内閣不信任案について、国会が沸騰している。

言わずもがな、今は未曽有の国難の時である。被災地復興、原発対応、全国的な電力不足、ここ数日の大雨・・・短期的、中長期的に解決するべき問題は山積している。

政治は国民の総力を結集し、チームニッポンとしてこの難局に取り組まなければならない。

その為には、まず自らが一つにまとまり、真に一つの方向を向いて取り組まなければならない事は、論をまたないだろう。

今こそ政治家は、「私」を捨て「公」を貫く、それぞれの原点に回帰し、懐を開き、一致協力をするべきではないか。

今リーダーを替えて、次のリーダーが劇的に事態を好転させられる保証はあるだろうか。答えは否だろう。

今この様な議論をしていること自体、被災者の方々、国民の総意だろうか。答えは否だろう。

かといって、今のままの状況で良いかといえばそれも否だろう。

政治家に限らず、日本人であれば、人それぞれ日本を愛する気持ちはもちろん持っているだろうし、この国を良くしたいと少なからず思っているだろう。その中でも政治家は、その為に私財をなげうってでも立候補しよう、という信念を持ち、その為の具体的なプロセスを踏んで、国民の信託の基に、今の立場にあるのだろう。そうであれば、みんな少なからず「公」の心を持っているはずだ。

ただ、政治家になろうというくらいだから、それぞれイニシアティブを取りたがる。これが「私」の部分であるといえる。それをグッとこらえるのが、未曽有の国難に直面した今ではないか。

リーダーシップと共に、組織論において重要になるのが、フォロワーシップである(興味のある方は「ザ・フォロワーシップ」2009年 ダイヤモンド社 をご参照下さい。)絶対的なリーダーがいない状況では、フォロワーシップが特に重要であると思う。

政治には政局がつきものだ。それをすべて否定する気はない。ただ、今は非常事態である。平時の常識は通用しないのだ。

対して、政権を運営する側も、懐広く、幅広く様々な提言や違う考えを持つ者の意志を尊重し、反映させていくべきである。

私は、民主党所属の地方議員であるが、仮に今とは違う立場であっても、同じ事を主張すると思う。

菅総理の、リーダーとしての資質や、民主党の政策について、ここで主張することはない。

私の中でも正直、それについては賛否両論だからである。

この国難の時こそ、平時にいがみ合っている政治家たちが、「私」を捨て「公」を貫き、一致協力して困難に取り組む。そういったリーダー達の姿を国民は欲しているのではないだろうか。