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anan1951の息子です。

 

2023年3月7日08:59

父ですが天寿を全う致しました。

いきなりのご報告となりびっくりさせてすみません。

せっかくなので少しお話させてください。

 

あれからの父ですが、動けないなりにも元気でいました。

あ、父はなんか呼びづらいので親父で呼ばせてください(笑)

自分は父から会社を3代目として継承し、日々仕事やお付き合いがありながら親父に風邪やコロナは移せないと警戒しながら頻繁には会いに行けず、たまに話しをしに行く程度でした。姉が二人いますが姉達も気を遣いながら親父のとこへ訪問しに行っていた感じです。

2023年2月28日。朝方、車いすから転倒してしまいました。急遽実家へ呼び出され、自分と母で倒れている親父をベッドまで担いで寝させました。幸い怪我は無かった模様で。

その日の夕方の事です。親父が母と子供達全員の顔が見たいからきてくれと呼び出されました。なんとなくですが悟ったのでしょうか。家族みんなも言わずとも分かっているような状態です。

みんなそれぞれ思いの丈をぶちまけました。

自分は31歳にして代表となり、3年間会社を運営して自分なりの行動の仕方で親父のやり方とは変わりますが「今」があります。親父とは相談しなくてもなんとかやってけるようにはなってきました。

正直に親父の存在がいなくなったら不安だ!とか本音をぶちまけようかと思いましたが(笑)

安心して送り出してあげたかったです。俺が繋ぐから安心しろと。いつまでも見ていてくれと。若いからまだまだ長生きしてくれと伝えました。

多分親父も自分には言いたいこと沢山あったでしょう。でももう息子がやっているんだからってんで口は出さないんです。そういう人なんです。かっこいいでしょ。なんか漢ですよね。そういう背中をずっと見てきました。

親父は子供達が健康にいい子に育ってくれて良かったと言っていました。親を見て子が育つんだからそれはそうでしょうね。

母には本当に有難うと。幸せだ。愛している。と伝えていました。嬉しいですよね。子供からしてみたらいきなり惚気だしてこっ恥ずかしいですよ。

言葉って大事ですね。とにかくその日は家族5人でそんな話をして解散しました。

それからちょうど一週間です。苦しまず、眠るように。本当に静かに息を引き取りました。最期まで家族を心配させず、見事な生き様を見させてもらいました。

 

葬儀も終わり、自分は仕事と色んな青年部活動やらと忙しくやっておりますが、時間をみつけて遺品を整理してたらここへ辿り着きました。

インターネットが苦手な母へ、ブログも読めないのでこの記事達を最初から最後まで印刷をしてバインダーに閉じてます。すごい量でした(笑)全て終わり今ここへ最後に書き込みをしている最中です。四十九日が終わったらこのブログを閉じた本を渡すつもりでいます。

 

このブログを読んでくれた皆様へ

最期まで父を応援していただきまして有難う御座いました。一つの家族の家主の闘病記であり、日常、家族への想いを綴る愛溢れるブログでした。自分はこの意思を継ぎ、前を向いて頑張って行こうと思います。皆様にもご多幸あれ。

 

最後に

もしお時間あればこの歌を聴いてみてください。いや、絶対聴いてください(笑)

CHEMISTRY 最期の川

 

それではまたどこかで

本当に有難う御座いました!