滋賀県・彦根。
琵琶湖に面し、竹生島への観光船の船着き場でもあります。
そして多賀大社のあるところ。イザナギ・イザナミさんに因んだ聖地があります。
意外なことにあの不比等の屋敷が彦根にあったわけです。
不比等は娘たちを天皇を始めとした有力者に嫁がせ、今に続くその後の藤原一族の栄華の基礎を築きあげます。
一方で、この彦根にあまり有名でない不比等の娘の墓があります。千代君の墓
http://ub.shiga-u.jp/spot_view.asp?action=view&spot_id=208
一説に不比等の邸宅は法華寺であったともいわれているので、都の邸宅に対してこっちは領地の邸宅という関係なのかな?
他の娘たちが権力の頂点へと嫁ぐ中、ひっそりと領地に残った姫は、母の位が低かったのか…
ニコニコけいこ&ヤンズ・コラボの会場となった夏川記念会館の通りを隔てた所に、千代神社があります。
千代神社 http://www.chiyonomiya.com/about.html
主祭神 アメノウズメノミコト
明治までは千代之宮と称したそうです。彦根で一番古い神社。
不比等の娘の千代君と同じ千代の宮。ほんとは千代君を祀ったものか、千代が建立したのか、千代の住まいだったから千代之宮と言われたのかもしれない。
ただし千代之宮はもと佐和山の麓にあったそうです。
あの大物不比等が、滋賀県の彦根というマイナーな場所を本拠地にしていたというのは意外に思われるかもしれませんが、思い出してください。あのホツマツタエはこの近江から全巻発見され(高島)、ホツマツタエによれば、初代クニトコタチが日本という国を造り宮を構えたのは、近江です。
この国をおさえようとする者、日本の成り立ちを知る者が近江を自ら治めることで、近江を押さえておこうとしても不思議ではありません。
さらに記紀を編纂した黒幕が不比等と言われる中、記紀のオリジナル・下敷きとなったホツマツタエの土地に居たのが不比等であることも納得しませんか?
不比等はホツマを手にしていたでしょう。
そして記紀を編纂後は、焚書したに違いありません。オリジナルが残っていては都合が悪すぎます。
信長も安土に城を構えましたね。もちろん京に上るための拠点だから、といえますが、日本を押さえようという野望を抱く者にとってのポイントとなる土地だとわかっていたのかもしれません。
不比等の次に日本の歴史をすげ替えるのは自分とでも思ったか?
彦根駅前には彦根の歴史に関する碑があります。
そこには不比等の収めた土地であったことと、桜田門外の変で有名な井伊直弼の井伊家が不比等の末裔であったことが記されています。
すくなくとも江戸時代くらいまで、みんな自分の出自と歴史的な認識のもとに政治が動いていたということです。不比等の領地に不比等の末裔がやってきて治める。偶然ではないでしょう。
愛荘町の淡海公御墓
http://blog.goo.ne.jp/hikonejou400/e/595edfc1bed4ebd5a012a7153edefb8e
不比等の墓ともいわれる石碑です。