。」そう言いながらオスカルはロイヤル・ブルー・カクテルを口に運んだ。

「日本は今、決して旅行気分で行けるとこじゃない。それに少ししたらアイツは帰ってくるよ。それでも行くの？」

「アンドレが行ったところだもの。私は彼と一緒にいたい。」

「そっか！」今までこわい（もっともママは元軍人のれっきとした男である。）表情をしていたママは、

相好を崩した。「気を付けて行ってくるのよ、オスカル。そして、戻ってきたら二人で真っ先にここに

いらっしゃい。」

　もう一杯のロイヤル・ブルー・カクテルを、ママはオスカルにスッと差し出した。

「これは、私の、奢り。」

その時、ママ・・・エドガーの携帯が鳴った。

「おっと・・・噂をすれば何とやら、だわ。アンドレから。」ママはオスカルにウインクした。

「待ってね。すぐアンタに代わるから。」そう言いながらママは電話に出た。

「ボンソワ、アンドレ・・・・。え？あ、はい、私エドガーですが・・・。え？」

オスカルにくるりと背を向けてエドガーはしばらく話していた。

電話が終わった後、エドガーはしばらくの間、壁を睨んでいた。

不安がさざ波の様に押し寄せる。

「何か、あったの？ママ。」

「オスカル、落ち着いて聞くのよ。アンドレの携帯電話が、瓦礫の間から見つかったって・・・。」

続く。

山の神々に守られ、大した台風災害にも遭わずに過ごしている私です。ほとんど想像で災害場面を書いています。実際に経験されている方、ごめんなさい。もしも仮設住宅に今も生活されている方が見ていらっしゃるのなら、どうぞお許しを。

恋はモノクロ映画のように ⑩

恋はモノクロ映画のように　⑩