こんばんは。
今日は「私たちは生まれながらにしてどれだけ素晴らしい存在かを忘れてしまっている」というお話です。
古くからある禅のお話です。
ある赤ちゃんライオンが森の中でお母さんと離れて迷子になってしまい、羊の群れで育てられることになりました。
そしてある日、羊の友人たちとみんなで遊んでいると年老いたライオンが目の前を通りがかりました。
その年老いたライオンは一度は通り過ぎたのですが、ライオンが羊と一緒に群れているのを不思議に思い、ライオンの子を池に連れていき、水面に映った自分の姿を見るように言いました。
「自分の姿をよく見てごらん」
水面に映った自分の姿を見たライオンは、
本当の自分に気づき羊の群れを後にしました......
私たちの多くは自分がライオンであることを忘れたライオンです。
社会が奴隷を望んでいるので、従順な羊の群れにいると奴隷のように生きるように自然と教育されていってしまうのです。
社会がどんな奴隷を望んでいるかというと、経済を中心に生きる奴隷です。
欲しくないものを欲しいと思わせ、もっと稼ぎ、もっと売り上げを、もっとお金をと多くの企業はお金のために身を粉にして働く人を求めています。
陰謀論も囁かれていますが、これは人間の自我がなせる技なのかもしれません。
結局、エゴは自分の思い通りに動いてくれる人を求めます。
自分のエゴを満たしてくれる人になるように無意識のうちに他人をコントロールするのです。
自分のパートナーや子供、ペットに対しても無意識に生きていると相手のそのままを愛するよりも、自分のエゴにとって都合の良い存在にしようとしてしまいます。
そして、愛や可能性溢れる存在として誰もが生まれてきていますが、大人になる頃にはその輝きは影を潜めてしまうのです。
お互いがお互いを小さく、萎縮させていってしまうのです。
良すぎてはいけない。秀でてはいけない。
こんな呪いが実際の世界でも起こっているのではないでしょうか。
どこかのタイミングで、人より優れてしまうと仲間はずれにされると感じれば、自分を抑えて生きるようになるでしょう。
出る杭は打たれると言いますが、それはおそらく家庭や学級、会社などでもあらゆる場所で気がつかないうちにいつも起こっていますし、それどころか嫉妬されて打たれる前に、目立ったり杭が出ないように自分で調整してしまっているのです。
学校や会社では従順でいる人、与えられた基準に合う行動を取れる人が高く評価される傾向があります。
また、言葉では直接言われなくても親御さんや、上司や先生を超えないように無言の圧力をかけられていることも少なくありません。
そうでなくても、相手が好きだから相手を立ててあげなければとか、自分は譲ろうと自然と相手に譲り自分を小さく留めてしまうことだってあるのです。
「自分を超えるな」という権威に育てられたり、権威を超えないように生きてきたとしたら、人類はどんどんどんどん小さくなっていったに違いありません。
小さく育てられた者が、次の世代をさらに小さく育てていく。
超えないように、超えないようにと。
私たちはそうやって世代を超えて自分本来の大いなる本当の姿を忘れてきたのかもしれません。
小さな人たちに囲まれて、その人たちのように振る舞い、その人たちのように小さくいなければ見捨てられると怯えながら......。
残念ながらこれが自我が作り上げている「社会」です。
相手が自分を超えていくことを許さず、嫉妬し足を引っ張る...
相手を超えることを自分に許さず、自分を抑えてしまう...
制限のかかった自分の方が当たり前だとみんな集団催眠にかかっているのです。
生ぬるい人生を、人生とはこんなものと羊の群れの中で諦めて生きているのです。
一部の特別な人間だけがライオンだと、自分は羊なのだと思ってはいないでしょうか。
最近、WBC決勝前に語ったと言われる大谷翔平選手のこんな言葉を聞きました。
対戦相手は野球をやっている人だったら誰でも知っているような超一流の選手ばかりだったそうです。
そこで、大谷選手はチームメイトに......
憧れてしまっては超えられないので、
僕らは今日、超えるために、トップになるために来たので。
今日一日だけは彼らへの憧れを捨てて、
勝つことだけ考えていきましょう
そう、話したそうです。
他の人に憧れない。
それは、「本当の自分の素晴らしさを思い出していること」だと私なりに解釈しました。
大谷選手はそのようなマインドを持っているからこそ、どこまでも自分の可能性と才能を輝かせることができているのかもしれません。
誰かに憧れたり、誰かに合わせて自分を小さくしないからこそ、他の多くの人たちに制限を超えていけるということを自分の生き方でもって示していくことができるのですね。
まずは自分はライオンであったことを思い出し、
羊ではなく「ライオンの人生」」を生きたいです。