クラッシュ
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同じ花を見る

共視論


北山修さんの本を読んで最近この言葉が脳内で活躍してますね。


北海道で暮らした子供時代から結婚し子供が大人になり

旦那は実家に入る為に職を捨てた。


旦那の身内との確執もあり様々な理由で

いつの間にか「同じ花を見なくなった」のですね。


北山さんの本の中では「母子像」として

日本の浮世絵とかの母子は抱っこをし、母親と同じ目線で

同じ景色を共有している作品がとても多いという。


確かに子供に対して同じ目線で遊んだり抱っこしたり

景色や電車やダンプカーとかを「ほらあれが電車よ」って言った記憶がある。



その同じ物を見て共感する行為というのは

実は日常的でありながら、かなり重要な行為であった事を

今更ながらに実感はしている。


毎日出会う誰かのペットの犬の話とか

一緒に観たDVDの話とか、今日の月は綺麗だったとか

とても他愛の無い会話の中に共存する安心感を

多分無意識のうちに温存していて、それの価値観って云うのは

失わなければ気がつかないという厄介な感情であって


そこでノスタルジーというものに浸って行く事になるんだろうなと。


しかし母子もそうであるように、人間はいつまでも同じではない。


変わってしまった物を追い求めても戻らないのである。

しがみ付く行為は自分の人生を無駄にする。だから忘れる(笑)


忘れる為にはどうすればいいか。

仕事するでも良し、ライブ行くでも良し、まずは腰を上げて何かやってみる事だな。

原発と政治は別物で考える

「原発解散」はアリ?ナシ? ブログネタ:「原発解散」はアリ?ナシ? 参加中

私はナシ 派!

本文はここから
脱原発を前面に出せば国民の受けが良いと云う利用のされ方は良くない。

私自身数十年前から原発反対の考えをして、
高木仁三郎さんとか広瀬隆さんから
色んな情報を頂いた結果、当時のマスコミも政府も
共産党以外はおおよそ容認派で
自民党中心に推進路線で、その危険性を訴えた高木氏、広瀬氏は
身の危険を感じる程の圧力を
電力会社や政府やマスコミ原発マフィアに関わる人間から受けています。

それが一転して、昨日まで推進していた人間まで脱原発論を発信しだした。
マスコミも同様だ。スポンサーの関係ではあるが、
信念を持った情報を流していなかった。

ここでヒステリックに民主を自民に変えたとしても、
元を正せば自民の打ち立てた原発路線
地元の雇用問題も誘致で落ちる莫大な資金も、
市長町長知事、最終決定権のある政治家も
おおよそ想像もつかない程のお金をばら撒かれている。
この構図を今日から変えろと言うのは
多分共産党以外の党では無理なのではないかと想定します。

だからって共産党にやらせろなんて言ってない。
そのほかの国家としての政治は別なのだって事。

「原発は核問題・その問題に対してだけの国民投票」をする。

単純に事故が起きた。驚いた。怖いからすぐストップしよう。

何十年も知らない、見ないふりしていた国民にも責任はある。

現地の人間も同様です。危険性を知ろうとすれば
旧ソ連の前例があるにも関わらず
日本は技術力が高いので大丈夫と簡単に考えて居た人も無能過ぎなんだ。

あの事故が起きる前は脱原発を訴える人間を鼻で笑ってただろう国民

真剣に考えるなら安易な「交代させろ」だけで済まない事を言うべきではない


「原発解散」はアリ?ナシ?
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