病室の静けさが教えてくれたこ


# 病室の静けさが教えてくれたこと──入院患者の「つながり」をもう一度


## 昔の病室は、まるで小さな「社会」だった

私が入退院を繰り返していた約30年くらい前、病室は今よりずっと賑やかだった。
隣のベッドの人とテレビの音を分け合い、回診の合間に世間話をしたり、将棋やトランプで時間を潰したり。
病院内での喫煙も当たり前だった。
「早く退院して飲みに行こう」なんて冗談を言い合える空気が、そこには確かにあった。

今思えば、それは「患者同士のコミュニティ」だったのだと思う。
病院という閉ざされた空間の中でも、笑い声が響く病室は、人の温もりで満たされていた。

## 今の病室にある「静けさ」の正体

ところが、最近の入院生活は一変した。
同室者と会話を交わすことはほとんどなく、皆イヤホンを耳にし、スマホやタブレットに視線を落とす。
話しかける隙もないほどの静けさ。
まるで図書館のようだと感じることもある。

喫煙所もなくなり、「ちょっと一服しながら話す」こともできない。
医療技術が進み、病院は清潔で快適になった反面、人と人との「雑談」や「気配」までがまったく消えてしまった気がする。
孤独を感じるのは、病気のせいではなく、この静けさのせいなのかもしれない。

## 認知症高齢者の増加が変える入院風景

さらに最近では、入院患者の多くが高齢者、そして認知症を抱える人たちになっている。
夜中に名前を呼ぶ声、ナースコールの音、そして誰かのため息。
病室の静けさの中で、それらの音だけが妙に響く。

かつての「賑やかさ」とは違う「ざわめき」が、今の病院にはある。
それは、日本社会全体が高齢化という新たな段階に入ったことの象徴でもあるのだろう。

## なぜ、会話がなくなってしまったのか?

私なりに考えると、いくつかの理由が浮かぶ。
まず、プライバシーへの意識が高まったこと。
カーテン越しに声をかけるのも気が引けるし、個人情報の扱いが厳しくなったことで、患者同士の距離が遠のいた。

次に、スマホの存在。
昔なら「暇」をどうにかするために話しかけていたが、今は画面が相手をしてくれる。
無言のまま時間を潰せる便利さが、知らず知らずのうちに人とのつながりを奪っているのだと思う。

## それでも、つながりは必要だと思う

とはいえ、私は思う。
病院という場所ほど、人の温もりが必要な場所はない。
痛みや不安を抱えながら過ごす時間の中で、同じ境遇の誰かの「わかるよ」という一言が、どれほど心を軽くするか。

昔のようにワイワイと騒ぐのは難しくても、小さな声で「おはよう」と言い合うだけでも、空気は変わる。
看護師さんや医師では埋められない「患者同士の支え合い」を、もう一度取り戻せないだろうか。

## 病室コミュニケーションの新しい形

現実的には、昔と同じ形の交流を復活させるのは難しい。
けれど、工夫次第で新しい形のコミュニケーションは生まれるはずだ。

たとえば、病院内での小さな「読書会」や「手紙交換」。
オンラインを使って、同じ病棟の人たちが匿名で思いを共有できる掲示板も良いかもしれない。
大切なのは、「誰かとつながっている」と感じられる瞬間を取り戻すことだ。

## 静けさの中にも、あたたかさを

病室が静まり返っていても、心まで静かである必要はない。
ほんの少しの言葉、目線、うなずき。
それだけで救われる瞬間が、確かにある。

私は次に入院することがあったら、思い切って隣の人に話しかけてみようと思う。
「今日のごはん、どうでした?」
そんなささやかな一言が、病室に新しい風を吹き込むかもしれない。

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出典:東洋経済オンライン「患者をほかの病院へ転院させたほうが“得”…現役医師が指摘する「高齢者医療」の深すぎる闇」