世間は常に"ナマポ"などと言って匿名で生活保護受給者を馬鹿にしている。
そういうのを受けてきたし、見てきたし、浴びてきたわたしというポジションからの感じている事を、
今、敢えて述べてみる。
いつも言い合ってんじゃん、世の中は。
"有能か無能か"とか、勝手に人の価値とか、登録者数、フォロワー、年収、言いたい放題。
"バカの遺伝子は残すな"なんて、散々言われてわたしはこんな世の中、恐ろしくて言われるように、そのようにして生きているよ。
そんな思想の社会から、愛するものをわたしには守れないからね。
なのにこの期に及んで、手のひら返して生命は平等に尊いなどと言っている。
平等だなんて、ハナから思ってないよ。
だから、"平等ではないのが事実ですよ"
なんて 当たり前のことを、さも、
"あなたはわかってなかったでしょう?すごい事実を教えてあげるよ"
てスタンスで言われても、
「は? 知ってるよ。だからなんなの?」
て、だけの話。
わたしはDaiGo氏が元々嫌い。めっちゃくちゃ大嫌い。そういう話し方するから。それだけ。
わたしは彼(DaiGo氏)には知性を感じない。
わたしが思う、世の中が現在、矛盾に気づくべき点は、
彼(DaiGo)が頭は良くないということを理解すべきである。だと思ってる。
もちろん、わたしも頭は良くない。そういう意味でも。
DaiGo氏が頭が良いと言ってしまうこと"そのもの"が"優生思想"であり、
わたしにとっては彼はあまりに稚拙で、一度も頭が良いと感じたことはない。
↑これはあくまでわたしの主観として。
彼はどこかの論文を紹介する人。
そしてその論文の内容は、わたしには下世話でどうでもいいことばかりであり、
時には聞くに耐えない、考えると吐き気がするような内容でもあったから、
観ないのだけれど。
ただ、そのマーケットにはある意味で、センスがあるという言い方も出来ることは認める。
殆どの人はそういう事ばっか良く話しているのを聞くし、需要があるから敢えて、そういう情報商材をチョイスしているのであれば。
ただ、それらは、たまたま、わたし個人にとっての、あまりにナンセンスに感じているだけのこと。
彼(DaiGo氏)の言動、彼一人に限らず、そのようなことを述べている人、
そしてそれを支持したり、頭ごなしに彼は博学で、知性を感じると思っている社会そのものにもナンセンスを感じてきた。
本読んで色々知ってますアピールも、ある一定数ある猫愛護団体へのアピールも、ワイン飲んでて絵に描いたような俗物が憧れる絵面作りも、わたしには、
「うわ〜、、こういうのがステータス、成功者、博学って思うんだ〜、、」
って、勝手に引いてる。
まぁ、それは好き好きだから、ここぞとばかりに常々言いたかったこと言ってるようになってるのは事実。
だが、それはわたしの生活に関与させなければ全く関係がないのだから、
わざわざそれを第三者に話すようなことは一度か2度ほど、
単純にわたしの思想との違いを述べるべき時だけ触れれば良いだけの話。
DaiGo氏の話題になれば、その時にわたしは言ったことあるってだけの話。
わたしがDaiGo氏に抱く個人的に嫌悪してしまう思想として、
「昔いじめられていたから」
を連呼する、
何かにつけて、"昔いじめられていたから"
を述べて、それありきの話の正当性、信憑性、親近感などをチラつかせる点である。
わたしは、そういうのがとても嫌いだ。
もちろん、その話に必要であれば実体験からの学びとして述べることはあるだろう、
しかし、彼は自身の至らなさ、偏りを認めない代わりにそれを述べている。だから嫌いなのだ。
それをバネにしている、、それもわたしには非常にナンセンスだと感じているし、
わたし自身もいじめ、嫌がらせ、おそらく彼の語っていることが全てなら比べるべきではないことを承知の上で敢えて述べるが、最も過激なものも受けたこともある。
でも、それをバネに、そのいじめてきた人達を見返したいとか、マウントを取りたいだとか、全くもって思えない。
何故なら、そんなことを軸として自分を高めても惨めなだけで、
その自分を高める栄養素が、"見返したい"という物だということに、わたしは自分の価値を感じないから、いや、むしろ、そんな事すればそんな自分に幻滅する。
わたしの感ずるに、彼は何かにつけて、被害者としての自分 を見せることで相手に同情心 及び 説得性を抱かせるが、"いじめ"というセンシティブなワードによって、こちら側の意見を不利にさせている。
その武器を使って人を見下す事を了解してもらえると思っているように感じる。
わたしのそれらの昇華の術、価値観、美学は、DaiGo氏のそれと全く異なるものだからか、
彼のその理屈は、非常に稚拙に思えるのだろう。
いじめられていた自分、やり返したくても出来なかった自分 というものに取り憑かれているようにしか見えないのだ。
まぁ、それが害悪かといえばそうでもない。
ただ、その呪縛の中で勝ち誇った気でいる限り、その過去の苦しみに打ち勝った今 は真の意味であり得ないというのがわたしの持論だ。
その呪縛の中で勝ち誇った気分でいる限り、ずっと負け続けている。過去の自分に。
そして、ずっと誰かを憎み、呪っているから結局加害側が欲しそうなものを持とうとし、そこで満たされる。
それが、"見返したい"なのだ。
だから、わたしには、"見返したい"を原動力にするなんて概念が、馬鹿げていると感じる。
それは、DaiGo氏のみの思想に限らず。
わたしは弱みを容易く見せてくる人間と、生まれ持っての容姿や境遇、体質、言ってもどうしようもない事で
人を蔑み、悦に浸ろうとする人間が好きではない。
世論は、今回の件で、一片を観て、
"某ひろゆき氏とDaiGo氏が仲が良い、頭がいいもの同士、"などと考える人も多いようにわたしには見受けられる。
2人を同じ意見だと考え、一括りにしている人間もいるようだが、ここ4年ほど前からひろゆき氏のライブ配信をたまに聞いてきたわたしには、ひろゆき氏とDaiGo氏の意見は真逆とも言える。
わたしは"ひろゆきガチ勢"や、"ひろゆキッズ"などでもなければ、彼の見解に全て同意するわけでもないのだが、人への敬いは最低限あり、考え方として聡明だと感じる点や、同意できる点もある。
だから、"DaiGo氏とひろゆき氏は仲良し"などと思っている人達に比べると、それはちがうとはっきり述べたい。
大人だから、揉めたくもないから、
"彼は頭がいい"と言ったり、"嫌い"と言わなかったりするだけだと、わたしは勝手にそう解釈している。
今回の一件までのはなし、ヒトのことを
頭が良いか悪いか、有能か無能か、みんな言ってるし、擁護だの批判だのいきなり世論は言って弱者の側のようなのが湧いて出てきたけれど、
わたしは自身のニコ生やSNSからも、わたしの貧困や、わたしの暮らしを蔑み、罵声を浴びることなんて"普通"だったし、
わたしの家族、親、姉妹、が、そういう思想を持った人間であるから、わたしは彼らにとっての"恥"として存在しない事にもなっているし、わたしはそれを受け入れる他なく生きている。
わたしはある意味でそういった思想の人間を哀れんでいるのだろうし、
軽蔑している。
大切なことは、それ以上に、
わたしはわたし自身、とても誰かに生かされていて今生きている。
なかなか死なせないように出来ているとすら思わされるほど生かされている。
社会では単なるポンコツだという自覚もある。
"あなたの個性が、、、"なんて、綺麗事は実際の現場には無いことも踏まえて、それでも生きることを与えられ、生きることを許してもらっている。
そこまで思い詰めてもいるけど、そこまで生きる事がまんざらでも無いって教えて頂いてるから。
それを無碍には出来ないし、ちゃんと恩返しをできるようになりたい。という気持ち。
それは体験してきて現在、自覚している事なのだから、開き直るつもりもないし、嘆くまでもない、単なる事実として、自分がどのように生きようかを考えながら生きている。それだけのこと。
それだけのことでもろくすっぽ出来てないのだ。
所得や、肩書き、容姿や、それをバカにする言葉、
YouTubeの間に入る、うざったい広告だって、太っていること、誰かのアイデンティティを堂々と
気持ちの悪いほどバカにしていると感じる。
というか、下世話で見苦しい。
まぁ、世間はそんなもんだよな、とは思っているし、そこに需要があるからこそそういうものが生み出されるのだから、そこまでいちいち表立って否定はしない。
心の中では、深いため息と反吐を吐いているけど。
そのようなわたしの価値観のズレと等しく、そのスポットが、DaiGo氏やその他大勢にとっては、重要なのだろうから、「ふーん、しょーもね。」で終わる話なのだけれど、
社会までもいきなり、どしたん?優しさを知ったんか?ってくらい、急に様変わりしたから。
この一件での一時的なハリボテであったとしても。
彼らは、お金や恨みつらみを晴らす行為、数字と誰かの真似事で得る支持を、"成功"と呼んでいるという事に過ぎない と、わたしは思っているから、
人権団体がどうとか、、今更、何言ってんだ?
とすら思ってしまう。
良い傾向があるとするならば、この件によって、貧困や、社会制度についてのくだらない蔑みを社会全体が自覚できる"キッカケ"になったことぐらいではなかろうか?
先述したとおり、一時的な建前、ハリボテだとしても。
今になって、"当然の権利なのだから、堂々と生きて良いんだよ"なんて生温かい言葉を良く耳にするようになったのだから、
社会は変わった(言っているだけかもしれないが)という事になる。
わたしは、率直に、ただ、DaiGo氏が元々嫌いだった。それは、優生思想というのかどうかは別として、
人を蔑む着眼点が"最低だな"とずっと感じていたから。
でも、それを今、このタイミングで述べる事にかなり躊躇があるのも事実。
わたしにとっては一貫してずっと述べていた事だし、彼のことを頭が良いと思ったことは一度もないし、乗っかりみたいになりたくないから。
あとは、本件の問題点を"優生思想"や"差別"などと、人権という建前でバッシングしている社会の意見とも少し異なっているから。
DaiGo氏は、俗物的で下世話な社会の、今回たまたま、イチ、代弁者を担っただけだと感じている。
わたしが思うことは、いつも通り、
酷いこと言うな、何様だよ、哀れだな、、それだけだ。
わたしも猫と暮らしていて、愛猫はわたしの人生を支えてくれている、大切な存在。
だからといって、誰かの何かの事情や、アイデンティティと比べてまで猫を大切だ!なんて馬鹿げたことはいちいち言わないし、
最低限の個々の最も重きを置いてる価値観は他人事として尊重すべきだと思う。
それが自分とズレていたら、それは、それ。
実害が無ければ相手を尊重して距離を置けば良いこと。
わたしはそう思う。
ヒトのことを臭いし、汚いし、、なんて言えない。直接危害を加えていると感じない限り、そんな酷い事よく言えるなぁ、、って、よく、世の中に引いてるくらいだよ。
わかってないのかな?って思うんだ、、
人は歳を取り、肉体は衰える、臭くもなるし、見た目も変わる、考え方も世代とのズレも生じる。生きてきた時代、見てきた時代、自己が形成されてきた経験、永遠に歳を取らない、死なない人間なんていない。
そんな事、わかりきった事ではないのかな?
劣化とか、老害とか、よくもまぁ言えるな、、って。
自分もそうなるって事も、愛する相手がそうなるって事も、なんで踏まえて愛せないのかな?
って。
想像つくだろ、そんなことぐらい、、
って思う。
今回、この件に触れるのはここまでにしておこう、
わたしはどっちのとか、誰か味方でもなければ、そもそも、"彼(DaiGo)は頭がいい"とも思ってないから、幻滅することもなければ、今更その言動に食いつくタイミングか?と思いながら、今、まんまと食いついているというのが全て。
わたしは彼のことをめちゃくちゃ嫌っているからこそ、こういう一時的な波に乗っかるようなまねはダサいと思ってる、でも記してる。
1週間ほど、黙っておこうと悩んでみたりもしていたのだけれどね。
ただ、このタイミングでなければ、
"DaiGoって頭いいし、お金持ってるのが事実。お前(わたし)みたいな貧困でポンコツで生きる価値のない人間は死ねばいい"
って、普段から社会はそっち側の手厚い概念を武器に言ってるからね。
だから、文章に記しておきました。
本当に大したことない、ただ、"優生思想"とか、"金持ち、モテる は正義であり、ステータス。そうでないものはゴミクズ以下"というのが、君たちの本質であったはずでないの?
という事、
わたしが言いたかったのは、
「"DaiGo氏は頭がいい" って思い込んでるから招いたものでしょ?そこを認める事そのものが、既に"優生思想"ありきの話してるのでは?」
という事ですね。
aune
2021/08/22