先ずはアメリカ
私が渡米した時には差別的要素があった
>私は経験がなかったが見てると
すれ違う人々からは強すぎる香水の匂いが
鼻につく
☆コラッ
お次は
ロシア
出国する時の手荷物検査で機内持ち込み用のバッグから携帯電話を3台盗まれた
>係員が盗んだ
丁度
搭乗口に入ろうとした時に何気に振り向いたら係員がバックの外側のポケットを触ってた
>因みに係員はロシアに近いアジア人のおばちゃんだった
☆コラッ
日本に着いた時に私とロシア人彼女の携帯が無くて不便だった😭
次は
フィリピン
可愛い女性職員に名前入りのシール貼られてからは出国がスムーズになった
でも
それまでは大体3人組のオッサン職員に囲まれてお金を要求されるのが普通だった
>皆んな私より小さいのに3人で取り囲んで「一万円.一万円」と出すまでお経の様に唱えられた
お金の単位の日本語だけは覚えたのかな?
☆コラッ
日本に帰国時にエンジントラブルで欠航になった時
すると
私はビジネスクラスだったので最初男性職員に誘導されたが
直ぐ近くに居た
女性職員に誘導され職員専用通路から外に出ると1人一台ずつホテル専用カー?でシェラトンホテルのスイートルームまで送迎された
>エコノミーの方はバスで別のホテルへ
私の便が離陸する迄いつも空港内で見送ってる彼女がいち早く欠航に気づき職員に聞いてシェラトンまで駆けつけて一泊した
>いつも私の便が離陸する迄空港の片隅で見送ってくれてるのを初めて知った
フィリピンには
この彼女の為だけに行ってた
>一度を除き
☆コラッ
*いつか彼女とのフィリピンでの合計やく1年に及ぶ生活を書く予定
お次は
ウィーン
ウィーン空港の駐車場を挟んで直ぐにホテルが何ヶ所かある
その一つのホテルに滞在した
>何と皆んな大好きフィリピン人が受付で働いていた
☆コラッ
因みに部屋の掃除や空港内での掃除の方はアフリカ人の方が多かった
空港そのものは古くても威厳がある建物で1階にはスーパーもあった
>それなりに広く生鮮食料も販売してた
出国時には
ゲートの近くに広いカクテルバーがあり其処でカクテルを飲んでて飛行機に乗り遅れるところだった
>わざわざ館内放送で出国のアナウンスをしない
常にカウンターでグラスを持ちながら時計と睨めっこして酔っ払うと言う高等なテクニックが必要だ
☆コラッ
最後はウクライナ
現在もでウクライナ侵攻で国民は辛い生活を余儀なくされてる
空港の思い出は
入国時にウクライナ人の彼女がドライバーと一緒に迎えに来てくれたが
長旅と時差ボケで朦朧としてた
手続きを終え出口に向かって歩いてると
不審な人が目の前に立ってるので5mぐらい避けて歩いて行くと又私の真正面に立ってきたので良く顔を見ると彼女だった
>当たり前だろ迎えに来たんだから
☆コラッ
専用ドライバーが
凍結してる高速道路を時速100キロオーバーで走行してる
見ると路肩に時々車が突っ込んでる光景が
>隣の彼女を見ると顔色一つ変えないので男の私が速度を落としてくれとは言えなかった
まるでチキンレース状態
☆コラッ
帰国時に空港内の職員が雨が降ってるので
バッグをビニールで巻くから手数料をくれと言われて
目の前でサランラップの大きいの見せてきた
お金を払って2人の男性職員に頼んだ
>2人とも体格が私と同じで欧州男性の標準ぐらいだった
ウィーンに着いて荷物を探してると何とチャックが開いてるスポーツバッグを発見
私のバッグじゃないか?
中を確認するとバレンシアオレンジカラーのワイシャツを盗まれた
ウクライナ空港の職員だな
体格が同じだったので
☆コラッ
でも
滞在中クリーニングに出さなかったから襟足が汚れてるのに盗まれた
1枚ぐらいくれてやるから
せめてチャックぐらい閉めてくれよ
他の私物も外に出てしまうじゃ無いか
>2人居たのにワイシャツ一枚だけ盗む?
1人は真面目だったのか?
☆コラッ
#長旅にはスポーツバッグを利用する
列に並んでる時に足で地べたのバッグを移動するのが好きで傷ついても平気だから
キャリーバッグはスーツの時しか利用しない
其々の空港の思い出でした