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中西選手の覚悟。 のがみ

後楽園。

永田中西戦を実況しました。

中西選手の突然の対戦要求でこの一戦は実現しました。




実は、この戦いを前に、永田さんがこんなことを言っていました。


「何故このタイミングで急にシングルを要求してきたのか。50歳を前に、まさか俺との戦いを最後に、引退するなんて言い出さねぇだろうなって。深く色々考えていくと、そんな不安も頭に過ぎるんだよな。あまりにも突然だったから…。だからこそ、まだまだ頑張るぞ!って示せるような戦いをしなきゃな!……。実況たのむぞ!」




永田さんの話を聞いて以降、
胸がざわざわしていました。



試合前、



中西選手に話を聞くことも出来ました。



悲壮なる覚悟を決めた、引き締まった表情で、言葉数は少なく、ただ、こう話してくれました。



「永田のこの1年の奮闘はすごかった。尊敬してる。だからこそ、今永田と戦いたいんや。俺の身体に染み付いてる“戦い”を永田に思いきりぶつける!このままじゃ、年も越せない!」




私は中西選手の話を聞いて、
よもや、永田さんと話していたことを中西選手にぶつけることなど出来るわけもなく。




その言葉の力強さに圧倒されるばかりでした。





ゴングが鳴って、その戦いは、壮絶な戦いになりました。



実に、7年4カ月ぶりの永田中西一騎打ち。



中西学の全てを受け止めようとした永田裕志。




相手に対して1ミリも容赦しない。


雪崩式エクスプロイダーが繰り出された時にはドキッとしました。



中西選手の、ジャーマンスープレックスが出た時には、胸が熱くなりました。




中心性脊髄損傷。


生死の狭間を彷徨いながら、
絶望の淵から這い上がり、


ついに盟友と戦い、
そしてついにだしたジャーマン。




中西学の全てが、


いや、



中西学、永田裕志の全てが、



凝縮されていたような試合でした。






でもクライマックスは最後に訪れました。





戦いを終えて、
永田さんが、
人差し指を、
突き立てたのです。



それに応じた中西選手。




どんな言葉を交わしたのか、




聞かなくていい。


想像するだけで、もうじゅうぶん。



実況しながら、涙をこらえました。



ふと隣を見ると、



解説の山崎さんも、目頭が熱くなっているように感じました。



きっと山崎さんも、様々な想いで、あの一戦を見ていたことかと思います。












来たる1.4東京ドームのカードに、
2人の名前はありません。




でも確かに、



2人だけの東京ドームが、
あの日の後楽園にはありました。




これもまた、プロレス。



これこそが、プロレス。





実況者として、

想いがのって、

ときどき魂が震えるような瞬間に出会う時、



また明日からも頑張ろう。


と、漠然と思うのです。