10月22日 2020年

神戸から東京経由で福島県へと夜行バスを乗り継ぎ、福島県いわき市へ、
常磐線 いわき駅から、今年(2020年) 3月に、
東日本大震災(2011年 3月11日)から9年ぶりに
全線開通が再開された常磐線へ乗り、
父の住む南相馬市 原町駅へ 18時間かけて
ようやっと到着。 



原町駅、小さな駅で、改札口は、下車してすぐのところにあったにも関わらず、
逆にもう、これは天性と言ってもなんら差し支えないと思える程の方向音痴しかかましてないわたしは、
よく見りゃ見えてるはずの改札口の逆方向へ、歩き、意味もなくエレベーターで二階へと上がり、
「なるほどね。」と、意味もなくエレベーターでそのまま降りて、下車した地点から数メートル逆方向にあった改札口を出た。

4年以上ぶりに、高知の道でボロックソにわたしと父は喧嘩をして、わたしが父の車に石を投げるという暴挙に出て以来の、アホの父こと、我が父に再会。
わたしも父も、元々そういう性質だが、余計に、目を合わすわけも無く、
そそくさと、父と一緒に駅の駐車場に置いてあった父の車に乗った。
昔から変わらず、父の車の車内は加齢臭と喫煙臭で臭く、
これでも近年、多分、かなり努力したのだろうという感じで、空き缶やら、ゴミが普通にある。
乗った途端に、
「あー、まさに、たばこ吸える〜」
と言った具合。
煙草を吸うのは、家族でわたしと父のみで、わたしもまさか、自分が喫煙者になろうとは思わなかったが、なってしまっているおかげで、
父との会話の接点も入り口も、いつも煙草のことになっている。
父の車に乗り込んだ途端に、
父:「ちょっと一服しよ。杏ちゃん(わたし)、これ、灰皿、使うたや。」
と、携帯灰皿を渡してきた。
わたしは
私:「ありがと。」と言って受け取り、発車前に2人で一服。

アホの父は、毎年毎年、周りが言ってもないし、聞いてもないのに、
父:「この1カートンで、煙草はやめる。」
と誰彼構わず色んな人に言い続け、もう、誰もそんな言葉をまともに聞く人間はおらず、無視されている。
実質、父は何も喋っていないと同じである。
終いには、今働いている福島の会社の係長にまで、自分から
父:「煙草やめたら帰ります。」
と、言ってしまって、本当ならば、今年度いっぱいで実家の高知へ帰る予定だったらしいが、
地方から来ている他の方が帰ることになり、その座を奪われ、その上、煙草はやめるはずもないくせに、
自らそんな事を断言して、墓穴を掘って、
もう一年は帰れなくなった事が決定したのだそうだ。
まぁ、父は、自分を必要としてくれる事が、とにかく嬉しいだけなのだろう。

わたしが、
私:「マジかよー!お母さんにはその事ちゃんと 話しちょん?」
と、訊くと、
父:「うん。言うちょ。知っちょうよ。お父さん、(実家)帰ったら お母さんに捨てられるかもしれん。笑」
と、早速、小嘆きサーブからおっぱじまった。

おそらく父は、
" 煙草やめる "と言えば、ヒトは自分の事を気にしてくれると思っているのだろうが、
既に、それが仇となっている。それも、結構でかい。仇というか、単に墓穴を掘り続けている。

わたしが、
私:「煙草、絶対やめれんのやけん、もう煙草やめるて、言うのやめたらええやん。
誰にも何も言わんとよ、黙ってシレ〜っと、やめて、完全に辞めれてから言うとか、辞めても自分から言わずに、周りの人が、"あれ?煙草やめたんですか?"って気づくの待ってよ、"もう辞めてますよ" て言えば、待たれて辞めれんのよかずっと、"すげー!!"て、なるやん?辞めれないからの、既に辞めてますけど? の方がポイント高いやん?」
と言うと、父の表情は見ていないが、
『なるほど!その案、貰い!』みてえな空気が伝わってきて、そういう、「マジでその案貰い!」のときには、
父は、
「なるほど!」や、「そやね!」
などと言った言葉は発しない。
そのかわり、マジでその案を我がものにし過ぎて、わたしが言った事も忘れ、
色んな人に言いまくるものだから、巡り巡って、
「父がこんなこと言ってた」
と、わたしのもとへ妹などから届く という仕組みだ。
わたしは内心、"あー、やっぱアホやな〜"と思っていた。

そんなわけで、せっかく父が来年3月で福島を去るから、と聞いたからこそ来たのに、
それを実際わたしが福島に行くまでわたしには明かさなかったという、そこまでしてカポ(ギターの)持ってきて欲しかったんかいな、という、どうでもいい出鼻を一つ挫かれつつも、
わたしの福島での、初めての父と二人の4日間は幕を開けたのだった。

先ず、父はわたしの眠る布団の毛布は買っていないと言って、ニトリへ行き、
毛布と電気毛布を購入。
コンビニに寄って、煙草とおやつを購入。わたしの煙草も二箱奢らせたところで、
父の住むアパートへ着いた。
父は姉や妹とは二人暮らしをした時期があるが、わたしとは二人で生活をしていない故、
わたしの事を、
「料理も洗濯も掃除も何にも出来ない奴」
と、決めつけている節があり、
まぁ、何にも出来ないわけではないが、少なくとも料理は、家族の中でわたしは多分ダントツで上手いとは自負している。
まぁ、それは良いとして、わたしが布団をシーツにセッティングしただけで
父:「え、ええ~ッ⁈ 杏ちゃん(わたし)、そんな事ちゃんと出来るんかえぇ⁉︎」
と、そんなことぐらいで本気で驚かれ、
いい歳こいて、親に「ちゃん」付けで呼ばれる人間のキャラクターのヤバさが、割と本気だった事を実感しつつ、
私:「出来るっつーの。」
と、毛布と電気毛布がなかったら普通に風邪ひいてたやろ、と、思しきわたしの寝床が完成した。

まぁ、わたしの家よりは断然、小綺麗にしていた。
男の一人暮らし、とにかく物がなく殺風景だった。

先ずは、父の要望で、父がアホ丸出しの如くずっと持っているdocomoのタブレットで、
アップデート出来ずにほぼ全ての動画閲覧が機能せず、調べてみると、ただのよくある ID、パスワード 忘却地獄にハマっているだけで、
父の手に負えず、
父:「まぁ、無理やったらdocomoに持っていくけんど、」
と、言う父に、
私: 「まぁ、やってみるよ。よくある事やから、多分なんとか出来ると思う。」
と言って、変な閲覧履歴や、何か別にどうでもいいけど、想像したくもないようなものや、察してしまうようなものに気まずいのでどうか出会しませんように。と、内心、願いながら、
パスワードの再設定、IDの再設定、そして、それらを父にメモに取らせながら、仕組みを説明し、
約1時間かけて、全ての ID パスワード地獄から(父はアホなので1種類のみ) 抜け出す事ができた。
全ての機能がいっぺんにアップロード、解決された父は、おそらくわたし同様、知恵熱で脳みそが既にショートし、
加齢臭が濃ゆくなりながらも、
「うわー!やったー!!」
と、野球のアニメを見始めた。
慣れない頭を使い、一服、二服してから、その晩は回転寿司に連れて行ってもらった。
そしてまた父宅に戻り、
次は父の最大の目的であるギターのカポと、わたしがピックホルダー購入時におまけでついてきた、使わないピックを数枚譲渡した。
数ヶ月前に、30年以上張り替えていない父のアコースティックギターの、Amazonで購入して差し上げた弦を、父は、自分で
「張り直せた」と言っていたが、早速音がズレている。。それを弾きながら父が歌うのだが、どんなツラ下げときゃええねん、は、覚悟していた想定内なので問題はないが、不協和音がたまに凄く気持ち悪い。。
わたしが
わたし:「お父さん、どうやってチューニングしてるん?」
と訊くと、
6弦解放は完全なるオリジナルの音感で、そこをチューニングするのは曲を演奏してとのこと。
相対的には多分そこまでズレていないが、さだまさしさんの曲など、父が弾き語るのは、カバー曲メインなので、
そういう特殊なこだわりを持っての、チューニングなわけでもない。
わたしが
私:「ちょっと調べさせてもらっていい?」
と言って、チューナーを使い調べてみると、6弦解放がF#から始まっていた。
レギュラーチューニングでは6弦開放 E になるところ、F# で行っているので、惜しいが、5弦がB、4弦がE#、3がA#、2がC#、1がF#と、それぞれ相対的には弾きこなせるなら無しではないが、そうでもないから聴いててすごく気になる。
そりゃあカポ要るよなあ、と、軽くフォローしつつも、
わたし:「惜しいけど、オクターブ下で一音半前後上がりやね、まぁ、お父さんのチューニングやし、無しなわけではないけど、今のチューニングのままにしとく?レギュラーチューニングに設定だけしとく?」と訊ねると、
父「いったんチューニング合わせてみて?お父さん、戻したかったら戻すけん。」
と、チューナーというものを初めて知った父は、
IT と言い、音楽と言い、文明開花の音がしっぱなし。(大した難しい事など一つもやっていないが)
父:「そうやってやるんかー!!」と、
これまで威厳を損なう事を恐れ、よくわからないものは「要らん」と言って避けていたくせに、自分のキャパに収まるとわかった瞬間、
食いついてきたので、わたしの予備のチューナーも1つ差し上げた。
音の仕組みの基礎を殆ど理解せず、ずっとなんとなくテキトーでやっていた父に、
やべえほど簡単なITの授業の次は、音楽の授業となってしまった。
父のギターの弦は全体的にちょっと緩めなので、そのままスタンダードなチューニングに下げると、びよんびよんに緩み過ぎて音が出ない、
しかし、オクターブ上げるとなると、弦をいったん長く巻き直さないとギリギリ切れる可能性がある旨を伝えると、
父:「多分まぁ、切れんやろう、切れてもかまんけん合わせてみて」
というので、錆っサビで回らないペグを回し、
オクターブ近く上げる方向で向かったが、
結果、予想通り、1弦があと一音のところでパッチーン切れてもーた。
そして、父のアホが凹み始める前に、
ピックや、カポや、弦や、自分で買えっつっても、
今や店舗を持たない店が増える中、楽器屋が無いか、有っても品がないであろうと見越し、
ここで登場!! Amazonです!!

父にAmazonのアプリをダウンロードさせるも、クレカもない、Loppiも知らない父の設定がややこしく、
Amazonの回しもんであるかの如く、
私:「この弦は、杏里(自分)が切ったから、杏里が買うよ。明日届くから。」
と、Amazonでの買い物を実演。

一気に文明開花を迎え、シナプスから湯気が昇りそうな父は、
母に、LINE通話で、わたしが無事に着いたこと、お寿司を食べたことなどを伝えた。
スピーカーで母の声が聞こえるが、父は母のふてぶてしく、トゲトゲしい声色や話し方に完全に萎縮している。
そして、わたしに交わり、わたしと話す母の声色は、まるで父への当て付けの如くやんわりしており、
母は、わたしに、
"父に、無料のLINEスタンプのダウンロードと、スタンプの使い方を教えてあげて"
との依頼をしてきた。
わたしは、
私:「うん、わかった、やってみるよ」
と、言い、取り敢えず、無事だと言うことで電話を切ってすぐ、また二人で喫煙しながら、
父:「ね?お母さん、お父さんのことばかにしちょるろ?笑」
と。
私:「まぁ、、わからんけど。笑」
と言うと、
父:「お父さん、実家に帰って捨てられるかもしれん。」
と、本日2度目の"お母さんに捨てられるかも"発言。
私:「捨てられたら何か問題あるん?今更捨てられようが関係ないっしょ。」
と、一応なだめておいた。

ギターの弦は翌日届くこと、
Amazonでの買い物は、クレカのない父は代引き、又はコンビニ決済が出来ること、
コンビニ決済は、Loppiという機会でやる事、
それらを図説した紙と、
最終的に決定した ID パスワードを記した紙、"これは無くさないように保管するように"と、渡し、
レギュラー チューニングは、EADGBEで、チューナーの使い方、弦が届いたら、いったん全ての弦を外して、レギュラーチューニングで貼りなおす事を約束。
そして、最後の仕事、母からの言付けである、父のスマホで、LINEの無料スタンプをダウンロードし、父に、スタンプの使い方を伝授。
福島県での初日(半日)は、平穏無事に、こうして終わった。

次回、10/23 /2020 は、
今年9月にできたばかりの、
東日本大震災・原子力災害伝承館
と、
原発事故で、強制的に避難を余儀なくされた、双葉町の風景と、
南相馬市の地域歴史博物館を、
写真、動画、多めに綴ってゆこうと思います。




福島への旅 ③     へ 続く。


aune
2020/10/29