熊本県阿蘇にある

風の丘阿蘇大野勝彦美術館に

行ってきたの。

 

館長の大野勝彦さんは

両手が義手のアーティストで

彼が創り出す絵と文字は

心からの声で

人生の指南をしてくれるんだ。

 

先生は手を事故で失ってる。

 

阿蘇にいって

大野先生に会って

あの笑顔と

義手で

抱きしめられて

大野先生の声で聞いてほしいけど。

 

でも今日はわたしが話すね。

 

そして先生から聞いた

そのままを話すから

手がなくなった様子を

聞くのは怖いひとや

体調が悪いひとは

 

今日はここで読むのをやめてね。

 

あなたのタイミングで

大野先生を知る機会が

くると思うから。

 

 

 

☆☆☆☆☆☆☆☆

 

 

 

 

先生は45歳の時に

農機具に手を挟まれてしまった。

 

それは回転する機械で

挟まれた手は中へ中へと

引っ張られた。

 

思わず反対の手で

助け出そうとしたけれど

そちらもまた

機械に飲み込まれて行ったの。

 

抜こうと引っ張っても

抜けない。

 

助けを呼んだ。

かーちゃーん!!

かーちゃーん!!

 

お母さんはすぐに出てきてくれた。

 

どーしたとね!!!

先生はお母さんに頼んだ。

かーちゃん

機械のスイッチを切ってくれ!!

 

お母さんは

その機械の

スイッチの切り方が

わからなかった。

 

そして息子の手が挟まれて

潰れていく様を見て

その場で

気を失ってしまった。

 

大野先生は

『あの時冷静だったな』と

振り返ってた。

 

このままでは

両手を失うか

命を失うか

どっちかだ。

 

抜けない。

 

ならば

手を引きちぎるしかない。

 

一旦機械の方へ体を寄せて

反動で後ろ方向へ。

 

手は

ちぎれた。

 

何本もの筋と

骨が2本見えたという。

 

たくさん血が出た。

 

いつもは帰ってくるはずのない息子が

なぜかその日帰ってきた。

 

とーちゃん

どーしたとね!!!

 

息子にタオルで止血をしてもらい

救急車を呼んでもらった。

 

病院について

すぐに

手術になった。

 

麻酔が効くのが遅くて

まだしっかりしていたけれど

看護婦さんたちが

話しているのが聞こえた。

 

かわいそうにね

命はないらしいよ。

 

そうなのか。

命はないのか。

 

でも先生は

翌日病院のベッドの前で

目が覚める。

生きてた。

 

その時に祈ったんだって。

神様

もう一日だけ。

もう一日だけ命をください。

 

僕はまだ

誰にもありがとうを言ってない。

ありがとうを言う時間をください。

 

大野先生は

ずっと農業をしてきた。

その地域では右に出るものは

いなかった。

だから威張ってたんだって。

 

家族には

俺が農業やってるから

生活できるんだぞって

言ってた。

俺のおかげでって。

 

感謝をしたことなど

なかったし

いつも何かに怒っていた。

 

 

僕はね

 

両手を無くして本当によかった。

 

僕は

 

両手を無くさなければ

 

人に感謝することも知らずに 

 

生きていたと思う。

 

そう話してくれた。

 

大野先生の講演

大野先生の絵に添えられた

心の叫び。

お母さんへの愛。

お父さんへの言葉。

 

これはまた

お伝えするね。

 

いつか美術館に行ってね。

そして行く時は

しっかりと時間をとって

見て感じてきてほしい。

 

大野先生と会えたらいいなと思う。

 

わたしは

先生の講演でいくつもいくつも

心に宝物の玉が飛んできたように

感じたの。

 

自分の生き方についても

伝えるってことについても

宝物の玉を受け取った。

 

あ、写真の書はね

わたしのお友達が

プレゼントしてもらったんだ。

 

その日そのお友達は

誕生日だったんだよ。

大野先生と同じ誕生日。

 

その日にそこにいること

それも自分が選んだこと。

すごいよね。

 

わたしがもらった宝物の玉

おすそわけするね。

玉は言葉だよ。

 

続き、また書くね。

 

今日も読んでくれてありがとう。