本日、放送予定です。

詳細は、後ほど(OvO)!


最近は、ミニアチュール神戸展
向けて、
社会科を、
四六時中、漁っております。

それから、猫育て で、
α波を補いつつ、
一喜一憂の全てを、
小さいサイズの画面に、
結びつけるよう
「穏やかな狂人」
として、トンネルを開通させまくっています。
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なかなか、しかし、
生命とはどこまでもフラクタル。

世界が
小さければ小さいほど、
自分は大きい
と、勘違いしているもの
が、寄り集まっていて、
大きいことが、小さいことである
こと
に、もしかしたら、
ずーーっと、繰り返してきたことから、
もしかしたら、
ようやく、次のステップへと、
小さなものたちが、
穏やかな狂人たちが、
開拓されゆくのではないか?
と、
わたしは、少し、2016、前向きです。
繰り返し
 に、
飽きた生命は、
馴れ合うことこそ、繰り返す。
我々の、あっという間の一生 と同じように。
いつまでも、思春期の青二才のような戯言ばかりの
身の程知らずで、味わう味覚が
どのように幼稚であったか、
まるで、一つの生命を過ごす感覚で、
世界が、ざわめいている。
世界がざわめくことが、
どんな大きな出来事よりも、
歴史を作っていることに、
気がつき始めたざわめき
が、
わたしには、聞こえます。。

皆様は、どうでしょう?

ざわめきに、耳を凝らして頂きたい。
何が、何を負かすでもなく、
何が、何を奪うでもない、
そんな方法が、あり得なくはない。
誰も苦しまない世はないけれど、
これからは、己のこれまで こそ が、
己を成長させる。
たまたま、ここは、最後の分岐点。

誰も誰かを殺さない。
殺してくるのは、己だけだったのだ
と、
世界がざわめいて聞こえます。

盗賊たちは、自滅してゆくので、
暴力は、なくならなくても、
ふるったものにだけ、それらは帰ってゆくことを、
体感で、感じ始めているのを感じます。
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aune
2016.06.01