被災の映像を見て、



夢でありますように、と。



その一瞬私は、ここにいなくなって、その中に引き込まれていた。



硬直するようなその津波の威力の前に、



胸が苦しくなった。






友達が、大学に合格した。いろいろあって、二浪してやっと受験から



解放されたのだった。



おめでとうってメールしてから、



短い返事でも、喜んでいる顔が浮かんだ。




時間は平等に流れていた。




離れている自分に、



何ができるんだろうと、考えていた。



お悔やみもお祝いも何もできない私は、



夜道をゆっくり歩いていた。





曇っている月を見上げた。



「みんなが幸せでありますように。」


どこかにつかまっていないと、


あっちへ遠く飛ばされそうだ。


手と足の存在がなくなって、



ここがどこだかわからなくなってしまったら、


その時はたいへんだ。




誰かの声を思い出す。



私を呼ぶ声。



呼んでくれる声を多く思い出せたら。




私は、またベッドへ戻ってこれる。


なにげなく見ていたテレビからの言葉が、残っている。

「いまを一生懸命生きること。

 焦りはいらない」と。


心配になって、あれもこれも、やろうとして、

結果がうまく出ないことに、焦って、

どうしたらいいかわからなくなる。

急いでしまう。


なぜ、心配になるのか、

なぜ、不安になるのか、

わかっている。


わかっていても、どうしようもできないこと。


それは、花や野菜を育てるように、時間をかけてゆっくりじっくり

取り組んでいくこと。


「やりたいようにやるから、待つ時間すら楽しい」と。


助けを求めてしまった私に、自由はないと思っていた。

支配されることから、避けてきたのに、

私は、またここにやってきた。

それを、どこがで逃げで来たことだと、自分を責めていた。

そして、支配されることを、諦めていた。


「自由に好きにしていい」という言葉が、

いま、私の中で、大きくなる。


夢を見せてくれる。


会いたい人に会いにいくこと。

それを実現しようとする私は、楽しい。


やりたいことをする私は、楽しい。


さぁ、どうする?


・・・そんなのわかっている。