夫をひとりドイツに残して帰って来て、2週間が経ちました。

ドイツへ行く前は、、、

「夫は海外の生活に慣れているから、むしろドイツで仕事をすることは夫の精神状態に良い」
「日本でノルマに負担を感じるより、研究のみになる方が体への負担が少ない」

と私は考えていました。

しかし、50歳をいくらか過ぎて、初めての土地、しかも旧東圏、右傾化が進むドイツで暮らすことは、やはり負担が大きかったのかもしれません。

毎日フェイスタイムで話しをするのですが、夫は元気がありません。また少し痩せたような気がします。

私が一緒にいた1ヶ月間は、買い物も、料理も、洗濯掃除も、私がやっていました。

でも今は、すべて一人でしなくてはいけない夫。

一人暮らしが長かった夫ですが、今はそれを楽しむのではなく、いくらか苦痛のようです。

夫が、海外一人暮らしをしていた頃の楽しい話しの数々は、美化された、補正された思い出だったのかもしれない、と思うようになりました。

英語もドイツ語も、自慢していたほど上手ではなく、それも私が悲しくなる理由のひとつです。

(私は学生の頃ドイツ語を少しやっていて、ドイツのおばさまとメール交換などをしていたので、現地に慣れるのがいくらか早かったんですが、夫は、、、)

良い野菜、良い水、おいしいパンの買えるスーパー、美味しいアジア料理店、ドラッグストア、雑貨店の場所から、洗濯機の使い方、ごみの出し方、掃除の仕方、、、

いろいろとメモを残して来ましたが、孤独で無精な暮らしをしている様子です。


そうなんです。

夫がこんなに、寂しがりやで、気が弱くて、素直じゃなくて、子どものような人だったと、強く思わずにはいられないことが、悲しいです。悔しいです。

海外で仕事に打ち込む、というのは、生きている間の自己実現、というのではなくて、不安な気持ちを打ち消す手段だった、、、

そういうことだったっていうことは、本当は最初から心のどこかで気づいていたのかもしれません。

でも、最初は、そういう風には私は思いたくなかったし、言えませんでした。



夫も同じだと思います。

フェイスタイムで見る夫の顔は、本当に、なんともいえない表情です。

こんな状況で、あと4ヶ月も一人暮らしとは。

病気が悪化するのではないか、と心配が募ります。

でも、やはり、本人が出した計画であり、実行に移した訳だから、ぜひやり遂げて欲しいと思います。

鬱病にならず、生きて帰って来て欲しい、今日は本当にそう思いました。