『水はどの器にも入ります。
あなたは水だから、どの器にも入ることが出来るようにどの人とも、仲良くなれます。
水は水の人だけじゃなく色んな人が集まる。』
そんなことをママが言っていた気がする。

母ではなく、ママの方。

今の私にはそれは出来ない。

他と交わらない金がよかった。
自分がない自分が残念で仕方なかった。
昔から、ずっと。

人の口調や仕草はすぐ真似出来るし、うつる。
それ故に、自分の口癖も自分の性格も、ない。
マスクプレイな人生的ななんとか。
お面はいっぱいあるのに、残念ながら素の顔は、むじな。
色も何も、ない。
水は多種多様に変化するのに、無色透明な、それは誰しもが見てわかる、水という性格を持っているのに。
私は私は非常に残念です。
なりきる事なら出来たのに。

何にだってなれるのに、なりたい自分がわかりません。

こう書くと、どこかで聞いたお話。




泣いたっていいというのに泣けないのは、弱いからではなくて。

泣き方もわからない。
どんな風に泣けば私なのかということでして。

終わりの日も泣けずに、私は今ここで何を言い、何をすれば一番いいのかと考えていただけでした。

あの子等が私に頭を下げて感謝の言葉を言うのは、フェアじゃない。
ここに居て当然な存在だとしてくれたなら、私にはそれで良かった。
いつでも私は近くて遠いところにいます。

私は私を探したまま、私の影がずっと頑張っていたんだな。

昨日はただのわがままですね、あれはいけない。

どんなに意識がなくても行かなくてはいけなかったところだったのに。

お見舞いのバームクーヘンの話はまた明日。