異化世界と日本のコミュニケーションについて話をします。

登場人物に感情移入させるための演出が同化効果
登場人物に感情移入させないための演出が異化効果
 作者の作る世界の住人になってのめりこむための同化効果
作者の作る世界を一歩引いてみるための異化効果

それまでの記事で、演劇から始まった異化という表現方法が、現代アートにつながり、アニメでも技法の流行でもあるという話をしました。
という上でのお話です。



◆察する国日本
日本のお笑いとアメリカのスタンドアップコメディ、どっちが上か的な議論がありますが、私の中では種類が違いすぎて上下を議論できません。
政治や経済など世界共通の知識を直接刺してくるスタンドアップコメディと、日常の細かい点を見つけて尚且つ直接は指摘しないお笑い。
なんとなく精密で写実的な絵と、メタファーとスノッブの利いた現代アートどっちが芸術として上ですか?と聞かれているようです。


 

 これは生活の一部を切り取ったスタンドアップコメディですが、なるほどーとは思うものの、私には何がおかしいのかはさっぱり。しかし観客は大爆笑です。

 



私が好きなNakamuraEmiさんの「大人のいう事を聞け」でこんな歌詞があります。

大嫌いな先生のむかついた言葉が20年後になった今意味が分かった

 

 

今は分からなくても、数年後の将来にいつか分かってくれるから話す。そういう会話ができるのが日本人の特徴ですね。


日本は世界の中でもかなり上位の、異化された世界を察することのできる国だと思っています。本筋である何かを隠しても、その周辺に零れ落ちた要素をメタファーとして受けとり、難なく答えにたどり着く。
夏目漱石が月がきれいと言い、二葉亭四迷が死んでもいいというと、何を察すればいいか簡単にわかってしまう。
ダウンタウンのコントなんて、コンテンポラリーな演劇にも見えてしまいます。


空気を読み、行間を読み、なんだったら相手の要望の先回りさえしてしまう。
アメリカでそんなサービスあったらすごい。むっちゃ高額なサービスになりそうです。

 

それだけ日本の文化的な教育レベル、行動レベルは高い。

見た瞬間それが何かわからなくても、ググって調べることもできるので、余計にスキルが高まってます。





◆仕事に行間なんて無い
アメリカで仕事をしていると、メタファーとか言ってる場合じゃないんですよね。
なぜなら議論の最初の時点で日本だとびっくりするほど完成図のイメージがずれているからです。そしてそれをマジで正解だと思っているメンバーが、むちゃくちゃベクトルのずれた成果を出す可能性が往々にしてあるからです。


 

今私のチームでは、インド人、中国人、アメリカ人、日本人のチームで、イスラエルから品物を購入して、うちのチームで作ったものをスペインやインドでメンテナンスしてもらったりします。もうこれだけ文化が違うと読む空気も行間もどこにもないです。だからディテールまで突き詰めて事実を確認しないと話も進まない。
なので、普段ミーティングなど仕事をするうえで、どうとでも取れる表現なんてものは一切出てきません。
やるのかやらないのか、やってるのかやってないのか、何がトラブルで何で止まっているのか、優先順位はどっちが上か。それだけでミーティングが終了します。

 

 

日本人だったらわかるノリやキャラなんて誰も理解してくれませんし、ヨーロッパにはあるであろう敬語や婉曲表現なんて、アメリカで聞いたこともありません。
その代わり、年齢、性別、人種、お客さんか会社の人かなんて関係なく、誰もがフラットに話ができます。


アメリカでのキャリアの中心は絶対的に個人に依存します。
会社を盛り立てようなんてことは、株を持っている経営陣がやればいい事。

だから、仕事の定義はとても厳密です。仕事の範囲外は絶対やらないし、やるならジョブディスクリプションに追加して給料上げる。そういうノリです。
会社内での雰囲気は良いですが、助け合いとか教育なんてものはそこには存在せず、それぞれがプロフェッショナルとしてもらったお金と契約内容で仕事を決める。

 

 

与えられたミッションがこなせなければ、そこにはクビが待っています。
そして、私のいる1年間の間でも結構なlayoffがありましたが、人材流動性があるせいで、困った人もあまり見ませんでした。
(もちろんいきなり言われるので、その瞬間空気はピリピリします)




◆異化された会話の連続は宗教になる
日本での会社の会議は、前提となる目に見えないルールのたくさん詰まったうえでの議論になります。建前から本音を探って建前で返します。

本音と建前なんて、まるで現代アートに対して現代アートで語っているようにも見えます。
建前という単語はアメリカでは存在しませんし、概念さえないかもしれません。
 

秘書検定などに出てくる礼儀作法もそう。

どれもこれも本質的に相手への尊敬や気遣いを示そうとするものですが、少なくとも直接的ではありません。
 

また、キャラとかネタとか日常会話で頻繁に出てきますが、よく考えたら日本人全員役者みたいな感じでアメリカじゃ考えられないです。


ですが、異化された会話や言動は、一つの宗教といっても言い過ぎではないかもしれません。たくさんの解釈が生まれる文章や、メタファーに富んで間接的に意味を探らせる言動など、その本質的な意味をが伝統化して、誰にも分らない作法となっても、一つの儀式としてやり続ける。しかしその儀式や文章の意味は、意味を無くしたり時代が変わると反対の意味になることもある。憲法でさえ解釈で180度変わる国です。

 


そして、察しの良い日本人でも察し間違いは存在します。そうなったときに、この習慣は質が悪くなります。儀式を理解せず、伝統的なメタファーを察することに失敗すると、その人はあっという間に異端児になります。
その時代に適正な儀式の意味を理解し、それが合わなければ建前と苦笑いと無視と陰口が待っている。日本において空気読まない罪は重いです。。。

日本人は察しがいい。

しかし察したうえでの常識は、その人の強固なルールになります。
 

アイドルの恋愛禁止が誰もルールとして明言していなくても、

違反するとその子のキャリアを左右する事態になる。
 

言葉は独り歩きして本質でない意味に代わる。

本意でない言葉が言い方次第で炎上する種になる
 

日本での空気を読み間違えた時の、必要以上の罪の大きさたるや、10000キロ離れた場所からいろいろな炎上のニュースを見ると震え上がります。


サッカーワールドカップで、ポーランドVS日本の試合の印象は、日本人とアメリカ人では真逆でした。勝つこと以外に大事なものがあると、選手も観客も思っているのは、日本っぽいというか、少なくともアメリカっぽくはない思考です。

勝つこと以外の価値が勝つことよりも優先されるのは、少なくともアメリカではアート以外考えられないです。

 

全然関係ないですが、この動画、すげー良く分かる。日本もアメリカも正解。

 





◆詳しくなる事と進めること、どちらが重要?
メタファーに富んだ言葉や表現を謎解きのように説いていくのは、それでも私は結構好きです。それが分かるとなんとなく自分だけがこの知識を知ってるような気もするし誰かに伝えたくもなります。テクノロジーにもある種そういう面があって、日頃人々がクリックしているその裏ではこのような事があって、、、などが分かってくると楽しくもなってきます。
 

ただ、何かを詳しく知ることと何かを進めることはやっぱり別で、何なら反対にも見えます。
何かを進めるには、何かを知りすぎない方がいい。何かを知る前に始めて見て、人の反応をもらった方が早く進む。

今や歴史上の格言的になってしまった、この辺の言葉、
GoogleのFail fast, fail cheap, and fail smart
facebookのdone is better than perfect
日本人で実現できている人はなかなかいません。


 

 

私もこうして文章を書いてるぐらいですから、何か1個進めるのにも無駄な雑念まみれです。ですが、アメリカで仕事をしていると、その辺の言葉をもうちょっとポジティブにとらえるようになりました。

何かを進めるにはもっと雑でいい。
それがアメリカで仕事をしていて学んだ一つの真理です。

滅私奉公によるホスピタリティと、雑にでも進めることで生まれるイノベーション、どっちが良いかは常に頭に入れておくべき話です。
少なくともアメリカではチップのないホスピタリティは存在しませんし、ホスピタリティではチップしか稼げません。

 

どっちが良いかはその時それぞれですが、共通するのは何を売って何を買うのか、その商品は良いのか。それを上回るものは無いはずです。





◆失敗を自分で閉じない
とはいえ、日本で仕事をしながら、雑に進めてしまうと、儀式や空気を外した時に見えるほころびに、多くの批判や憎悪が見えそうです。
実際私もこれでグサグサ刺されました。そしてそれが今の若者が見るアニメで絶望として表現されるわけです。
それが原因で若者の希望が無くなるんだったら、トライアンドエラーを堂々と若者のネタとして公開しちゃえば良いんじゃないかと、最近になって思うようになってきました。
人生なんてそうさ、ネタ探しですよ。

 

 

 



しょーもない事でうだうだするぐらいだったら、それも込みで面白おかしくネタにしてやりましょう。
常識を外すのを恐れておじいちゃんでもないのに達観してしまうぐらいなら、いろんな違う常識を持ってる人と話して共通点見つけるのも楽しいもんだと。

 

最近の若いもんが、そう思ってもらえるような言動ができていれば、大人と子供の間にいる世代の私としては幸いでございます。