絶望を表現のスタイルにするのは、
よろしくないとわたしは思う。
それは我が身を持って痛感してきたこと。
感じ取りやすいなら尚更ね。
綺麗事を並べるわけでもないけど、
絶望や命の愚かさを題材にするのは
とても容易いことなんだよ?
嘆き、苦しみばかりを共鳴して、
同じようなことばかりしてるようで気味が悪いな
排泄するのは卵産むより簡単だからね。
誰でもできるし、
やるなら達観してないと、それを求める下世話な世界に喰われるだけなんだよ。
傷舐め合って、同じような言葉を延々続けても、
それは綺麗事を言うよりも容易いことだから
下世話な人間に、少しウケたところで、
そいつらはもっと残酷で、残忍なものを探してくだけだよ。
わたしは、言っときますが、
誰にでも綺麗事ばかり言うし、テキトーに褒めます。
わたしは愛想だけで、決して優しい人間なんかじゃない。
誰でも褒めるし、誰にでも笑顔振り撒いとく
猫にも、犬にも、人にも、スズメにも、たんぽぽや、さくらや、ホトケノザ にも。
同じように愛想振り撒くし、話しかけるし、話を聞くだけ。そこには別に大した目的もなければ、
あんまり意味も持ってない。
わたしはそういう人間で、それが良いと思ってるわけでもない。
本音を言えば、傷つけてしまうだけだし、
言う必要も別にないし、言ったところでそれをわたしは背負うつもりもないから
不必要に他者に厳しくなんて出来ないだけと言う理由。
他のやり方、生き方がわからないだけ。
極論、「どうでもいい」。酷いかもしれないけど
それは、それぞれ、自分次第だから
そこは、わたしは、奪いもしないし、与えるつもりもないのです。
同じような話し方、同じような恨み節、
仕方がないことなのかもしれないけど、
わたしには、無いのかもな、、
" 人に優しくしてほしい "
って感覚が。

名は体を表す、これは本当。
誘導されるんだよ、だから自分から自分を殺すような名前を名乗ってはよろしくない
それが遊びのつもりでも、内輪ノリでも、
自ら名乗ってはいけない。
と、思う。
悪趣味が面白くっても、わたしは破滅のために心から笑えないなぁ、。
本当の不信には、望みも恨みも存在しないはずだよ。
心の中ではわたしはいつもそう思ってる。
自分がそれをそう味わっているからだろうし、
それをそのままネタにするのは安直でもあり、危険であることが我が身に覚えがあるから。
現状打破と、その先の美しさを見られること、
それは悲惨な状況を昔話や笑い話にできること。
そうじゃなきゃ、
誰だって、絶望は知ってる。失望も知ってる。
嘆きも、怒りも、恨みも、哀しみも、不条理も、汚物も知ってる。
" だから、わざわざ要らないんじゃない?その次に繋がらないものならば。"
それが、わたしの、ここ、16〜17年間での、
芸術?いや、現実。ひいては作品 と呼べるものの最低ライン。
あくまで、自分に課してるだけだけども。

わたしは誰にでもその人が言ってほしいであろう事をテキトーに言ってしまう。

全然知らない人にも。
その場しのぎも甚だしいと思う。(自覚してる)

これは、半分、無自覚。人としてのわたしの欠点
そして、まだ解決など出来てない、課題なのかも。
ヒトのことはどうしてもわからないけど、
軽々しくなんかないのだろうけど、ヒトの心を揺さぶる本当の感動は、
共鳴 + それ以上
でないと、良くないと思ってる。
あくまで、わたしがわたしにとっては。

神の愛なんて、自分が感じる以外無理なことだと思うから。
屍ばかり食らって我々が生かされているように、
残酷なものは美味しいんだよな。
そこに絶望してるのに、それを模してどうするんだよ、、
わたしは無心論者に近い思想だと思うけど、
この世界はもう、完璧すぎる美しさが既に、常にあるから
敵いっこないのだよ。挑むつもりもないけど、
世に出すということは、表に現すということは、
「わたしなりに、こういう風に形にしてみました、どうですかね、」って、
この世界に、自然に、もし、居るとしたらその創造主に、
敬意をわたしは重んじていたい。

それが、わたしにとって、健全な創作意欲なのです。
反吐は、反吐のアンサー含むぐらいにはしないと、それは反吐でしかない。
自分の吐いた反吐でしかない。
そんなの、あんまり大した感動なんかじゃない
と、
わたしは思っています。
腹の底ではね👅



aune
2021/03/28