今日は、やっと、
絵を描く時間帯と、
万全の体調をGETした。

にも関わらず、
絵を描く前に、6月に 地元の高知での、
30年来の 幼馴染であり、心友、
ミーモ の、結婚式へ行く為の、
荷造りの 最終チェック
に 時間を割いてしまった。

実は、この度、友人としてのスピーチまで
仰せつかっている。

わたしを 結婚式に呼ぶ なんて事自体も、
そうそう あるものではない。
同窓会などとも 如何にも無縁で、
実際、無縁だ。

過去に、高校の時の友人 と、
神戸で出会った 友人 に、
結婚式に招待され、
高校の時の友人には、もう一人仲の良い友人と
スピーチを仰せつかっていたが、
わたしは 当日、色々あって
貧血と体調不良で 倒れ、
ドタキャンしてしまった。
また、神戸で出会った友人の結婚式には、
道で迷子になり、
たどり着いた時には、もう殆ど終わってしまっていた。
そして、実の姉の結婚式には、
呼ばれすらしなかった。
というか、結婚式があることを隠されていた。
結局、母がうっかり
姉の結婚式のことを口にしてしまい、
憤慨したわたしは、
その腹癒せに、母に、一張羅を買わせ、
姉の結婚式には
行くことができたのだけれど。

今日は、心友 ミーモ との思い出を
振り返る。

先日、ニコ生で 誰とも存ぜぬ方が、
「親友なんて居たんだw」
と、コメントしてきたが、
まぁ、、わからなくもない。
しかし、わたしの人生に於いて、
友情というのは、
確かにある。
わたしは群れないし、一人が好きだし、
ひとりぼっち に 不安も無い。
下手にグループに属されそうになれば逃げてしまう。
頻繁に会わなくても、大切な人々との友情は
変わらない。

ミーモとの出逢いは、
わたしが ある日突然、田舎へ引っ越し、
ぶち込まれた 保育園でのことだった。

「ミーモ」というのは、当時、3歳か4歳の彼女自身が
自分の事をそう呼んでいた。

普段、わたしは 彼女のことを
「ミーモ」とは呼ばないが、
ここではややこしいので ミーモ と記す。

田舎での風習が、わたしにとっては不適合だったため、
わたしは、割と早い段階で、
PTAや、大人の人達に 気味悪がられていたのだけれど、
ミーモ の お母様は、そんなわたしをいつも大歓迎してくれた 唯一の大人だった。

ミーモ は、3月生まれ、わたしは4月生まれ、
同じ学年でも 約 一歳、ミーモは歳下で、
小さかった。

毎朝、ナントカ保育園に行きたくなかったわたしは、
母と、保育園の先生 との身柄受け渡しの際にも
全身で暴れて 抵抗し、
「今日はダメですねぇ」となって、
家に帰れることもたまにある程、
わたしは毎朝、母と、先生の空中で、浮かんでいた。
保育園に受け渡された後は、
慣れない、野生児な周りの同年代の子供の人達を
見ながら、どんより、じっと耐えて、
時折、パニックになったりしていた。

そんな時のこと、ミーモとは、
すぐに仲良くなったかどうかは覚えていないが、
今尚、会えば 話に出てくる、
お互いの 思い出の最初の出来事は、
保育園での初めての節分の行事でのことだった。
園児達は、新聞紙を丸めて作ったボールを、
鬼に扮した PTA(当時は、鬼だと信じていた)に、
投げて逃げるといったルールで、
わたしは、特に追いかけられず、
新聞紙のボールを持って、
割と遠目から その一部始終を見ていた記憶がある。
その時、ある女の子が一人
園内の隅で 鬼に追い詰められ、
絶叫し、泣きじゃくっていた。
本能的に
「あの子は壊れる寸前だ!」
と、感じたわたしは
兎に角 新聞紙ボールを出来るだけ多く拾って
その女の子のところへ走って行き、
腕を引いて
「こっちだ!」と 言って、
鬼に新聞紙ボールを投げつけながら、
安全地帯に 走って逃げた。
その後、あの鬼はミーモのお父様であったことが、後々、笑い話になったが、
その出来事を、ミーモはいつも、
「あの時の 杏(わたし)ちゃん、ヒーローに見えた」と、振り返る。

そう、ミーモ も、なかなか、クレイジーなのだ。
なんとなく、わたしの珍妙さが目立って
ミーモのイカレっぷりが煙に巻かれがちだが、
ミーモも、結構、イっちゃっている。
わたしが、誰かの事を
イっちゃっている なんて 言える友人は、ミーモぐらいだ。

言葉もない、波長だけが
砂鉄のように自然に友情を形成する3歳、4歳の
わたしとミーモは、
それ以降、この歳まで、
途絶えず友情が育まれた。

保育園では、一緒にブランコを漕いで叫んだり、
波長のままに、
お互いの家を行き来したり、よく 遊んだ。

ある日、わたしの家の裏の山の
畑の道を 二人、
いつものように 探検だっつって歩いていたら、
顔見知りのおっさんが、
「ええもん やらぁよ(いいものを あげるよ)」
と、言って
わたし達に 何かを投げてきた。
それは、小さなモグラの屍 だった。
わたし達は、初めて見る(屍だが)モグラが可愛くて、
二人で大事に抱え、
「モグラの お墓を作ろう!」と、
山道を散策し、
場所を決め、お墓を作った。
辺りの雑草の花などをお供えし、
手を合わせた。
そして、わたしの家で、テンションが上がりきったわたし達は、
折り紙などで、星を切り、
飾りを作り、
部屋中に貼って、モグラへの儀式だとか言って
よくわからない踊りを踊って
笑い転げた。
その後、何度か、遊ぶ度に、
「モグラのお墓に行こう!」と、
行っていたが、いつのまにかその遊びは終わっていた。
思い出した頃には、
どこにお墓を作ったかすらわからなくなっていた。

いつも、遊ぶ時は、
おこづかいの、100円玉 を持って、
駄菓子屋 に行った。
ミーモ 含め、周りの友達は、
100円 で、ガムや、ジャーキーや、得体の知れない駄菓子屋を上手に買っていたが、
わたしは、保守的というか、合理主義というか、ケチくさいというか、
間違いないクオリティの、
コアラのマーチを購入するのが常だった。

そして、放し飼いの犬に
追いかけられ、どれだけその犬を 巻くか で、
死ぬほど笑い転げた。

小学生になり、
ミーモの新しいお家へ遊びに行った。
上品な木の香りのする、情緒ある日本家屋で、
二人で遊んでいると、
玄関のドアの ガラガラガラ と、開く音がした。
幼心に、友達の家族というのは、
それなりに緊張するものだ。
わたしが、「ハッ!」と その音に反応すると、
ミーモが、
「あ。お兄ちゃん帰ってきた」
と言った。
わたしは、その言葉を聞き、咄嗟に
「お兄ちゃんだと?! ヤバい、ミーモをお兄ちゃんの意地悪から守らねば!」
と、身体が自動的に
ミーモのバリケードのように手が伸びた。
何故なら、わたしにも姉が居り、
姉が 意地悪 だったので、姉や兄とは、そういうものだ
と、思ったからだった。
しかも、兄 となれば、更に暴力的に違いない!
と、勝手に思い込み、固唾を飲んでいると、
そんなに意地悪でもなく、
普通だった。
わたしは、
「はっは〜ん、わたしが居るから、ドラマみたいな演技をしてるんだな〜」
と、しばらく 思い込んでいたが、
わたしの姉が少々 度が過ぎていただけだと
ミーモの家族から学んだのだった。

と言っても、たまに、
ミーモのお兄ちゃんが、友達と
わたし達が遊んでいるところへ来て
からかったりしてくることはあった。
そして、ある日、ミーモ宅でいつものように遊んでいると、
ミーモ兄 が、ミーモに、
「ピザを持って来い」と 命令した。
ミーモは、
「自分でやれよ」と、憤慨しながらも、
冷凍庫のピザを取り出し、
わたしも一緒にピザをトースターで焼くのを手伝った。
そして、ピザをお皿に乗せようとした時、
サラミが キッチンの流しに一枚 落っこちてしまった。
すると、ミーモが、
そのサラミをピザに戻し、
不敵に笑いながら
「命令するからや。これも黙って食べさせちゃる」と、言い、
わたしも、ウヒヒヒと笑い、
二人で ミーモ兄 のところへ 笑いを我慢しながら
ピザを運んだ。
ミーモ兄 が、
「おぅ、ありがとう」
と言ったのを聞き、
2人で 部屋を出て、笑い転げ回った。
わたしは、なるほど!仕返し という概念をミーモに教わった。

他にもミーモから学んだ事は色々ある。
ある日、いつものように
駄菓子屋へ行った時のこと、
ミーモが、
「あ! そういえば、あたし杏ちゃんに貸した100円 返してもらったっけ?」
と、言った。
その時、わたしは完全に忘れてしまっていた借金のことを思い出し、
返していない!と、思ったと同時に、
生まれて初めての、
「悪魔 の 囁き」とやらが過った。
そして、
「う、、うん。」と、返した事にしようと返事をすると、
ミーモが、
「あーーーーー!!!!杏ちゃん、今、嘘ついたやろーー!!バレバレーー!」と、
わたしの下手くそな演技に、爆笑した。
わたしは、ものすごく恥ずかしくなり、
自分が、嘘をつけない人間であることを 学んだ
と、同時に、
サッパリと、わたしの卑怯を 笑い退けるミーモの寛大さ と、笑い飛ばす優しさを学んだのだった。

そして、小学2年の夏休み前、
わたしは2学期から市内の小学校へ転校する事を
学校の砂場で、ミーモと2人、
クラスのペットの カメと遊びながら
ふと、打ち明けた。
すると、ミーモは、
「え。」
と、言い、見たことのない曇った顔を見せ
黙りこくった。
わたしは、そんな表情をされるとは思っても見なかった。
次に言葉を発すると、泣きそうになる理由がわからず、
2人とも、初めて だんまりして、
無作為にカメの砂のトンネルを掘った。

わたしにとっては、人生2度目の
今の生活との別れ だったが、
ミーモには、初めてだった。
そして、わたしにとって、
別れを惜しんでくれる という事は初めてだった。

いつも、何があるでもない、
ただ、一緒に何かしていて、
言葉で説明できない事で、いつも笑い転げ、
ほとんど 笑かし合いのまま、時間が繰り返していた。

その夏休み、引っ越す前に、
ミーモのお母様の計らいで、
お泊りに行ったり、キャンプに行ったり、
思い出をたくさん作ってくれた。
わたしと、わたしの母にも、
引っ越しの日、
手紙と、プレゼントをくれた。

わたしは、別れというのは、
寂しいけど、温かいと、初めて知った。


〜 続く〜

aune
2019.04.28