これは、20代の頃のわたしが
描く画面に情念を持ち込まないためにやっていた
視神経脳機能の研究、実験、仮説
に応用していたことに関するひとつの学術的な面白い動画。懐かしくて見ていた。
意識は幻想か?―「私」の謎を解く受動意識仮説「システム生命論」(「意識(クオリア)は幻想か?―「私」の謎を解く受動意識仮説」)慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科における講義「システム生命論」の一部です。この講義では、「意識(クオリア)は幻想か―「私」の謎を解く受動意識仮説」と題して、著書「脳はなぜ「心」を作ったのか―「私」の謎を解く受動...リンクyoutu.beおける講義「システム生命論」の一部です。この講義では、「意識(クオリア)は幻想か―「私」の謎を解く受動意識仮説」と題して、著書「脳はなぜ「心」を作ったのか―「私」の謎を解く受動



これは仕方のない事だけど、知られた時がはじめましてだから、

ポッと出だとか、今更、才能があるとかないとか、

売れてるのかとか、プロなのかとか、

ニコ生でも毎度言うのも面倒くさいけど世の中ってそんなもんだから、

と、思っても、面倒くさかったりするが、

わたしは、別に大したことはないが、それなりにそれなりの生き方でここにいるし、

この期に及んで才能があるとかないのステージは終わっていて、どこまでも昇華し続けられるか

実力というところに居るから

世間からのそう言った言葉に心の底から冷めざめしてるのですが、、

まぁ、しかたないよね、、なんちゅーか。

世間てまぁ、そんなもんだから。



わたしは視神経乳頭(盲点)と夢、
ここでは人工盲点と述べられていることを
アナログ的に
色(つまり光)が視神経という機能にどのような現象を起こしているか
そういう事をひたすら仮説として図面化していた。
(例)





それがわたしの10年前の20〜27歳までの画面への向き合い方だった。


30代に入って、
美しくて尊いものが想像もした事の無い様に飛び込んでくるようになった。
だから、「30歳まで騙されたと思って生きてみてほしい」とかいうエゴな思想が生まれた。
それから何度も、もう限界と言っても許してよ
と、逝きたくなるときに引っ掛かるようになってしまった(しまった、、かな、?)のは、
あの、美しいの見え方が、この限界を超えてくる可能性を知ってしまったことかな、
年齢なんて関係ないのかもしれないし、共通性など測れるものではないけど
本当に、生きてみててよかったって思わされてしまったから、否めない。

10年前の今日、わたしは間近迫っていたデビュー個展のDMが明日出来て、
それをどの新聞社にどうやって持ってまわるか、
プロデューサーや、ギャラリーの社長さんからアドバイスを貰っていたから、
個展のことで頭はいっぱいだった。
「もう終わりだ」と思った人生が、大きなチャンスをくれた、そんな気持ちでいた。

母からの電話で起こされてテレビをつけて愕然とした。
今だから話せる、わたしのあの日のこと。
わたしは「あぁ、日本はもう終わった。個展を終えたらオランダに移住しよう」と思った。

DMはタービン建屋が爆発した日に、予定通りに受け取って、
その足で言われていた通りに
神戸の新聞社をDMを持ってまわった。
何処も、

そんなどころじゃねえ!!
タービン建屋が!!
芸術?!何呑気な事やんってんだ?!
絵なんか描いてる場合じゃねえ!!

と、それがリアルだった。
2010年の10月から決まっていた事なのに、
不謹慎だと、白い目で見られた。
わたしだって被災してないのに、
「個展とかやってる場合じゃないですよねえ、、ごめんなさい、」
と思っていたし、
こんな事、今でギリギリ話せるはなし。
芸術なんて不謹慎。
音楽はまだ元気を与えるラインにあっても、絵描きなんて、
個展やります!
なんて、言えなかった。

むしろ、それでも何もないかの様に日常はあって、
わたしは個展を終えたら、さっさと日本を去ろうとオランダ大使館と連絡まで取り合っていた有り様。

個展は予定通り行われ、DMの絵や、数点、
津波や原発事故を連想させるような作品がたまたまあったために、
「予知画」という感想も述べられた。



ギャラリーさんは、始まって以来の来場者の少なさで、
わたしのような異端のバックボーンもバックグラウンドもない若手の個展は
"実験的試み"であったが、データが取れたものではなかった。
そんなことも、何年も話せなかったこと。









来場者の方に、
「10年後、20年後がとても楽しみです!」
と 言われたときは、
10年後?!20年後?! わたし生きてっかなぁ、、?
と思った。
オーストラリアのDr.ピーター さんに、わたしの
「One drop of happiness」という作品について、
"これからの日本の若者が必要とするものだから、あなたは日本で絵を描くべきだよ"
と、
わたしの海外移住を反対され、その作品についての論文?記事?を発表してもらえたが、
残念なことに aune ではなくAuna と、紹介されていたり、
http://www.art-it.asia/u/ozgaka/


人生初インタビューの記事では、
「芸術はユーモア」と、なんだかよくわからないけどそのようにわたしが言ったように取り上げてくれていた

http://www.handsout.co.jp/ 

が、それらのページは、URLは
今では消えているようだ、、

あんなに途方に暮れる長さに感じた10年後に、
わたしは居て、この先10年後はすぐに来そうだと感じる。




そして、
元 パチ中 で家庭崩壊させがちだった
我が父こと、福島県に居るアホの父が、
今更になって、パチンコができなくなったギャンブル依存の矛先なのか、
生きてると誰もが少なからず本能として持ち合わせている "良い行いをしたい " というものからなのか、わからないが、
わたしの人生で一度も、絵を描くことも、音楽も、わたしのやることなすこと、
何もかも肯定などしたことのなかった父から、気持ちの悪い手紙まで届いた。


・・・字が、上手くなってる。。(これでも相当。)
昔の父は、三角定規2つで気持ちの悪い文字しか書けず、
定規無しで書いた文字は、小学2年生の妹が
学校の宿題の国語の"本読みカード"
提出したところ、先生に
「自分で書いたらダメでしょ!!」と叱られ、
父が書いたと言っても信じてもらえず、直々に家庭に連絡が来たほど、
父の文字はヤバかった。
だから、父にとっては、この4行が、どれほど長文で、頑張ったかがわかる。
"書いて"じゃなく"描いて"
とか、
"直して"じゃなく"治して"
とかそういうことは通じるからいちいち触れはしないが、
" 書いてネ‼︎ "
の、ネ‼︎ がカタカナ は、正直 ゾッとする。

そして、
郵便物が届かない事がザラにあるレベルで感じる遺伝子は自覚があるだけに なんか、泣ける。

10年前は昨日のことのように思い出せるのに、
凡ゆる事がそれぞれに、ちゃんと年月を経ていて、
わたしは、26歳の個展までの、情念打破のための研究を画面にするところには居ない。
何にも出来てないようで、
予想もできなかったものを美しく感じ、
描くものとして見る世界は、
あの時の、楽しみだと言われた10年後には相当しているのかもしれない
10年前には想像も出来なかった感動を描いているから、そうなのだろう、

話はいっぱい飛んだけど、
この動画を久々に見て、あの頃のこと、いっぱい思い出した。


そして、応援されたことないから、肯定されたことないし、褒められたり認められたこともないから、
父から
ガンバッて 絵を書いてね‼︎
という言葉を、36歳、来月には37歳になるのに
生涯で浴びせられるなんて思ってもなかったから、、、
正直、戸惑ってます。。

わたしは、もしかしたら、やるな!と言われてやるタイプなんじゃないか、、
と、、、。
思ったりもします。。
そうでない自分である事を切に願ってる自分が結構、ダサいなぁ、、て。。


aune
2021/03/11