　　彼女は彼より先にシャワーを使って、柔らかなバスタオルで濡れた体を拭う。水滴はタオルで拭いきったはずなのに、内側から湧き上がる緊張と喜びからだろうか、火照りと潤いがこれでもかと湧きあがってくる。

　今日、部屋を出てくる時にさんざん迷った挙句バッグの底に忍ばせてきた下着。それを身に付けた後、バスローブを羽織り、彼がシャワーから戻るまでベッド脇に腰掛け、火照りを紛らわせるため、部屋の中をぐるりと見回してみる。

　グレイがかったブルーのカーテンに、ほぼ同色のシーツ、枕カバー。

　本棚には本がキチンと整頓され、バイク雑誌から経理関連の本、美術館ガイドブックなど、ジャンル別に並べられている。

　ベッドサイドの小テーブルの上のスタンドだけ、ちょっと全体の雰囲気と違う感じがした。

カチャリ・・・。

　シャワーを浴びて、タオルを首に巻きバスローブを着たアンドレが「お待たせ。」と微笑みながら

ベッド脇に置かれている小さな椅子に腰かけた。

「喉は乾かない？何か飲む？」

「あ・・・じゃあ、ペリエ。」

「OK。ちょっと待って。」部屋をいったん出て、アンドレはエビアンを２本持って戻ってきた。

「ごめん・・・。エビアンでいい？」

「え？もちろんよ。ありがとう。」オスカルは笑ってエビアンを受け取った。

液体を流し込むたび、緩やかに隆起する彼の胸を見て、オスカルは少女の様にドキリとした。

「どうかした？」

「え・・・なんでもない・・・ことはないな。その・・・ちょっと緊張してる、かしら。」

「本当に愛おしい。そんなオスカルが。」アンドレは自分とオスカルのガラス瓶を受け取ると、一時

部屋の隅に片づけた。そして、「ベッドに行こうよ。」そういって彼女の肩をだいて、フワリと抱き寄せた。

そのまま、ベッドに腰掛け二人はゆるゆると横たわる姿勢に入った。

オスカルを仰向けにねかせ、彼女の後頭部を右手の手のひらでつつんでみる。まずは頬と頬を

合わせてみた。

「髪の毛、いい香りだ。薔薇の香り？」

「うん・・・。ドラッグストアで売ってるやつだけど、好きな香りで。ずっとこれ。」

アンドレは右手で彼女の髪をすこし掬い上げてみて、香りを楽しんでみる。それから、大切に、大切に彼女の顔のパーツに軽く唇をあてながら、口づけへとすすんでいこうとした。

「あ、あのアンドレ。今夜、迷惑かけるかもしれない。」オスカルは恥ずかしそうに言った。

「・・・もしかしたら、今夜が初めて？」

「ううん、ちがう。でも、その・・・うまくいかなかった。十代の頃なの。それからずっと勇気がなくて。」

時計が１０時を告げた。明日は土曜日。

「アンドレが嫌じゃなければ、その、少し話をしていい？」

「話して、オスカル。君の事、たくさん知りたいから。」

教育熱心な父と、大女優だった母の元で、習い事や勉強で忙しかった日々を送るオスカルにはなかなか

友達ができなかった。そんな時、同じく成績優秀ではあったが、穏やかで人望の厚い男子生徒が何かと話しかけてくれるようになった。彼の名はステファン。亜麻色の髪に穏やかな茶色の瞳。

　二人はだんだん、休日に映画を見に行ったり、学校帰りにバーガーショップに寄り道するようになった。

そして、二人は何となく予感していた。

いつか二人、お互いの”初めて”を分かち合うだろうな、という事を。

そして期末テストの少し前、ステファンが

「放課後、僕の家で勉強しない？」そう言った時、オスカルも、多分彼も、思いは一緒だった。

でも、うまくいかなかった。

彼の、彼女を大切にしようという気持ちは本物だったと思う。でも、彼もまた、”そういった”事に

疎く、彼女の体をうまくその準備にさせてあげることができなかった。

猛烈な痛みにオスカルは耐えられず、彼は謝りながら、彼女は泣きながら衣服を身に付けた。

期末テスト終了後、二人は自然と、離れた。

「話してくれて、ありがとう。俺まで泣けてきた。」オスカルの髪を触りながら、アンドレは彼女を後ろから抱いていた。

「彼も・・・ステファンも私も、本当に奥手でね。その方面に無知だったのよ。彼は私を大事に思ってくれたんだけど。」アンドレの太い腕に頬をもたれかけて、オスカルはすまなさそうに言った。

「ただ、すごく露骨な事を聞いてしまって申し訳ないんだけど・・・。つまり君の体がうまく反応できなかったってことはその、君のこの部分は、彼は口づけてくれなかったのか？」と彼女の敏感な部分を覆った

柔らかなものを手で包んだ。オスカルはほうっと頬を赤らめて顔を逸らせた。

「私の胸・・・にはキスしてくれたけど、その、下の方は私が嫌がると思ったんだと思う。実際彼も、もちろん

抵抗はあっただろうし。」

「そうか。でも・・・。」

アンドレはそっと彼女の両足に手をかけた。

「とても優しい彼だったんだと思う。彼がいたから、今の君がここにいる。」

ゆっくりと彼女の膝裏を持ち上げた。

「愛してるよ。オスカル。誰よりも可愛い人。」

アンドレは優しく、怖がらせないように時間をかけて、彼女の”体”が柔らかくなるのを待った。

オスカルは嬉しくて、体中で涙を流した。

そして内側からも、喜びの涙が溢れてきた。

彼の優しさに、彼女の体は、その門を開いた。

それから訪れる、心地よい水流の中に誘われるような緩やかな翻弄。

オスカルははるか昔、美しい表紙に彩られた「人魚姫」の絵本のラストシーンを思い出していた。

・・・自分の体が泡になっていく。不思議と痛みは感じなかった・・・。嘆きのシーン。

かの姫君は、恋を失って泡となってしまったけど、自分は愛を見つけて、今、体が泡になっていっている。

何て贅沢なの・・・！なんて・・・幸せなんだろう！

やがて二人、水流に誘われ、笑いながら共に水流に巻き込まれて、

幸せな気持ちが高まったまま、綺麗な砂浜に打ち上げられた美しい水死体みたいになって

湿り気を帯びたシーツに二人、しばらく横たわった。

「大丈夫、だった？」アンドレはオスカルに尋ねた。

「うん・・・。」ちょっぴり無粋な言葉だな・・・なんて思いつつ、自分も無粋な事を聞いてやろう、と思った

オスカルは、アンドレにクンクンとすり寄った。

「ここに、彼女はいつまで来ていたの？」嫌な事を聞く女、って思われるかな。多分、幸福な気持ちを手に入れると、女は貪欲になっちゃうのかな。自分に湧き出た初めての感情に、オスカル自身がとまどっていた。

「１か月前。」アンドレはきっぱりと答えた。

「言い訳になってしまうが、会社がらみの飲み会で一度二人で食事に、と誘われた。そのあくる日、彼女はこの部屋に荷物を持ってやってきた。」

「うわあ・・・。」

「ひどい男だよね。最初にちゃんと断っていればよかったのに。でも、それも面倒くさかった。俺も男の性欲に怠惰に流されていた。二か月半ここにいて、彼女は出ていった。俺に愛がないってわかったと言って。」

自分を見つめて話をきく、オスカルの青い瞳が自分を突き刺すようだった。

「それが一か月前。彼女が出て行ったのは朝。その日の夕飯を『エッフェル』で取ってた時、店の片隅にキラキラと光る何かが見えた。それが・・・君だったんだ。」

オスカルはハッとしたように彼の顔を見た。その時自分も、多分彼に気づいた、あの日。

「信じないならそれでいい。でもあの日からだ。俺の安っぽい体に、清廉な水が注がれた気がした。」

彼はもう一度、オスカルの裸の肩にキスをした。その部分が電気が通ったかのように熱い。たった数時間で何と自分の体は愛を感じるようになったんだろう・・・オスカルは驚いていた。それを茶化すように

ベッドサイドの壁に目をやると、一枚の写真が目に入った。青い空を背景に春の花・・・だろうか？その向こうに誰かの後姿。金髪の女・・・・え？

「アンドレ、この写真は？」

「ああこれ？」アンドレは懐かしそうに見た。「俺が初めて写真のコンクールで入賞したときの作品。

春っていうテーマだったんだけど、前方にチラッと見える女の子の金髪がさやさや靡いていてとても

綺麗だったんだ。ヤグルマギクの群生の間から垣間見られるその姿が俺にとっての春、だった。」

オスカルはアンドレに気づかれないように涙を流してしまった。多分それは、私の後姿だ。

「オスカル、明日・・・あ、もう日付跨いじゃったから今日だけど、この場所に行ってみようか。」

「え？」

「そんなに遠くじゃないんだ。ヤグルマギクはもう咲いてないけど、美しいところなんだ。近くには綺麗な湖があってね。お弁当を持ってピクニックってどう？」

「うん、行く。楽しみだな。」

彼女は生まれて初めて

自分から、

もう一度、と男を求めた。

土曜日の朝の太陽が顔を見せる前に、二人はもう一度、水流の中に自ら巻き込まれていった。

続く。

ラブシーンだけの話になると、私の文章はすごく安っぽくなってしまうのですが、今回はちょっと

そのシーンだけで長くなってしまいました。不快に思われる方もいるかもしれません。今のうちに

ごめんなさい。

二人で過ごす夜を描いてみました。あと、オスカルの瞳の様なカクテルの写真を一つ。

恋はモノクロ映画のように ⑦

恋はモノクロ映画のように　⑦