わたしには信仰する宗派も、所属も、家庭も
もしかしたら肩書きも無いけど、
思想、哲学、科学、物理、枠組みなくずっと考え見続けられるという点では
仏教的思考、概念が勉強になる。
自分を神格化したり、狭い内輪の中で傲慢になったり、
誰よりは自分はマシだとか、自分のためにその人に足りないものをその人に求めたりだとか、
あの時 意地悪したのは羨ましかったからだとか、誰がマウント取ってくるのがムカつくだとか、
この世界、人間として生きていると、
何言ってるのか わけのわからない、実のところわたしには理解の及ばない考え方があるから
作業中は割とこういうのを聞いてます。


昨日はIPPONグランプリ聞いて爆笑してたけどね👅w
自分への戒めにもなるし、心は穏やかというか、冷静になれる。
自分なりに人間として生々しい先人の言葉というものを感じられることは、
覚醒したり、達観したり、開眼したり、そんな存在など居ないし、
そんな人や世界を求める事も、成ろうとする事も本質からは矛盾していて、
自分だけは清らかで、正しいだとか、思えるはずないけど、
それぞれにわたしにも憤りや苦悩はあるわけで、
そこで何かに赦しを乞うたり、何かに救いを求める考え方は好きでは無いので。

自分を見つめられるし、多分、仏陀さんって、相当愉快な人だったのだろうなって
寧ろ、親しみすら湧くよ。

救いを求めたり、善悪だとか、二極化だとか、聞いててモヤッと、グモっとする
神様だろうが、カリスマだろうが、宇宙人だろうが、詐欺師だろうが、聞いてみると案外、
考えてることはあんまり大昔から人間の考え続けてきたことから、何かを学んで進化をしてるとも思えないし、
誰かに自分について教えてもらうような、占いや預言って、ジャンケンして遊んでれば満たされると思っているし、
今この瞬間に自分で自分を見つめられていないと感じる何かは、実際、ちゃんと考えればたくさんあるからな、、

何から救われたいのか、どのように救われたいのかって、詰まるところ全て漠然で、
凡ゆる欲望を引っ張り出して並べて自分の中でヴィジョンを想像してみても、
全ては一過性の欲は満たしてくれるかもしれないけど、その先にあるのはどのみち地獄、凡ゆる地獄、
だから今を嘆いてみても、何から逃れたくて何を手に入れたいのか、
わたしにはあまり意味すら見つけられないから、
出来るだけ等身大で、常に率直に自分を見つめていたいと思うよ。
ブッダさんが苦行には意味がない的な事を悟ったとされてるのも、
言葉にすればどうとでも言えてしまう
「好きな事をして毎日楽しく暮らしてればいい」
とか、
「嫌な事などやる必要ない、自分の思うように幸せに暮らせばいい」
とか、
「この世は地獄なのだから、わざわざ苦しむ必要はない」
とか、
「この世は苦しみなのだから、全ては因果応報、自業自得、仕方ない」
とか。様々ね。
わたしには、苦しみに耐える事は、敢えてしなくても、痛み苦しみに、仏陀さんは超絶敏感だったから、
何をこの程度のことをして"ごっこ遊びをしてるんだろう?"って、
苦しみの真似事に飽き飽きしたのではないかな?というのがわたしの率直な感想で、
その視点からなら自分にも身に覚えがあるからそう捉えてしまっているだけなのだろうけど。
苦しめば学べるというのは、苦しまなくていいというよりも、ごっこ遊びで解った気になる滑稽さよりも、生々しく生きる中にある苦しみと向き合うことを選んだんだよな、って思う。
それがいつのまにか、権利とか自由とかいう変な形を変えただけの煩悩だらけの戒律に転用されてしまって、
この世界は何千年経とうとも、本質は変わらない、人間の本質は変わらない
いつも、今と現代と自分達が長い歴史の中で正しさを培った素晴らしいものなのだ!と、
誰もがそれぞれに正義を主張して、無知故の懐かしい目新しさに
未来に過度な期待ばかり述べてるから。
あんまり世界は変わってないんだよ、欲する対象が需要と供給と共に変化しただけだよな、
だからこそ、生々しく生きて、死ぬ程充実のある苦しみの、穏やかな整理の仕方について、
必ず迎える死があるからこそ考え続けていいんだと。
でも、まぁ、目の前にその苦しみに耐えかねて死にそうな人が居たら、
「死ねよ」
とは、言えないよな。普通。

人を見抜ける目、
わたしには別段、探すつもりはないのだけどね。
悲しいかな、探すつもりも無ければ、ちょっと避けたいというか、
虫唾が走るというか、あ、すみません、結構です、ぐらいにわたしはこれを聞いていたのだけど、
そんなふうに感じてしまう自分を自分に見てみることもできると、
少し気分が向かう風が吹くというかな。
誰のせいでもない、誰のためでもない、それでいいわけでもない、それが悪いわけでもない、、
心地よい、心持ちというのを見つけられそうな気分になれる。

アウトサイダーというポジションは、ただそれなりの不安や苦悩もあるけど
結局のところ、楽なんだよな、わたしにとって。
甘えでもなく、敢えてそうなったわけでもないところが、きっとそういうところなんだろう
みたいなのが、わたしの腑に落ちてるだけなんだろうけど。

今日はスロースターターで行こうと思う。
絵を描いてたら、時間や気持ちの使い方や、満たされ具合が、
いや、出口を設けて頂いてるからそれもあるとおもうけど、
軸と遠心力を、わたしにとって正しく感じることができる気がする。

プロモーションは、まぁ、ちょっと無理してる。笑
ちょっと面倒臭いけど、それは、なんとなく、あっても良いかなって感じの二次創作のようにやってます、











aune
2021/04/26