　女性客が圧倒的に多いこの店の金曜日の夜は、仕事帰りの女の子でごった返す。

「ね、それで彼の事、何かわかった？」ジェシカが同僚のエミリーを急かす。

「ウフフ…そんなに彼にご執心？」エミリーは余裕ありげに、カクテルを口にした。

「私の彼と同じ部署に、アンドレがいるじゃない？アンドレね、最近付き合ってる彼女がいるみたいよ。私、彼と一緒に尾行しちゃったわ♪何だか探偵ごっこみたいで、ドキドキしちゃった。」

「それで？どんな女？」ジェシカはエミリーをまた、急かした。

「すっごく綺麗な人だったわよ。」エミリーは、携帯を取り出すと、画像をジェシカに見せた。

ジェシカは写真を見ると、大きく目を見開いた。

「ねえ、この人の名前・・・わかる？」彼女のその言葉に、エミリはう～ん、と言った仕草で首を傾げた。

「えっとね・・・二人がいたのがドニエル湖の畔なのよ。仲良くしてる二人を見てたら、私達も・・・わかるでしょ？その時の二人の会話、何となく聞いただけなんだけど。」

湖の畔で・・・数多の男と付き合ってるけど、そんなデートは未経験のジェシカは多少イラつきながらエミリの言葉を待った。「それで？」

「アンドレがね、『オス・・・』ちょっと待って、変わった名前だったから・・・。ああ、思い出したわ。彼、

『オスカル』って言ってたわ。すっごく優しそうな声で。あれじゃ、惚れちゃうよね。私だってアルマンがいなかったら、アンドレにまいってたかも。」

笑いながらグラスを傾けるエミリの笑い声はジェシカには聞こえていなかった。

頭がガンガンする。

「オスカル・・・？あのオスカル？」

帰宅後、ジェシカは一人掛けソファーに乱暴に座ると、煙草に火をつけた。

高校時代、自分は女王様だった。

忙しくてろくに構ってくれない両親は小遣いだけは溢れんばかりにくれた。おかげで外見的な自分磨きは何不自由なくできた。ファッションリーダーの彼女の周りには男女問わず、取り巻きが常にいた。

でも、何か苛立ちを常に抱えていた。それは・・・。

煌びやかな自分の周りからは常に離れたところに、見事な金髪を無造作に背中に伸ばしたままのオスカルがいた。化粧っ気もないのに、美しい顔と蒼い瞳からは、畏怖すら感じられた。

だから何かにつけ、取り巻きに指示しては、オスカルに小さな嫌がらせをし、歪んだプライドを立て直していた。

でもオスカルは一瞬顔を曇らせるものの、取り乱すことはなかった。

ある日、自分の周りにいつも群れている男子生徒達が話している会話を耳にした。

「なあ、オスカルってあの映画監督の娘だろ？」

「母親は元大女優だってさ。」

「やっぱそう？美人だよなあ、彼女。こう、特に飾り立ててるわけじゃないのにさ、綺麗だよな。」

「不愛想に見えるけど、話しかけたら気さくな奴だぜ？」

「マジ？じゃあ俺、話しかけてみるわ。実は結構気になってたりして。」

自分はいつも一番でいなくては気が済まないジェシカの心に悪魔が囁いた。

根も葉もない噂を拡散してしまえ・・・。どんな内容でもいいさ・・・。

ジェシカはオスカルを「淫らな女」といった内容の記事を顔写真と共に、ネットに流した。その後、２，３日、オスカルが登校してこなかったときは焦ったけど・・・・。

卒業後は進学したって聞いてたけど、消息は知らなかった。

それが今、こんな形で自分の目の前に？それもアンドレ・グランデイエの彼女？

運命の仕返しにジェシカは美しい眉をひそめた。

数日後、アンドレは決心したように一枚の紙を持って総務部へ足を運んだ。

フランスではバカンスをとるのは当たり前。数週間まとめてとる会社員だって珍しくない。アンドレは

仕事の都合上、何回かに分けて休暇をとっている。

休暇届　６月２日～６月１０日　経理部　アンドレ・グランデイエ

運悪く・・・休暇届を出すところをジェシカに見られた。別に悪い事をしてるわけじゃなし・・・とアンドレは

彼女と目が合うと、ニッコリ微笑み、机に戻ったのだが、

その日の夜。

会社を出ると、ジェシカが声を掛けてきた。

「お疲れさま。何か用でも？」

「ね、アンドレ。少しだけ付き合って。そこのスタバで１０分だけ。」

スタバなら、ま、いいか。アンドレは頷いた。

夕方のスタバは仕事後の解放感もあってか、空気が緩く、軽い会話があちこちから聞こえてくる。

「どうかしたの、ジェシカ？何か仕事のトラブルでも？」そうではないとわかっていたが、アンドレはさりげなく言いながら、コーヒーに口をつけた。

「休暇、とるんでしょ？どこか行くの？」ジェシカはきいた。

「君には関係ないと思うけど。」

「人に言えないようなところ？いいじゃない、それくらい。」

・・・・やれやれ・・・。

「日本だよ。仕事で日本にいる友人に会いに行く。」

「私も連れて行って。休暇届を出すわ。」

「ダメだ。」

「ねえ、何故？私はあなたを好きよ。あなただって私に夢中になるわ。だって・・・。」

「じゃあ、教えてやる。俺が君を愛してはいないからだ。ジェシカ、いい加減に目を覚ませ。自分を拒む男はいないって思い上がりを改めない限り、君は本当に愛する人となんか巡り合えないぞ。」

雷に撃たれたような衝撃をうけた。男が・・・私に意見をするなんて・・・。

「何よ。じゃあ、オスカルなら連れて行くの？」

驚いたのは、アンドレの方だった。

「何故、彼女の名前を？っていうか、彼女と俺の事、どうして？」

「見かけたわ、あなたと彼女。オスカルはね、高校の同級生なの。見かけによらず、男好きなこよ。」

「そのデマを、ネットに流したのは君？」怒りを通り越し、哀れみすら感じたアンドレは静かに尋ねた。

「え・・・？喋ったの、あの子。」

「その後でオスカルがどうしたか知っているか？湖に身を投げようとしたんだ。その時美しく咲き乱れる花を見て、彼女はもう一度生きてみようと思った。その彼女の気持ち、君には理解できまい。」

「自殺・・・？あんな、あんなことで・・・。」

「オスカルは今、自分みたいに心を傷つけられ登校できない、授業を受けられない子供達に勉強を教えてる。強く、心の美しい人だ。君のさっきの質問に答えよう。オスカルなら俺は、たとえ地の果てだって連れて行くよ。わかってくれたかな？」

自分の分のカップを片付けると、アンドレはさっさと店を出た。

残されたジェシカはしばらくの間、そこに座り続けていた。涙が止まることなく溢れていた。

その夜、「エッフェル」でアンドレと待ち合わせていたオスカルは、アンドレが日本に行く事を初めて聞いた。

エドガー・・・エッフェルのママは、アランが事故に遭ったことを知っていたので、アンドレが何を考えているかもわかっていた。

アンドレとオスカルにそれぞれの酒を出すと、ママはその場から離れて他の客と談笑し始めた。

「アランはね、骨太の報道カメラマンなんだ。弱い立場の人間の声なき声を映像に残すっていうのが口癖のやつでね。でも本当は、すごくロマンチストで。最初の出会いは写真のコンクールの時だ。春っていうテーマで、俺が優勝して、あいつが準優勝だった。」

「何だか、アンドレの親友っていうのがわかる気がする。」

「だろ？数年前、日本では大地震があって、まだ不自由な生活を強いられている人達がいる。大都市では早急には必要のない都市開発に莫大な金が使われているのに・・・それがヤツの口癖だった。今回もそんな人達の生活を世界に知らせるんだ、と日本に行った。そこで事故にあった。」

「事故に？」

「今、日本は季節外れの台風被害を被っているんだ。震災被災地の地盤は弱い。そこに台風だ。

アランは足を滑らせて転落しそうになった日本人を助けた時、柱が右腕に落ちてきた。」

オスカルはグラスをおいた。アンドレが何を考えているのかわかるから。

「アンドレは、アランを助けに行くの？」

「とりあえずは病院に見舞いに行くよ。積もる話もあるしね。退屈だろ？一人じゃ。」

「危なくないの？今、日本に行くのは。」

「大丈夫さ。別に俺が危ない被災地に行くわけじゃないよ。」

二人・・・言いたいことが口に出せず、同じ所をぐるぐると迷い回っている。

アンドレはオスカルを連れていきたかった。でも、アランに会って、、頑張れよ、そう言って別れてこれるだろうか。それに台風がどうなるのかわからない。危ないと知っていて大事な女を連れて行けない。それに彼女にだって仕事がある。

オスカルは、アンドレが「一緒に来ないか？」と言ってくれるのを待っていた。一緒にいたい。でも、自分など行って迷惑かもしれない。ましてや親友が怪我をして、アンドレはアランを助けたいとしたら・・・。それに私には生徒がいる。

一時間後。

「それじゃ、オスカル。行ってくるよ。お土産買ってくるから。」

「アンドレ、気をつけてね。毎日電話する。私、明日の調べ物があるから先に帰るね。」

実に二人は・・・不自然なくらいにあっさりとその夜別れた。

彼女の後を見送った後、アンドレはほうッとため息をつき酒を頼んだ。

「いいの？追いかけないの、彼女の事。」酒を出す前に、ママはアンドレを睨んだ。

「いくらなんでも、連れて行けないだろ？台風でどうなっているのかわからない。」

「あのさ、私みたいなゲイが偉そうなこと言えるわけじゃないけど。」

ようやくアンドレに酒を出してくれたママは続けた。

「愛する人がね、突然目の前からいなくなるってこと、あるんだよ？」

「愛する人を危ない所へ連れて行かないのも、愛じゃないのか、ママ。」

二日後、アンドレは日本へと旅立った。

今回は自分の中に燻っていた苛立ちを書いてみました。東日本大震災でまだ、不自由な生活を強いられている人が多くいる一方で、大都市では都市開発という名の元に古き良き建物を壊し、高いお金をかけて新しいビルが作られている。書かれた相手がどんなふうに傷つくのかという事を考えることすらせず、簡単に中傷を拡散する人間がいる。日々、忸怩たる思いです。せめて、フィクションの中で叫んでみたくなります。甘いラブシーンがないので、二人のデートシーン。一枚はセピア色ふうにしてみました。

恋はモノクロ映画のように ⑨

恋はモノクロ映画のように　⑨