「何読んでるんですか?」
後ろから突然そう声をかけてきたのは、このカフェでアルバイトをしている少年だった。
ここ『ever blue café』は、わたしが3ヶ月前に見つけたお店で、夜に時間があれば、ふらっとよくここへ来ては本を読んでいる。今日は16冊目の本のラストシーンを読んでいる。そして、主人公の次のセリフに差しかかろうとしたところで後ろから声をかけられ、本の世界から現実へと引き返された。少し苛立ちを覚えたが、ここはいつもの笑顔で。
「あ、この本ですか?『time for memory』ってタイトルの小説です。」
「思い出の時間…。素敵なタイトルですね。」
そう言って彼は微笑み、レジの方へと歩いて行った。
なんだったんだろう…
今まで本を読んでいても、声をかけられたことなんてなかったのに。
そう思いながらふと携帯を開く。21時47分。
窓の外は雪が散らついていて、寒そうだ。
「そろそろ帰らなきゃ。」
そう呟きつつも、小説の続きが気になって、また本を開き、読み始めた。
最後のページを読み終わり、良かったなぁ、とほっこりしていたが、ハッと現実へと引き戻され、慌てて携帯を開く。23時52分。
「わ!やっちゃった!」
わたしの大きな声が店に響いた。
急に恥ずかしくなり、慌てて周りを見たが、お客さんはわたしだけのようだ。ほっと一安心。…って、安心なんかしてられない。
急がなきゃ!と慌てて鞄に本を入れて、上着を手に取り、レジへと向かう。
「こんな時間までお客さんがいるなんて珍しいんですよ。あなたが今日の最後のお客さんです。」
微笑みながらそう言いながらレジに立っていたのは、先ほどの少年だ。
「へへへ。つい、本に夢中になってしまって…。読み終わるまで現実に戻ってこれませんでした。」
なんて、笑顔で言って返してみる。
「そんなに夢中になる本なんですね。今度、僕も読んでみようかな。」
「あ、よければ差し上げましょうか?これ、古本屋で買った本なので、あまり綺麗ではないのですが…」
普段なら、是非読んでみてください。としか言わないはずなのに、こう言ったことに自分でも驚いた。
「え!いいんですか!じゃ、お言葉に甘えて。」
と笑いながら、彼は小説を嬉しそうに受け取った。
「読んだら、また感想でも聞かせてください。」
そう言ってお会計を済ませたわたしは、急ぎ足で駅へと向かった。
*
『195番目の話』
今読んでいるのは、195番目に出会った人の話の小説だ。出会った人の数をカウントしているなんてこと、非現実的すぎて馬鹿らしく思えるかもしれないが、その非現実的なのがわたしは好きだ。
いつもなら、家に帰って晩ご飯を食べてから、本を読むためだけにここに来るのだが、今日は大学での課題のレポートを書くために、学校帰りに店に入った。
やはり、15時は人が多くて騒がしかったな。なんて思いながらも、いつものカウンター席が空いていたので、カフェラテを注文して席に着く。わたしはここが一番落ち着くのだ。
名前も知らない少年に小説をあげてから、まだその少年とは会っていない。というのも、わたしがこの店に来るのも、家で本を読む気にならない日にしか来ないため、そう簡単に会える話ではない。だからといって、会いたいと思っているわけでもない。
レポートを書いたら、本の続きを読もう。そう決めて、わたしはカフェラテを飲みながら、ペンを進めた。
ちょうど17時のチャイムが街に響いてきたときに、出来上がったレポートを左によせ、本を開いた。
今日はあと30ページほどしか残っていないから、最後まで読んでも慌てて帰ることはないだろう。
そしてわたしは、また、本の世界へと入っていった。
携帯を開く。17時34分。
読み終わった本を置き、レポートを鞄にしまう。
ちょうどその時、後ろから聞き覚えのある声がした。
「195番目の話…かぁ。」
急に声がして少々驚きつつ、振り返ってみると、小説をあげたあの少年が立っていた。
「ごめんなさい、急に後ろで声をかけてしまって。」
と笑いながら彼は謝った。
「い、いえ、いいですよ。少しビックリしちゃっただけです。」
なんて何がいいのかよくわからない返事をしてしまったことに、言った後で後悔した。
するとその少年は
「まだお店にいますか?もしよければ、この間頂いた本の感想とかを話したいんですけど。僕、もうすぐバイト終わるんで。」
と、少し小さめの声で言った。
わたしはちょうどお腹も空いていたので、
「じゃぁ、終わったら一緒に晩ご飯でも食べながらお話しますか?」
と聞いてみた。
「はい!じゃ、終わったら呼びにきますね。それと
あと、これ、僕からのサービスです。これ飲みながら待っててください。」
そう言って少年はわたしの前にカフェラテを置いた。
「ありがとう。じゃ、頂きますね。」
そう言うと、少年はまた仕事へと戻って行った。
そのカフェラテには、かわいらしいウサギが描かれていて、わたしは自然と笑顔でそれを眺めていた。
パラッ パラッ …
カシャン …
誰かが本を読んでる
食器のぶつかり合う音
なんだか居心地がいいな…
ぼやけた景色が薄っすらと目に映る。
ここはカフェ?隣に誰かいる?
そしてハッとして、やっと気付いた。
「ご、ごめんっ!わたしったら…寝ちゃってた?」
「あ、起きましたか?すごく気持ちよさそうに寝ちゃってたので、起こすのもあれだなぁと思いまして。勝手に本借りて読んでました。」
少年の手には今日わたしが読み終わった、『195番の話』があった。
「え、あ、ううん、いいの。それ、今日は読み終わった本だし。それより、ごめんなさい。晩ご飯行こうって言っておきながら寝ちゃうなんて。」
そう言って携帯を開く。19時43分。
「え、わたし、すごい寝ちゃってたじゃん!」
すると、少年はクスクスと笑った。
「ほんと、なかなか起きないから、もう朝まで寝ちゃうんじゃないかって思いましたよ。でも8時くらいまでは起こさず待ってみようかなぁ…と。」
「お名前、なんて言うんですか?」
わたしは話の内容と全く無関係な質問をした。これはわたしの癖であり、あまりよくないことだ。
しかし少年は突然の質問にも関わらず、
「空川拓海です。あなたは?」
と聞き返してきた。
「わたしは此花蒼です。」
そして自己紹介も終わったところで、遅れてしまったが、晩ご飯を食べるためにわたしたちは店を出た。
外は思いのほか寒くなく、コートを着て歩くにはちょうどいい気温だった。
「蒼さんは大学生ですか?」
と、突然下の名前で呼ばれて驚きつつ、
「大学2年です。3月で20歳になります。」
と答える。
「え!僕より年下だったんだ。大人っぽいから、つい年上だと…。あ、僕はつい昨日21歳になったところです。」
大人っぽいからと言われても、21歳よりも上に見られていたことに、少し傷つく。
「大学、行かれてるんですか?」
と、なんとなく聞いてみた。
「大学は…1年で辞めてしまいました。夢、叶えたくて。」
「夢…?」
「はい。僕、カメラが好きなんです。だから、いろんな写真を撮って、そして、いつか個展や写真集なんかも出したりしたいなぁ、なんて思ってて。」
すごいなぁ…とわたしは言葉にできないまま、彼を見つめていた。
夢を話す彼の横顔は、今までで見た彼からは想像がつかないくらいに輝いていて、綺麗だった。
「ここ、行きません?」
そう言って彼の指す方を見ると、そこはオシャレなレストランだった。
うん、と頷くと、かれは微笑んで店へと入って行く。そしてわたしも入って行く。
店の中はすごく落ち着いた雰囲気で、そんなにたくさんのお客さんがいるわけでもなく、静かだった。
壁には写真が数枚飾られていて、ついついそちらに目をやってしまう。
「このお店に飾ってある写真は、僕が小さい頃に出会った写真家の作品なんです。僕の憧れの人の。」
そう言って彼は、少し懐かしそうに写真を眺めた。
「過去を思い出せる空間、みたいな感じですね。拓海くんにとって、このお店は。」
蒼さんと言われたから、つい自分も相手を下の名前で言ってしまった。しかし彼は気にしてはいない。そういう人なのだ、きっと。
「そうかもしれないですね。ここは僕の記憶を蘇らせる空間。」
そう言うと、何かを思い出したのか、少し悲しげな表情をして、そして、こっちをみて少し微笑んだ。
それから後は、ご飯を食べながら、ずっと小説の話をして盛り上がった。それは、すごく楽しくて、幸せな時間だった。
「今日はありがとうございました。すごく楽しかったです。そして、また本ももらっちゃって…」
「いえ、こちらこそ。こんなに小説の話で盛り上がったの、久しぶりでした。その本もなかなか面白いですよ。また、ぜひ、その本のこともお話しましょう。」
そう言うと、2人は、駅へと歩き始めた。
駅へ着くまでは写真の話をした。彼が初めて写真を撮ったのは飛行機雲だった、という話や、ファインダー越しに見える景色について、など、いろいろな話を聞かせてくれた。そして、彼の憧れの人だという写真家の写真集を貸してくれた。
駅に着き、お互いに連絡先を交換した。
「また、カフェにきてください。その時は僕もオススメの本をプレゼントします。」
そんなことを言いながら、彼はこっちを見てニコリと笑った。
彼の笑顔をみると、こっちもついつい笑顔になる。
かわいいなぁなんて思ってしまって、すこし恥ずかしさを覚える。
彼はわたしの最寄駅から2駅ほど行ったところに住んでいるらしく、電車は同じだった。
「じゃ、わたし、次で降りるので。今日はほんとにありがとうございました。」
そう言うと、彼は
「こちらこそ、ありがとうございました。よければ、また、行きましょう。」
そう言って、ホームに降りたわたしに、窓から手を出して振り続けてくれた。
今日は素敵な1日を過ごせたなぁ。
好きなものを誰かと共有する。それがどれだけ楽しいことかを、改めて分かることができた。
行きつけのカフェでの小さな出会いが、どこまで大きく広がっていくのかはわたしにはわからない。
しかし、わたしの日常は、きっと、少しずつ変わり始めているのだろう。
次はどの本を持ってカフェに行こうか。
そんなことを考えながら、わたしは今日にさよならして、また新しい朝を迎えに行く。
また、明日。
おやすみなさい。
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1おわり
