　「何だかお前、顔つき変わったな。」

「エッフェル」で黒ビールを飲みながら、アランはアンドレに話しかけた。「そりゃそうよ。アンドレは今、恋をしてるんだもの。」そう言ってエドガーは、スモークサーモンとチーズとクラッカーとナッツの盛り合わせを二人の間にコトリと置いた。「だからね、アラン。お祝いしてやって、このドラ息子に。」

「ケッ。な～にが息子だよ、まったく。」そう言いながらアランは皿の上のナッツをポリポリとかじった。

「でもまあ・・・なんだか生気が漲ってるっていうか、いい顔してるぜ。ところで今まで何人の女を袖にしてきた？」

「やめてくれよ、アラン。俺はそんなに何人もの女をふってきたわけじゃない、振られたのさ。ただ・・・今まで出会った女と違って何かを一生懸命に探し求めている飢餓感、みたいなものを彼女に感じるんだ。」

「それがお互いに惹きあう理由・・・か？」

「そう・・・。俺にもよくわからんがシンパシーを感じる。もちろん、凄い美人っていうのも理由だがね。」

アンドレは照れ隠しにペロッと舌を出した。

「まったく・・・。でもまあ、お前がタラシじゃねえってことはわかってるさ。頑張れや。」

グビリとビールを飲みながら、アランは言った。アルコールが入ると普段は寡黙な彼は少しばかり

饒舌になる。

「ところでアンドレ、お前もう、カメラは完全にやらねえのか？」

「あ？俺はもう、一介のサラリーマンだよ。四六時中電卓叩いてタイムカード押してそそくさと帰社する

サラリーマンさ。」

「そうか・・・。もったいねえなあ。お前の撮る写真は親父さん譲りの腕なんだが。」

アランは実力派の報道カメラマン。家の商売で忙しかった両親が買ってくれたカメラに魅せられて、１０歳のころにはいっぱしのカメラ小僧になっていた。小遣いをためて１３の時に自分でカメラを買った。バカみたいにたくさん写真を撮りまくった結果、センスが良いのか友人や同級生の女の子達からも何かにつけ写真撮影を頼まれるようになった。

　ある時、民間団体主催のフォトコンテストにアランは参加した。テーマは「春。」

自信はあった。ところが。

結果は準優勝。負けず嫌いの彼は、優勝作品を撮ったやつがどんなやつなのか睨みつけた。

自分と同じ黒い髪におっとりとした穏やかな瞳の青年になりかけている少年。

それがアンドレとの最初の出会い。彼が実は、アランが尊敬する写真家、ジョセフ・グランデイエ

の一人息子と知ったのも、その時だ。

それからなんとなく、二人は休みごとにカメラを片手に出歩くことがしばしばで、ファストフード店で夢を語り合ったりした。

「俺は、報道カメラマンになるんだ。世の中の真実をバンバン世間に知らしめてやるんだ。」バーガーを頬張り、アランは言ったものだ。

「アランならなれるよ。俺はカメラマンの父さんがいっつも忙しそうだからどうしようかなあ。」そう言って

ニコニコ笑っていたアンドレ。

それからまもなく、アンドレの父親は遠い異国の地で死んだ。その数年後、アランがアンドレと再会したのは、男性ファッション誌の中。アンドレが決めポーズで女と写っているページを見た時、アランは無性に

腹が立ち、アンドレに会いに行った。

カメラはどうしたんだよ！お前がチャラいモデルなんぞやるなんてがっかりだぜ！

父さんがいないんだ。モデルは金になる。母さんを助けないとね。

アランはぼこぼことアンドレの胸を叩き、目に涙を溜めた。

モデルの仕事がどうってわけじゃないんだ・・・お前の目が、乾いた目をしているんだよ・・・！

それから数年。取材帰りに一杯ひっかけようと立ち寄った「エッフェル」でアランはアンドレと再会した。

アンドレはすっかりサラリーマンにおさまり、最後に会った時と同じ、乾いた瞳をしていた。

それも時の流れか・・・それなりに年を重ねたアランはその事実を飲み込んでいたのだが。

今夜のアンドレは、「あの頃」の瞳のきらめきを取り戻していた。おい、何があったんだ？俺は嬉しくなっちまうぜ。

「おい。」アランは最後の一杯を飲み干すとアンドレの肩をポンポンと叩いた。「おまえがもしも、

またカメラを手にする気になったら連絡くれよ。」そう言ってカウンターに金をおいた。

「わかったよ。」アンドレは苦笑いをした。「で、今度はどこ行くんだ。」

「日本だ。あの国は数年前の大地震から、まだ復興に苦しんでる。表に出てこない声を映像にしたい。」

「そうか・・・。頑張ってくれ。」

　アランと別れた後、自宅に帰ったアンドレはほうっとベッドに転がった。明日はオスカルがこの部屋を

訪ねてくる。掃除は留守中にルンバがやってくれた。料理の仕込みも完璧だ。アンドレはベッド脇の

写真を見た。多分明日の夜、俺はオスカルとベッドの中にいるだろう。その時・・・。

　あくる日の夕方、仕立ての良いシンプルなワンピースを着たオスカルは、ワインとカヌレを手土産に

はにかむ様にアンドレの部屋の玄関口に立っていた。淡いブルーに白い小花がくすんだように散りばめられているデザインにアンドレは胸がときめいた。

「いらっしゃい・・・。こんな綺麗な先生じゃ、男子生徒に俺は嫉妬してしまいそうだな。」

「まさか。学校へは白いカッターシャツに紺色のタイトスカートかジーンズが定番なの。忙しいから

動きやすい服装でね。いったん帰宅して、シャワーを浴びてきたわ。」

そう言ったところで、オスカルは俯いた。何？私。すごく露骨な事を言ったかしら・・・。

アンドレは嬉しそうに、彼女をダイニングへと誘った。

　昨日から香草とワインに付け込んでおいた肉が、オーブンの中から良い香りを漂わせている。その間に

手際よくサラダとパンを用意し、「お手伝いするわ。」と言うオスカルを椅子に座らせ、アンドレはフルートシャンパングラスを２客、テーブルに用意した。

メインディッシュがテーブルに到着すると、アンドレはオスカルが持ってきたワインをテーブルに置き、

夕食が始まった。

「美味しい。この前のおつまみといい、料理上手ね、アンドレ。恥ずかしいな、私。」

「全然。だってこれ、肉を漬け込んでおけば、オーブンが勝手に焼いてくれるんだぜ？それよりも選んでくれたワインがすごく料理に合ってる。ところでもう一本、とっておきの酒があるんだ。飲んでみる？」

「嬉しい。ジャルジェ家は酒飲みの家系なの。」ほんのりと染まった頬で、オスカルは微笑んだ。

あらかた食事がすむと、カヌレとチーズをのせた皿と共にアンドレは一本のボトルを冷蔵庫から取り出した。「これなんだけど、すっきりとした口当たりなんだ。」

それは、日本の「風の森」という日本酒だった。

「vent（風）と foret（森）っていうお酒？なんだか不思議な名前ね。」

「俺の両親が新婚旅行で日本の奈良県に行った時に飲んだ酒だって。すっかり気に入って父さんが死んだ後も、母さんが父さんの誕生日に取り寄せてる。その一本をもらったんだ。奈良県には美しい昔の風景がたくさん残っているそうだ。」

　そう言いながら、アンドレは二人のグラスに「風の森」を注いだ。

「すごく美味しい。スッキリしていてお魚料理にも合いそう。」

「よかった。気に入ってくれた？」

そう言いながら、アンドレは奈良県の桜の画像をオスカルに見せた。

その煙るような満開の桜の美しさと幽玄さに、オスカルは美しさと共に、何か近づいてはいけない畏怖の様なものすら感じた。

「なんて綺麗なの。この山に、神様が訪れてきそう。私達人間がおいそれと訪れてはいけない、そんな

厳粛な気持ちになってしまうくらい。この国の花とは全く趣が違う・・・。」

「おや、流石は先生だね。すごい感受性を持っているんだな、君は。」いつの間にかアンドレは、グラスを持っているオスカルの手を包み、その酒をそうっと口に含んだ。オスカルもまた同じように、彼のグラスの酒を口に含んだ。自分の大胆な行動にオスカルはハッとした。

「アンドレ・・・。あなた、ひどい。私にこんな行儀悪い事させて。」それには答えず、アンドレはオスカルを自分の胸に引き寄せた。

「いつか行かないか、日本へ。君と一緒に桜を見たい。」そう言うと、アンドレは彼女の髪の香りを恍惚と楽しんだ。

「神様に怒られるわ。その・・・知り合って間もない女と男が・・・。」

「まだそんなことを？じゃあ、それまでに数えきれないくらい、抱き合おう。」アンドレは彼女をきつく抱きしめた。

「もう、君以外の誰も見えない、俺は。」

「あ、アンドレ。私はこんなつまらない女で。」アンドレはわざとうるさそうに、首を振って何も答えない。その代り、「今夜は、泊っていけるね。」とたった一言。

「わ、私でいいの？こんなノッポで、色気なくて。」

「つまらない事は聞こえない。泊っていけるね？」

もう、ダメだ。嬉しさと、恥ずかしさと、解放感と、少しの怖さと・・・そんなすべてを彼に委ねよう・・・・

オスカルはアンドレに消え入りそうな小声で言った。

シャワーを浴びさせて。・・・その・・・お酒で体が火照ってしまってるから・・・。

続く。

ご無沙汰しております。色々あって、スランプでしたが、ようやく重い親指が動き出しました。さて、今回お話に登場したお酒、「風の森」はフォロワー様から教えていただいた情報。ネーミングの爽やかさと、

奈良県と言う、古が息づいている素敵な土地をどうしてもお話に取り入れたくなりました。

N様、本当にありがとうございます。

沢山ある「風の森」の中から、私が好きなデザインのボトルの写真を載せてみます。

それと、青いワンピのオスカルを。

恋はモノクロ映画のように ⑥

恋はモノクロ映画のように　⑥