また、
感染症が流行っているようですね・・

私の周りでもちらほら・・


心身の病気でも怪我でもそうですが

当事者・・の辛さが1番ですが、
その周りにいるサポートするひとも
色々不安だったり、

心配だったりすると思います。

特に
子供が・・
親が・・
パートナーが・・
 

と、自分の身に近ければ近いほど、
その、心配・不安は大きいと思います。

私も昔は
当事者に対して、
どうしよう・・
(ひどくなるとこうなる?ああなる?

どうしたらいい?)
なんでこうしないんだ・・
(薬のまないの?病院いかないの?

言うこと聞かないの?)

ということがぐるぐる頭の中で起こって、

イライラしたり、もやもやしたり。
でもこれには心配や不安が根底にある・・

からなんですよね。

でも、実際に何ができるかっていうと
何もできなくて、
(当事者の体のことだから)
できない自分を責めてしまう。

これの繰り返し。。。

当たり前・・なんですよね。
相手の痛みを自分の痛みとして
感じやすいですから、人間は。

で、です。

私自身がどう変化したかというと、
相手の痛みに敏感に反応はする
これは変わってはいません。

でも、
そんなときに、

相手をどうしたら?
相手が治るには?

そこばかり意識いっていたのが、

自分が感じている痛み

に、目を向けるようになり、
その痛みにタッピングを行う。

ということを繰り返してきたんです。

そして、どうなったかというと、

・過剰な心配をしなくなった

・相手を冷静に観察できるようになった

 

過剰な思考までいかず、
心配や不安を感じすぎないので
相手への心配・不安エネルギーが減り、
冷静に現実を受け止められるんですよね。

つまりどういうことかというと、

例えば、

相手が嫌だと
こちらのいうことを拒否したり、

薬や栄養を摂らなかったり、
現実的にそういう態度だったとしたら、
それを、
そのまま受け取る。

あーいやなのね
あー食べたくないのね、のみたくないのね

 

って。

 

そしてそのまま相手を観察する。

 

相手が大丈夫かどうかで、
自分の動きを判断する。

 

と、ですね。
意外に相手が素直になったりする。

意外に相手の回復が早かったりする。

 

相手の意思を尊重する。

心配のエネルギーは結局、

自分が痛みを感じていて、

自分が怖いから、

自分が嫌だから、

どうにかしようという、

もしかしたらエゴ・・なのかもしれません。

 

なんでもそうですが、

心配に意識を向けることで、

心配が増幅していく。

自分が意識をむけている

嫌な状況を引き寄せてしまう。

 

もし、

自分の大事な誰かに

トラブルがあったとしたら、

それに自分はどんな反応して

相手にどんなエネルギーを送っているのか?

そこに気づいていくのも
多分、
お互いによい結果へとつながっていく

道・・なのかもしれません。