芸術という重みを、
あくまで わたしは、
感性 とか
感じたままにとか
感受性 で、ぼやかして
感じる ということを、
有耶無耶にしたような言い回しで
芸術 を、語る
作家や、評論家 の 
感性 って、なんぼのもんじゃい
て、思うことが多々ある。

感受性とは、作家側にいる人間からすれば、
いちいち、それを説明するに及ばない
しかし、そんなあやふやなものでは無いからこそ、
この世にわざわざ、身を削ってまで
具現化しない と、
生きてられない、
だから、こそ!
心底、
わたしは思うところ
あるので、
感受性、感性
などという個々の持つ、その動力は、
寧ろ、それを観る側、嗜む側の
人間に、持っていて欲しい
と、
思うぐらいのものでは無いかな?

作り手側は、伝わらなくても
伝えようとすることを、
既にしているし、
伝わることではなくて、
伝えようと極限まで必死であることまで
を、
常に意識しているから、
感性とかで言いくるめるのは
なんかちゃうと思うなぁわたしは。
遊んでる、道楽者、自由、苦悩、才能、評価、値段
そのように感じられたとしても、
自身の結果は、そういうことではなくて、
自分を、超えることは、
人目に触れる前に、結果は出ているし、
嗜まれる方々の感じられたもの に、勝る
結論は、自分の中にしか無い。
自身の力不足かもしれないし、
世に受け皿が無いのかもしれない、
そんなことは、嘆くだけ悲惨だ。
それが、全て。
否定など存在しない。
有意義であったか、どうか。
それは、自分が一番よくわかってないと
そんなくだらないこと、やってられなくなるのではないかな?
あくまでこれは、
いち、作家側としての、わたしという個人の
価値観、概念、思想。
でも、なんだかんだ言って、
極論、わたしにとっては、
そういうもの。

わたしの、画面に起こす(絵を描く)
という地盤において、
自分の使える言葉は、
近年、多少なりとも、
自分の思考に、追いついてきたかな?程度
だけど、
そんな拙い、絵よりも難解で、厄介な言葉を、求められたなら、
訊ねられれば、なんとか応えられるもの。
だって、明確に、見えているし、
それを、画面に起こす、
現実に描き現す ことをする上で
そこには、確固たるもの が、
感覚、感性、感受性
などで、ナントカ生きられる程のモノではないから、
描いているのだから。

でも、あくまでも画面の方が
直球だから描くのだけども。

全体画面に視覚からの情報量を纏めているからこそ、
言葉が、足らなくなるだけで
言葉も探して、その上で、更に、
言葉を知らないだけ というものを、
決してそれらを一概に、
感覚的である = 芸術的センス
と、一括りにするのは、
なんか、物凄い違和感があるなぁ、、
と、思う。

わたしは、言葉を探して述べるけど
言葉にならなくても、
言葉が足らなくて、画面に起こしても
わたしの
頭ん中は、理屈っぽいよ
かなり、理屈っぽい とおもう。
自分では、嫌になる程、そう感じています。

だから、わたし自身、
世の中の捉える、
所謂、芸術家気質
というのとは、違う気がしてる。
理解は求めないけど、正直、
理屈っぽい 自分 のせいで、
自分を壊してしまいそうになる程、
めちゃくちゃ理屈っぽいなぁ。

こんなこと、言葉にしても
事の重大さを、
より一層、温度をナンセンスにしてしまうようにしかならないけれど、
敢えて、頑張って、ナントカ言葉にすると、
ここ、そこ での、
わたしの、一つの画面における、
モチーフ というのは、
言語における、単語の翻訳
と、回路は同じところを使うし、
一つの画面は、
一つのストーリー の翻訳
という、捉え方で、生きてる。
わたしにとっての、画面(絵を描くこと)の有り様での、
その感覚は、ずっと変わらないなぁ。。

だから、きっと、
端的に纏める、イラスト 
や、キャラクター
が描けない(自分の判断から、描けていないという意)
のだと、思う。

20歳のときの わたしは、
画面に起こす(絵を描く)ということで、
己のくだらないメッセージ性
を、
直視し、そして、それが受け入れられる
ということに、
自分が、何よりも、
絶望に、かられていた。
だから、メッセージ性という響きが、
単なる、個人的な、幼稚な情念
でしかなかったから、
そうなっていた事に、
有難いことに、
気づかせて頂けたのが、
何よりも、わたしにとって
その時の、人生最大の新境地になった。

わたしは、
その、己のくだらないメッセージ性、
くだらない情念
を、切り離し、
それらを
画面持ち込まない描き方、画面のあり方
模索した。
「こんな 情念どろどろの 絵 なんか、誰も飾りたくない。
こんな絵を描くなら、画家は、やめた方が良い。」
と、一喝されて、
わたしは、傷つくどころか、
「うわー、なるほど、だからだったのか、うん!わかった!」
と思った。

そして、その手段として、
画面に、徹底して努めたことが、
視神経脳機能 というものの、
常に、自発的 研究を通して、
そこから、導かれた仮説を、
言葉がわからないので、
図説として絵を描く 
それらを、画面で説明するために描く
という方法を用いるようになった
わたしの20代。

夢と、視神経、盲点、
見る ということの本質、
眠り、視神経乳頭と、脳機能、
それらを論文と同じようなものとして、
図面化する。(絵を描く。)

楽しくなければ、
開拓できなければ、
描く必要も無い。
然し、描く以外の、
自分の存在が、どうしても、
ビジョン化されない こと
への、
一種の不安、恐怖
を、感じずに絵を描けはじめた。

そこで昇華できた
と、思しき、一つの、
くだらないメッセージ性 の
モチーフとして、
目(三白眼)を、
視神経脳機能として描く上で、
我のトラウマとして
の、描き方ではなく、
ストイックに、客観視することで
その主観にある、闇 を、
気持ちよく昇華出来る
「象徴」のひとつ
として、描いていた。

勿論、今は、
またモチベーションに変化はありますが、
描かずに堪えることもない
と、今は思えるという、
穏やかなものになったまで。
当然、繋がってはいるのですが。

わたし自身にとっての、
視覚、視覚野、視覚的情報量
という、そのものは
日々、生きる上で
特別に、
強烈で、
膨大で、
衝撃が過ぎるものであり、
世の云うところの「才能」と呼ばれたり、
結果として利用できるようなものなど、
本当に、どうでもいいくらいに、
微々たる場所であり、
自分は、ダミーなのだから、
と、
確信せざるを得ず
余計に、闇に葬られるだけであり、
それを、嘆くだけの、
くだらない絵を描いていたから、
その闇と 共に生きていたことにも繋がり、
嘆くだけ、喚くだけ
画面 を、見る、もう一つの視覚、目線
が、生まれたことにより、
他者にどう見られているか
などということが、
どうでも良くなった、
ある意味で、もう、ズブズブズブっと、
浸っていったのだと、
そこから描く、モチーフは、
どんどんストイックになり続け、
泣き喚きながら描いても、
画面には、それを弾き返されるようになった。

わたしにとっての、
目のモチーフ は、
まだ、目のモチーフ
に、耐性のなかった世間からは、
賛否両論
否 のお声の方が多かったが、
否 の言い分はくだらなく、
少なくとも、
賛 のお声の方が、
見極めを介しての、
わたしにとって、くだらなくなく感じることが
多かった。
わたしのオフィシャルサイト
は、
2005年からのものを、
2011年の、
デビュー個展をするにあたって、
プロデューサーに、
作品等、振り分けて頂き、
一新させたのだが、
わたしは、2010年に、
現在のわたしの、オフィシャルサイト
に、改める際、
裏設定として、
世の中の、芸術の分野へ向けて、
ではなく、
科学の分野 へ、届くよう、
プロデューサーにも、秘密で
設定しているのは、
わたしは、芸術家 ではなく、
科学の研究者であり、
この作品=図説
を、研究材料の提供として、
を、
設定した。

わたしが世に投げかけたい
メッセージというものは、
視神経脳機能の、最先端を、
知りたい!
今、現在、どのぐらい認識されてますか?
わたしは、色々と、
打ち出したい、仮説がありますが、
実際、どの程度の認知がありますか?
そして、そこから、視覚というものは、
皆さん、どうなんですか?
どうやって、向き合ったら
上手く生きられますか?
という、
メッセージ?といえば、メッセージ性だったのかな、?
と思う。

何もわからない、
何も叫べて無い、
何も問えて無い、
単なる、私事の、
悲鳴の絶叫をただ、ただ、垂れ流すもの
そこから打破し、
20歳から、わたしは、初めて、
冷静に、自分の例というものを
翻訳しないと、始まらない。
と、気づかせて頂けて、
先ずは、大きな、
画面との向き合い方のステージが変わった。

とりあえず、次のステージ の話は
追い追い。

ミニアチュール神戸 展 2016
出展、販売する作品
締め切りが、
明日 やねーーん!

ラストスパート、
だーー!!

数年ぶりに、目のモチーフを我慢するなんて
ダサいこと、もう、振り切って、
描き始めたら、
なんだか、とっても、愉しくなってきたー!
結局、言葉では言い表せない
愉しさ
が、
全てなんだな〜。

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aune
2016.07.18