昨日、年末の帰省予定の件で
父と電話で話した。
父は、わたしの社会での切実な世知辛さを
何よりも面白そうに笑うヒトだ。
近年、やっと父と会話が出来るようになった。
父はバカだか、真面目な仕事人だ。
模倣の件を話すと、最初こそ
ヘラヘラと笑っていたが、
初めて、笑わなかった。

父は、現在、福島県で、
土木建築士をしている。
2011年の震災後、
父は駆り立てられるかのように、
福島県へ仕事に行った。
とても生き生きしていた。
父にとって、自分(父自身)を肯定する事が
どれほど困難であるのか、
わたしにはわかる。
わたしと父は、恐らく「同類嫌悪」と
いうものによって、
30年程、
お互いを認める事が出来ないでいた。
父のことも、母のことも、姉のことも、
わたしは、家族という場所に
所属していると、思えることは幼少期からなかった。
だから、わたしは家族が恋しくなったことはなかった。
そして、父のことも、母のことも、
多くを訊いたこともなかった。
父と母は、若くして結婚し、
現在のわたしの年齢(32歳)には、
もう、三児の父と母であった。
父は、自称 シンガーソングライター
(ふざけているのか本気なのかわからない)
で、
母は、自称 夢見る夢子ちゃん
(ふざけているのか本気なのかわからない)
という、二人で、
父は、ずっと一本のフォークギターを、
変なタイミングで掻き鳴らし、夢中になっていた。
わたしがピアノを弾くと、
「うるさい!」と、止めさせられたが、
父は、リビングで、家族がテレビを観ている時に、
風呂上がりに全裸で、
ギターを、掻き鳴らし、
家族は、暗黙の了解でリビングから解散するのが
我が家の常であった。
また、
父は、いつもストレスを抱えていた。
家族以外の
多くの人が「いいヒト」「優しいヒト」
と、言った。
いつも、ヘラヘラ笑って、
大切なことは話さない。
生きるのが下手くそで、
たまに変なところで、変な風に、
ストレスを爆発させていた。
父以外、女ばかりの家族、
父は、わたしに対してだけは、
男として育てた。

父は、根っからの土木建築士で、
測量や、設計図 を仕事の場で終わらず、
生きていることが、土木建築士、測量技士
イコールだった。
だから、それ以外の話は、
興味が無いので、適当だった。
適当で、当たり障りがなければ適材適所
という意になり得るが、
父の其れは、
いちいち、当たり障りのある適当(テキトー)であった。
父自身は、一生懸命だったのだろうが、
それが伝わらないヒトだった。

父の仕事の都合で、我々家族は、
3〜4年おきに、
転勤、転校をした。
今なら、事情がわかるが、
その頃は、わからなかった。
引っ越す場所、場所 で、
わたし という子 を、受け入れる文化は、
極端に違った。
わたし自身が、何をどう変える
でもなく、
異常なまでに気に入られるか、
地域ぐるみで問題児扱いされるか、
本当に、このどちらかであった。
その文化圏に、両親は簡単に流された。
だから、わたしは、
早い段階で、
どこにも、誰も、正解なんてわからないものなのだ
と、気づいた。
大人達が、コロコロと態度を変え、
見解も変える。
わたしがしていることが同じでも、
周りは変わる。
わたしは、パニックになりながらも、
自分の意思を揺らぎ無いものを見いだすことが、
わたしが、唯一わたしを支えられるものになっていった。

ここからは、
父の話。
※今年になって、初めて父から聞いた話だ。

父の父(わたしの父方の祖父)は、
父が、6歳の時に、
白血病で亡くなったそうだ。
そして、父の兄二人も、
事故 と、病気 で次々に亡くなったという。
わたしは、そんなことも、32年間、
よく知らずに生きてきた。

父方の家系というのは、
父の父が、亡くなるまで、
裕福な家庭だったらしい。
父の母(わたしの父方の祖母)は、
大正時代、大阪の裕福なお屋敷のお手伝いさん
を、していたという。
祖父は、裕福な屋敷の息子で、
祖母と、祖父は、
身分というものを超えて恋に落ち、
駆け落ちして、高知県に移り住んだそうだ。

父には、兄、姉、姉、兄 が、居たそうだ。
姉二人は、現在も健在であり、
わたしは、叔母二人のことは知っていた。

父が生まれる前に、
一番上の兄、誠郎(せいろう)さん が、
地元の、渡し船の船頭をしていた時に、
川の氾濫で、
地元のヒトたちを助けようとして、
亡くなったそうだ。
その当時、父の母(わたしの祖母)は、
40歳であった。
そして、あまりの悲しみに、
父をその頃、授かっていたことにも気づかなかったそうだ。
そして、父は生まれた。
当時の40歳 では、なかなかの高齢出産であった。
そして、父は、
その、誠郎 叔父さん の、生まれ変わり
だとされ、
名前が、「誠」と、名付けられたそうだ。
父も、
「お父さんは、生まれ変わりなんよ」
と、本気で言っている。
そして、父がまだ2〜3歳の頃に、
二番目のお兄さんが、
病で亡くなったという。
立て続けに不幸は起こり、
父が6歳の年に、
父の父(わたしの祖父)も、白血病で亡くなったそうだ。
わたしは、そんなことも知らずに
これまで 生きていたのだ、、。

父と、まともに会話をしたこともなかったから、仕方がなかったが、
生きているうちに聞いておいてよかった。

話は続き、
父は、父の父が亡くなった時に、
強い意思を持ったようだ。
父の母(わたしの祖母)は、不幸が立て続けに起こり、
あたまがおかしくなった
 と、父がいっていた。
こういうことを、サラッと言えてしまう神経に、
わたしは、これまで、
嫌な気分を抱いてきたが、
事情を知り、
そう発する父の言葉の形が変わった。
祖父が亡くなるまでの、父の家は
裕福で、地域の人達が、
父の家に、当時珍しかったテレビを観に集まっていたそうだ。
そして、
祖父が亡くなり、
祖母は、生活のため、
国からの援助が必要になった。
その時に、テレビは回収されるということを知った父は、
若干6歳にして、
国からの援助は要らない!
テレビも渡さなくていい!
と、
言い放ったそうだ。
そして、暮らしは裕福なものではなくなった。

わたしの、全く知らなかった、
父の幼少期の話だ。

わたしは、
父が、どんな思いで、これまで
あんな下手くそに生きてきたのか、
ようやくわかった気がした。

電話口で、わたしは、
「その話、お母さんにしたことあるの?」
と、訊ねると、
「お母さんには、関係ない。お父さんのことやけん、話さんでもええことやけん、お母さんには、言わんでええ。」
と、言った。

父は、仕事の上で、
たくさんの社会の不条理を
目の当たりにしてきたのだろう、
そんなにも背負っているものが、父にあったのだと、
わたしは、知らなかった。

そして、わたしが4歳になる年に、
父の実家へ引っ越した。
祖母と、家族で、暮らしていた。
わたしは、
何も知らずに、
祖母や、叔母に、
「ねえ、死ぬ って、どうなるの?」
「死ぬって、こわくない?」
と、執拗に訊いていた。
だから、あんな風に
嫌がられたのだと、やっと理解したのだ。
32歳になって。
4歳で引っ越した、父の田舎は、
わたしには、すぐそばに、
「死」というものがあるように見えた。
お墓も常に見えるところにあったし、
それまで、高知でも中心部で、
団地住まいの核家族で暮らしていたところとは、全く違い、
夜は真っ暗で、
仏壇には、兵隊さんの格好をした、
叔父さん達の写真があり、
あちらこちらに、
お地蔵さんがあり、
お盆には、近所の海から、
亡くなった人達を呼んだり帰したりする、
送り火、迎え火
という儀式があったり と、
「死」を感じるものが、
生活の一部にあることが
習慣づいてなかった 当時のわたしには、
とても不思議で、どんな気持ちになるのかわからなかったのが、
もどかしかった。

叔母さん達に、
「なんで?なんで?」
と、そういったナイーヴなところを
ほじくりまくっていたのだ
と、
ようやくわかった。
仏壇や、お墓に手を合わせる祖母にも、
「ねえ、ばあちゃん、死ぬのこわくない?」
と、何度も訊いた。
何度も、祖母は、
「こわくないよ」
と応えた。
わたしは、
「なんで?なんでこわくないの?」
と、延々訊き、
祖母は、
「歳をとったら こわくなくなる」
と、応えたが、
わたしは、
「死んだらどうなるの?」
と、
止めどなく訊き、
誰も応えず、白い目で見られる子になってしまった。
わたしは、
死に近いと、感じるもの、
雲や、枯葉 や、石っころにまで、
「ねえ!死ぬってどうなるの?」
と、訊いてまわっていた。
相手にされる大人がもう居なくなっていたのだ。
そのような事情 を知ったのが、
つい先日だったのだから、
わたしのヤラかし を知ったのも、
32年間生きて、やっとだった。

わたしが、5歳の頃、
近所で、お地蔵さんそっくりの石を拾ってきて、
庭先に、石で囲い、
お地蔵さんにそっくりの石を置き、
丁寧に よだれかけ?まで、作って、
お花とお水を添えて、
庭にお地蔵さんを作って、手を合わせていたとき、
祖母が、すごい剣幕で、
「こんな気味の悪いもん作るんじゃない!!」
と、
足で踏み潰されて、
わたしは、とてもショックを受けた。

しかし、父から、先日
そういった話を聞けた現在となっては、
わたしは、
忌み嫌われるに相当することを
してしまっていたのだと、
理解することができたのだ。

話は、父のことに戻ろう。
父は、度々
「公務員は最低だ!」
とか、
職場、職場の、組織体制に対して、
筋が通らないことに、
はっきりと、声を上げてしまう人間だったのだろう。
たくさんの、不条理や、
バカにされてきたのだろう。
自分が、6歳の自分が、
背負った大きなものを、
ずっとずっと、背負い続けていたのだろう。
家族にも理解されずに、
弱音も吐けずに。

わたしは、なんだか、全て理解できた。

父は、わたしが6歳のときに
小学生の、デスクを買いに家具屋へ行った際、
当時、わたしがアニメで観ていた、
「ちびまる子ちゃん」の、
下敷き?のデスクを、
「コレがいい!!」と、言って、
父と意見が分かれただけなのに、
父は、
「杏(わたし)は、お父さんに反抗したいだけなんや!」
と、ブチ切れていた。
その頃から、
なんとなく、父との間に
分厚い壁が出来てきた。

大人になるに連れて、
父の変な偏りの度が過ぎる行動や、
その理由、自分も、同じようになってゆくものを感じる度、
自分の中の父の遺伝子が、
わたしの顔を何度となく引きつらせた。
そういった事例が、年々、
増えていった。

父のことを、単なるマザコンの、
単なる出来損ないの負け犬の遠吠え
だと、
思っていたことが、
自分も、同じようになってゆき、
父の嘆いていた憤りが、
理解してしまえるようになってゆき、
わたしは、父のようにはなるまい
と、生きてきたはずなのに
と、暗雲に包まれる気持ちに苛まれることが
多くなっていた。

2010年、
祖母が亡くなって、
一年間、父は、実家で
抜け殻のようになっていたこと。
震災後、生気を取り戻したように、
福島県へ仕事をしに行く途中、
神戸で、わたしと食事をしたとき、
父がチョイスして入った 中華料理店で、
「ナントカ ちー」と、
漢字3文字の料理名を得意げに
注文し、
とても生き生きして見え、
仕事に対して、
「自分が出来ることを、一生懸命出来たら、生きちょって良かった って思えるやん?」
と、語って、
もう一品、注文するものを、
「じゃあ、、コレ」
と、なんだか見たことのありそうな
漢字3文字のメニューを指差し、
店員さんが
「ホイコーロー ですね」
と、言い、
乾いた笑いが、格好良さを吹き消したこと。

わたしは、先日の、父との電話で、
そういった話を聞いて、
誤解していたものと、
辻褄が合わさったこと
を、
感じた。


話は最初に戻る。

昨日の、電話で、
年末年始の予定と、
お互いに「最近どう?」
という話で、
わたしが、
「んー、まあ、ちょっとね、今、厄介なことがあって、、」
と、
「模倣」の話をした。
まず、
わたしが、父に、
「杏里の作品が模倣されてよ、」
と、言うと、
「・・・」
と、なったので、
「あー、『模倣』って、わかる?」
と、訊くと、
いつものように、
「へへへ!わからん、へへ」
と、応える父に、
「パクリ って、わかる?」
と、言うと、
「あー、真似されたがか、?へへへ!」
と、
言葉を知らなさ過ぎる父に、
わかりやすく
事の流れを説明したところ、
「まぁー、真似されるぐらいになったんやけんええやん!」
と、言う具合で、
父のわたしと、絵との認識とは、
わりと、こんなもんなのだが、
わたしが、
「真似なんか今に始まった事じゃないよ。それに、仕事の話やけん、そういう問題じゃなくてよ、」
と、言うと、
それまでヘラヘラ笑っていたのが、
少し、静かになり、
「ヒトの真似したらいかなあーねえー!(訳:ヒトの真似するのは良くないよなあ!)へへ!」
と、言われ、初めて、
わたしの生き方に大人として、
仕事として、
生き方として、
寄り添って貰えた気がした。

そして、
いつも通り、
「まあ、がんばり。」
と、言われて、
話は終わった。

また、東京のもう彼此10年来の
友人であり、良き理解者である方
とのやりとり、
また、家族でも一番近い理解者の妹
や、
島田ギャラリーさん 、
わたしには、
大人として、一人の筋を通す下手くそな人間の
生き方に、
願っても無いような
ただ、真面目に、ただ、一生懸命
生きることへの 心の拠り所 を、
こんなにも
頂いていることを、
わたしは、ちゃんと、大切に、
大切に 出来るように、
これからも生きて行かねばとおもうのです。

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2016.12.11