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こんにちは。
わたしは、風邪をこじらせました。

まだ、この世界には、
奪い合うこと、
殺し合うこと
が、
無くならない 哀しいことだと
思って生きておられる方々へ、

この世界は、
そうやって出来ています。

評価 や、価値 など、
大した人間が与えてなどいません。

崇高な魂は、
わざわざ、評価 や、価値なんていう
二度手間、まさに
二度デマ
を、わざわざ
無知な世界に、発表など
しません。
直接的に、各々が、個々を尊重すること
その積み重ねが
真実となってゆきます。
事実は、編集されたものから
排除されます。
わかりきったこと、
彼等にとって、都合が悪いのは、
悪ではありません。

正義 は、弱者を守りません。
守れません。
「正義」という 大義名分 は、
勝ったもの のみ ぞ、
奪えます。
生き延びられたものだけが、
自称できます。
「正義」を 名乗るには、
死ぬわけにはいけません。
だから、正義 を名乗りたい人間は、
いつも、強い方につきます。
強いもの ではなく、
強い方につくもの なのです。
正義 に、過ち など、あり得ないからです。
だからこそ、正義 は、いつも、
強いものの、他力本願なのです。
立場が、逆転 という事態になれば、
正義は、
簡単に、手のひらを返せます。
そのために、正義 を名乗るものたちは、
絶対 に、闘いません。
ただ、強いものにすがり、
優位な立場 に、すがり、
自らの判断ではない こと
を、武器に、
闘わずに、勝とうとします。
負けなど 無いのです。

正義 のやり方は、いつもこうです。

何が何でも、
正義 や、美徳 や、名誉
勝ち取りたいものたちは、
そんなことすら、疑いもせず、
彼等はそれこそ正義だと
思って
美しさ や、弱さ など
見られない、おもちゃの目になります。
そうして、その手が殺したものなど
決して見当たらなくなります。

正義 は、いつも、何よりも甘い。

正義 にとって、何よりもの敵は、
「事実」なのです。
事実 は、正義の味方 ではありません。
正義 は、事実など、どうでもいいのです。
正義に、「責任」は、問われないのです。
正義 が、ルール だからなのです。


でも、絶望 には、
至りません。
どうか、やめないで。
生きることを、バカにしないで。
正義と同じには、ならずに
生きることは難しいです。

美しいものは、殺されたって、無くなりません。

わたしが、無くしません。
約束します。
どうすればいいか、いつも考えています。


責任 というのは、
持ったり、背負ったり、背負わしたり、
渡したり、託したり
する
そんなものではありません。
権利なんかよりも、
もっと昔から、
何かを発した、その瞬間から
責任 は、
発生しています。

責任 という そのもの自体 が、
そもそも、誰かや、誰かへ、
転嫁できるような
チープなものではないんです。

自由 や、権利
は、
そもそもありません。
あるのは、相対的な、自分。
そして、
絶対的な、責任。

それだけなんです。
重くも軽くもありません。

優しい世界 へ。

auneより。


aune
2016.06.09