先ず、
https://youtu.be/IWKLyLJO68I
この歌。
(YouTube では、なんだか、当時の音源ではないのだけれど、)
スチャダラパー さん
の、
「大人になっても」。
この曲は、わたしが中学生ぐらいの時だったかな?
朝、わたしは、朝食を食べない人間で、
それは、ダイエット等ではなく、
朝食はおろか、
水一滴すらも、体内に入れると、
お腹を下し、逆に学校等、行けたもんではなくなるほど
体調を崩すから。
なので、ギリギリまで寝て、
テンパりながら、登校するため、
玄関で、靴を履いていたとき、
玄関の隣の リビングのテレビから、
当時の、「ポンキッキーズ」
が、流れており、
この曲 が、聴こえ、頭にこびりついたのだろう。
未だに、この歌が、頭の中で迫ってくる。ときが、
ある。

わたしの部屋の汚さ、
整理整頓の、物理の弱さ
常軌の逸し方は、今に始まった事ではない。
小学生の頃から、友達が、
わたしの家に遊びに来て、
その中の男の子のヒト達にさえ、
「うわぁ〜、杏里ちゃんの部屋(もしくは机)、僕より汚〜い。」
と、言われて、
潔癖の母が、
ずっと、その辱めを、わたしが整理整頓出来ないでいる度、
口にしていた。
自分の部屋が出来てからの11歳からは、
毎日、母に、
わたしの帰宅時、
「杏ちゃん!!今日こそは、部屋!片付けなさい!!」
と、叱られていたし、
わたしの部屋は、散らかっているレベルの
次元では既になく、
壁紙が見えることをヤケに嫌だったのか、
壁一面に、何かしらの紙(雑誌の気に入ったしゃしんや、自分の描いた絵 等)
が、貼られ、
足の踏み場等、逆にもう、
踏み場というものは、こういうものだ
と、言わんばかりに、ものにあふれ、
わたしの勉強机は、
ビニールテープで、ぐるぐる巻き。
勿論、机の上には、
メモ一つ取れるスペースすら無し。
箪笥は、絶対に、きっちり閉まることもなく、
絶対に 衣類ははみ出ている。
箪笥に入っているだけ、まだマシ。。
何回も無くしてしまう、
コンパスは、
無くさないために、壁に突き刺していたし、
夜、足場も悪く、
スムーズに動けるよう、
部屋を真っ暗にしても、どこに何があるかを把握するため、
蓄光の ペンで、
たんす には、「たんす」
机 には、「つくえ」
クローゼットには、「クローゼット」
電気 には、「でんき」
ベッドには、「ベッド」
と、書いていた。
掃除、片付け、整理整頓
母には、幼い頃からずっと、ずっと繰り返し、
「出したものを、出したところへ戻す だけ!」
と、何百回も言われ続けてきた。
気が付いたら、
「あーー!!いつのまに、、!」
となってる。
「綺麗好き」という言葉があるが、
わたしかて、綺麗な方が勿論好きや!っちゅーねん!
それを言うなら、
「片付け、掃除、整理整頓 好き」
と、言って欲しい。
わたしの脳みそに組み込まれていないものの一つだ、、。
これは、なにも反論出来るような、様ではない。
どうして、こうなる?
わからない、、。
そんな32年間の中の20年間程、
この、スチャダラパーさんの、
♪「か!た!せ!yo!!♪ 一生・言わ・れぇるぞ!!」
が、流れて来るんですよ、、。
そして、どんどん迫ってくる。
わたしのことを述べている。
見透かされている、、(e_e)
♪「こ・こ・ろ に! とめとけ!!♪ 大人になってもそのまま!!♪」
、、う、
う、、うぅ、う、、、
ぅうわああーーーーーーー!!!!

で、お次の、
ふと、何かの拍子に
頭の中で響く うた。言葉。音楽。
が、こちら↓
中学生だった当時、
わたしは、新聞配達 と、絵を描くこと
にだけ、魂を投じ (← 不本意で、韻踏んだ。)、
わたしは、朝が苦手で、
新聞配達のバイトは、
最悪、早めに登校する同級生が、
登校している時間帯に
新聞を配達することも ザラ で、
小さな集落だが、沢山苦情が殺到した。
出勤前に、イライラしながら、
もう、車のドアに、
手をくっつけて 新聞を待っているおっさん達も いた。
朝が 苦手というのは、
ずっと昔からで、
中学 1〜2年生までやっていた。
朝が苦手意外にも、
ある家 が、悩みの種
だった。
その家は、
門 から、新聞受けの、
玄関先の ポストまで、
約3〜4m の 敷地内があり、
その 3〜4m の間に、
でっかい でっかい うんこみたいな色と、
存在感の、
ガマガエル? ウシガエル?
が、30㎝おきに、
佇んでおり、
わたしは、そのカエルが怖くて、
せめて、半径30㎝ は、離れてでないと
その玄関先のポストまで行けずに、
門のところで、
「ああー、あぁあ〜〜、、もう、、早くどっか行ってぇ〜〜、、お願いぃ〜〜、、」
と、泣きながら
小一時間 立ち往生してしまうこともあったので、
近隣住民の方々からの、
苦情は、半端なかったこと請け合い。
しかし、
 中学生でも、小学生に見えたわたしに、
大人の人たちは、
直接文句が言えなかった。
というのも、
田舎の集落に若者が居らず、
こんなに 小さい女の子が、健気に頑張っている
という風に見えたからだろうな、、
だから、クビにしても、他に配るヒトが居ないのだから、
クビにはならなかった。

そんなわたしは、
早く大人になりたかった。
もう、物心ついた頃から、
早く大人になりたかった。
漠然とした、大人という概念のもと、
わたしは、クソガキ の頃から、
クソガキ が、大っ嫌いだった。
大人になれば、もっと、まともに話せる、
そういう世界の方が、
自分には合っている と、思っていた。
しかし、現実は、違った。
いや、想像していたものではなかっただけだが、
幻滅することの方が多かった。
そんなとき、流れてくるのが、この曲。
♪「大人は楽しい〜ー!!」

当時、12〜14歳ぐらいだったかな?
何か で、たまたま、この曲を聴いたのだろう、
それ以来、
わたしは、何かの拍子に、ふと、
この、
♪ おとなは 楽しい〜〜 ♪
が、
頭のなかで 流れるようになった。

わたしは、こんなこと、言わなくともいいかもしれないが、
申し訳ない、ラップが好きなわけではなく、
いや、寧ろ、(ほんとに失敬賜り申し訳ない m(_ _)m のだけれど、)
「あーあー、おしゃべりさん やなあ〜」
と、内心小馬鹿にしているふしがあった。
しかし、響くものってのは、
脳みそに、レコーディングされて、
さらに、そのときの自分と、対話ができる。

わたしは、4歳、7歳 の、わたしが、
28歳になるくらいまでいた。

生まれて4年毎に、父の仕事の都合で、
高知県内を、
アッチコッチ、西東、
引っ越し、転校、していた。
その関係はとても大きく、
わたしの、記憶のあり方、
文化の違い と、人間の価値観は、
自分のフィルターで、
全てをフラットに考える 思考のあり方
が、育まれた のかもしれない。

ニコ生などでも、よく、
「独特の教育で」云々
や、
「独特の見解で」云々
と、言われるが、
たったの、一つの県内でも、
文化、思想 も、違えば、
わたしのような 腫れ物そのもの
のような人間、子供
というのは、
場所、場所 の、キャパシティー(受け皿)
によって、
全く別の扱い方、持ち上げられ方、
褒められるところも、
嫌な噂になるところも、同じところ。
場所が違えば、こうも浮き世は姿勢を変える、
否定、批難 轟々だったところが、
尊敬、尊重、評価 されたりもする。
わたしは、已む無く、
自ずと、理解をしなければ生きてゆけなかった。
常に、大人子供、問わず、
善悪ではなく、
何故、他者は、こうするのか、
何故、わたしは、こんなことになってしまっているのか、
自分が 着地するのは、常に、自分自身だった。
だから、自ずと、パニックの連続だった。
そして、そのパニックすることに、
もう、小学5年生の時点で、疲れ果てていた。
だから、考えることが多すぎて、
ヒトの名前も、顔も、大して大切ではなくなり、
それらに限り、記憶に留めることが
今尚、出来ないでいます。
可能ならば、可能な限りで良いので、
そのことを、
どうか、ご理解いただきたいm(_ _)m
決して、邪険にしているわけではないのです。

わたしは、これは、自慢とか、そんなのではなく、
めちゃめちゃ、記憶力がある。
勿論、主観であり、
それは、その記憶のデータ量 は、
決して、必要なものだけを 器用に保管されていない。
だから、データ量は、重い。
そのときの一部始終を、そのときの映像として、引き出すから、
自分は、そのときの価値観であり、
そのときの見えたその通りを 自分を介して再現するので、
誰がこう言った、誰がこうやった
というものを、
説明する際に、
自ずと、その誰か 達の、
口調をモノマネ(←わざとではない) を、
せざるを得ない形になっている。
空気感も再現することになっている。
言葉や、意図そのものを端的に、記憶出来ない。
単なる、わたしの目カメラワークからの、
風景の、再現。

厄介な記憶力。
だから、誰が 言った 言わない
の、喧嘩が、大っ嫌い!
生活をスムーズに生きる上で、
記憶力なんて、役に立つことなどほぼ無い。
ここに見えているものを、過去、現在でもだが、
幾度となく、
皆が見えるように
プロジェクターのようなもので、
わたしの、この、記憶の一部始終、
単なる事実 を、ここに映し出せたらなあ!
悪用されてもええから、
それが出来るようにとっとと、
チップなり何なりを
埋め込んでくれたらええのになあ!
と、散々思い、苦虫を噛み倒してきた。
そのように、
データさえ見つかれば、時間が許す限りなら、
そのまんま、思い出せるのだが、
どういったわけか、
他者の名前、顔
というのは、本当に、
失礼に値するほど、記憶出来ない。
夏休み明けに、
クラスメイト、しかも、恐らくよく話しかけられていたのであろう
人達から、
「あんりー!久しぶりー!」と、
声を掛けられても、
内心、「やっべぇ、この人誰だっけ?」
となり、
誰かが、そのヒトの 名を呼ぶなりするまで、
わたしは、なんとか、
主語抜きの会話をしてしまう。
これは、生まれて4年毎に、
構築した文化を、破壊され、
また、文化を、構築できたと思えば、
また、破壊され、
ただでさえ、環境の変化に対して、
適応能力が、劇的に低いわたしは、
引っ越し3回め 辺りから、
もう、哀しくなるし、パニックになるから、
どうせ、お別れして、
忘れてゆくことを覚り、脳みそが
そこの部分、シャットダウンしないと、
やっていけないのだと思う。
ただでさえ、データ量が、半端ないのだから。
あと、他者のことに、関心が極めて無い
というのも、
そういうことかもしれない。

わたしは、いつしか、
木や、家の壁、塀、等、
その場所から、
なるべく動かないであろうもの 達に、
「来年のわたし〜!!来年のわたしは、今、楽しいですか〜?
来年のわたしは、まだ、ここに居ますか〜?
来年のわたし〜!頑張れ!!」
と、
初詣に、行く車中、
くねくね山道で、わたしは、すぐに
車酔いで、
意識が朦朧としながら、
目立つ、大きな木に、
心の中で、そう叫んでいた。
翌年、
また、グロッキー な状態で、
同じところへ行けた際は、初詣への車中、
ある風景から、声が近づいてくる。
あの木からだ。
昨年のわたしが、呼んでいる。
わたしは、
「1年前のわたし〜!わたしは、まだ、ここに居るよー!
毎日 楽しいよー!心配いらないよー!!だから、昨年のわたし、安心してねー!!1年前のわたし、大丈夫だから、頑張れー!!」
と、心の中で それに応え、
そして、続けて、その木に、
「来年のわたしー!!1年後のわたしーー!!
楽しいですか〜?
来年のわたしは、どこに居ますか〜?
頑張れー!!」
と、投げかける。
翌年、引っ越しして、其処へ行けないときもあった。
引っ越しした先では、
家の、便所の壁に、話しかけていた。

そんな風に、
過去、現在、未来 の自分と対話するわたしは、
親心にも、気持ちが悪かっただろう
と、今では想像することができる。
引っ越しするときは、
住んでいた家から最後のお別れ。
目に、全ての家の光景を焼き付けて、
全ての部屋に行き、
「今まで、ありがとうございました。
さようなら。」
と、言って引っ越しをした。

28歳くらい まで、、
わたしには、4歳 と、7歳のわたし
が、
いつも、その時、その時 の、
今のわたしに
問いかけてくる。
4歳 と、7歳の ときに、
わたしがわたしに 問いかけていた、
メッセージ。
「大人のわたし!今、楽しいですか?
そこは、安心して暮らせますか?
なりたくない人間に、なっていませんか?」
と。
わたしは、今までずっと、嘘でも、
「たのしいよ! わたしたち!大丈夫だよ!!心配いらないよ!!
安心してね!!頑張れ!!」
と、応えてきた。

その問いに、応えられない程 苦しいときには、
おんおん泣いてしまうこともあった。
でも、今も応えてる。
「なりたくない大人には、なってないよ!
たのしいけど、考えもつかなかったような、色んなことが、見えるよ!
全て、考えもつかないことばかり、考えもつかないけど、それ以上に、素晴らしいことが、必ずやってくるから!!
頑張れ!! 」
て。

最近は、あまり来なくなった。
安心したのかもしれない。。
幻滅させるような生き方は、出来ない
って、
わたしは、わたしのことを、
解ったのかな。



わたしの頭の中で響くのは、
こういった、うた だけではない。
色んな方々の、
お言葉 などもある。
まぁ、、また、そのはなしは、いずれ、、。

さてさて、追い込みだー!

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ミニアチュール神戸展 2016
7月 23〜 8月 3日
at ギャラリー島田 




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2016.07.17