ここ最近、物事の差異はグラデーションという話で勝手に盛り上がっている私ですが、この事に関してまた気付きというか、「これも人為的な境界線だな」と感じた事があったので共有させていただきます。 

 

 その人為的な境界線とは、空手における立ち方の種類です。 

 

 以前、一般的な空手の分類とされる首里手と那覇手の基礎の立ち方について記事にした際に少しだけ触れたのですが、空手には無数の立ち方があります。 

 

 

 まあ、無数にと言っても全ての流派を統合すると、という事であって、私が所属する団体ではナイハンチ立ちとセイサン立ちと猫足立ちの3つしかありませんし、一つの流派で細かく立ち方を分類している所もあるという感じです。 

 

 ここら辺はざっくりとした認識で構いませんので、とりあえずイメージがしやすいように「空手 立ち方」でググった時に出てきたサイトを載せますのでご参照ください。 

 

 

 こうやって見ると、空手の立ち方にはたくさんあるように見えるのですが、細かくどういう立ち方なのかを見ていくと必ずしも「違う物が複数ある」とは言えない事が分かってきます。 

 

 例えば過去の記事に書いた様に、私の解釈ではありますが、ナイハンチ立ちと四股立ちは要点の取り出し方が違うだけで源流は同じだと考えています。 

 

 ナイハンチ立ちと四股立ち両方ある流派もありますが、それは取り出した要点を元に境界線を引いている様に感じるですよね。 

 

 イメージとしては「この流派にない立ち方がこちらにはある」ではなく、「この流派では○○立ちの範疇だがこの流派は分けて考えている」というような感じです。 

 

 これの最も分かり易い例は、重心に着目した場合の後屈立ち猫足立ちだと私は考えています。 

 

 私が習った猫足立ちは後ろ足に重心が全て乗っていますが、一般的に後屈立ちは後ろ7前3や、後ろ6前4等々配分が違います。 

 

 ちょっと説明の為に私が所属する空手の稽古の一つの説明を挟みますね。 

 

 その稽古は「押し合い」と呼ばれるもので、対人戦における重心の取り方や相手との力の重ね方、流し方等様々な要素を学べる稽古なのですが、立ち方に着眼して稽古をすることもあります。 

 

 その場合は、ざっくり言うとセイサン立ちで押し、ナイハンチ立ちで耐え、猫足立ちで流すという様なイメージで立ち方が変遷するのですが、その変遷は滑らかに行なわれるので必然的に立ち方と立ち方の間の姿勢も出てくるわけです。 

 

 そう考えると、後屈立ちとは私が習っている空手において、押し合いでナイハンチ立ちで両足に均一にかかる重心を後ろ足にかけて猫足立ちに移行する間を切り取っているという様に解釈が出来るのです。 

 

 こういった分類を細かく作るか、ぼんやりと大きなゲシュタルトで捉えた方が良いかは結構一長一短です。 

 

 細かく状態を規定されていれば、進むべき方向は理解しやすいですが、本来滑らかに変遷すべき所でチェックポイントが多くあると、一々流れが止まってしまう可能性もあります。 

 

 実際問題、私が所属する空手は立ち方の分類的には3つですが、それで鍛錬した後実践では立ち方を気にしなくなりますし、他の空手においても、いざ実践という時に「今はこの立ち方」とはならないのではないかと思われます。 

 

 全くのヒントなく有効な動きを導き出せというのでは無謀ですし、目印を作り過ぎてガチガチに動きが制限されるのも違うという話ですね。 

 

 結局は世の中いい塩梅が一番。 

 

 そう考えながら学び取るようにしましょう。