心と言葉の距離に対し、たまにうんざりして絶望することがある。
言葉じゃ足りない。
想いの一つ言葉にできない。
そもそも、想いを完璧に表すという言葉は存在しないのかもしれない…。だから、人はみんな不安になったりするんだろうな。たぶん。


後ろめたさがあるのは、生きてきた中で、多少なりにも傷つけてしまった相手が過去にいるから。


好きなことを好きだと言って、好きなことばかりをしていると大人はみんなソイツを毛嫌いする。きっと大人はいろんな理由をつけたがるだろうけど、なんだかんだで、ただ羨ましいだけなんだろうね。



根本的な話をすれば、人間なんて動けば疲れるし、腹がへるし。眠たくなるし。じゃあ生きること自体が、ただのマイナスじゃないかって思えてしまう。…それを踏まえての今を生きる意味。
それは、その時々によって答えは違ってくるもの。その時々で変化するもの。
なので、そのとき、その瞬間に思った答えが、きっと今を生きる意味。
一つの幸せに倍以上の不幸が伴うような気がする。一つを楽しむのに倍以上の辛さが伴うような気がする。もしすべての人間も同じようにそうなのであれば、決して他人を妬んだりしてはいけない。



たとえばそれが酷く辛い恋愛だったとしても、昔の恋愛を「昔の恋愛」として大切な思い出の一つにできる人は、傷ついたことや傷つけたことよりも「愛していたこと」もしくは「愛されていたこと」をキチンと思い出せるからなのかもしれない。



憧れるという自由を持っている僕らは好きになることも自由だ。たとえあの子に振り向いてもらえなくても、想うということだけで、本当は充分なはずなんだ。