会社から久しぶりのおでんわ


相手のひとは


想像するに、かなり忙しい

想像するに、かなり疲れている

想像するに、かなり過酷な毎日を送っている

想像するに、かなり乾いている

想像するに、いつも戦っている

想像するに、いつも守っている

想像するに、いつも敵に囲まれている


ゆえに


駆け引きに勝つ能力とか

相手を出し抜く能力とか

自分に傷をつけない能力とか

相手を論破する能力とか


そんなやつで、全身の筋肉がむきむきになっている


鋼のヨロイも、切れ味のいい武器も、完全装備かもしれない


あー怖かった


自分がいまいかに牧歌的な生活をしていて

無防備な草食動物になっているかを思い知った


のり

ふと気付いた。
最近自己紹介ができない。

もちろん、どこで働いてて、どんな仕事内容かはいくらでもはなせる。
過去の経歴も容易に話せる。
セックスアンドザシティーのことについては話せる。笑

しかしながら、プライベートで会った人にいざ自分を知ってもらおうと思うと、自然と口と心が閉じてしまう。
何も話せることがないのだ。
文章も然り。
何かを書こうとしても筆が進まず、思考の整理も出来ない。
伝えたいこととか、考えたことを必死に伝えようって躍起になってたこともあったのに。

だから何も書けないことについて書くことにした。笑


…。



うーんと、まぁゆっくりいこう。


昨日リストラされてベトナムで仕事を作る仕事をしている先輩が来日中してて会って話した。
言わずもがな、感受性も鈍り、ろくな反応もできず、終いに私自身話したいこともなく、それは勿体無い機会損失をしたわけだが、混乱に出会えて良かったと思う。

彼らが話す幸せとか生き方のロジックだとか言葉がすっかり通じなくなっている自分に気づく。
働く中で使っている言葉とか考え方とか自分を納得させる為のロジックと、両者全く噛み合わないのである。
それで混乱した。


…。



成長成長ってことばが定義もなく馬鹿みたいにはこびる世界で、少しその言葉の定義が一つだけ見つけられたかもしれない。



「変化」だ。



固執していた考え方に、何か違う光がさすことだ。


人間老化や衰退と言った体の変化を恐れる。
同時に美化された心地よかった考え方や価値観が変わることにも同様の恐怖心を覚える。

細胞は一ヶ月で入れ替わるらしく、今ある皮膚や骨や髪の毛も全部入れ替わってるらしい。
つまり変化の中にいきてるというわけか。

変化を受け入れられず、ある一時点の考え方や感覚、体に固執し始めることから、苦が始まるって禅宗は言っていました。
大学時代はまった禅宗に、またこのタイミングで救われるとは。


制御できかねる感情や伴う行動について、言葉にして定義をくれるのが宗教だ。
言葉と数字とロジックはいつも心を助けてくれる。
身に染み入る。


何が本気かとか、どう行動すれば「本気」かなんて知らない。
時に定義と数字とロジックは人を殺傷する。


要はそれらとの付き合い方か。


ここまでいくと、自己紹介ができない問題について、一つの解が見いだされる。
変化を受け入れて、許すことから始めなければいけない。
一つひとつ。

色んなジャンルの判断軸と、それらの奥行きを身につけることが、変化の内容だ。

働きはじめて、その変化を一連のものではなく、完全に孤立した別物として捉えてきた。
全ては繋がってる。
そう、全部繋がってる。

自分の変化を生きる思し召しとして受け入れよう。
その場その場の考え方を全力で信じようと思う。
そのための方法論はいくらでもある。
分からなかったら、チーズケーキとタルトで迷ったときみたく、誰かに聞けばいい。


長く書いたなぁ。

人を選ばず敬意をもってこういう話ができる人になりたいな。



wantがあるうちは至極の幸せだ。




mon