umbrella 将のブログ -2ページ目
昨日の夜個人練習に入り、
・四肢のバランスの洗練
・ビート感の強化
・なんとなく遊ぶ
という事を目的とした練習をしたのですが、練習終了後一服してる時にふと湧いた疑問があったのでツイッターのアンケートでフォロワーのミュージシャンを対象に質問してみた。
(100%ミュージシャンからの回答が集まる確証は持てないのであくまで参考適度ですが)

そのツイートがこちら。


*本来は少し違う意味ですが、この記事の中ではビート=テンポと解釈してもらっても問題ありません。

要約して極端かつ細かな説明をすると
前者は「音楽とは関係ない独立したテンポを自分のタイム感で作り出し、それを周囲のアンサンブルと同期させることで曲のビートを作り出す」
後者は「自分の出した音(あるいは弦楽器の場合ピックが弦に当たる感触や、ドラマーが腕、足を動かした感覚、Voが声を出す感覚、はたまた脳が動きの命令を出した瞬間の感覚)から音の位置を判断し、周囲のアンサンブルとのバランスを取りながら曲のビートを作り出す」
という事になる。

どちらが絶対的に正解でもないし、極端にどちらかに傾向した答えを出せる人も居ないでしょう。なんなら、両者とも最終的には「ビートを感じる」という同じ目的に向かっているので単なる手段の違いである。

では、次に両者の理想的な状態を説明しようと思う。実際には練度やフレーズ、曲調、アンサンブルなどの影響で、理想的な状態まで持っていくのは大変難しい。
前者は
・テンポ=の曲ならば、如何なる状況でもクリック無しで正確にxを刻める。
・どれだけ難解なフレーズでも自分の中のビートを失わない。
・アンサンブルにズレが生じようとも、自身のビートで曲をグルーヴさせることができる。もしくは柔軟に自身のビートを変化させバランスを取り、曲をグルーヴさせる。

後者は
・自身の出した音、感覚、周囲のアンサンブルから解析して割り出したビートを正確に一定に維持する。
・どれだけ難解なフレーズでも割り出したビートを失わない。
・アンサンブルにズレが生じようとも、割り出したビートで曲をグルーヴさせることができる。もしくは柔軟に自身のビートを変化させバランスを取り、曲をグルーヴさせる。

目的が同じなので理想も同じようなものになります。
そして、最終的には「自分の体の中にビートを感じる」というところまで同じ目的になるのですが、詰まるところビートの存在意義というのはグルーヴさせることです。正確さことがグルーヴかと言われれば恐らく半数の人は「否」と答えるでしょう。この辺りはジャンル、曲調、プレイヤーの素質(とその集合体の意思)でものすごく繊細に変化するので、僕一人で定義することはできないです。

ではこれを自分なりに考察してみようと思う。あくまで僕の答えです。
まずお互いのメリット、デメリットを挙げてみよう。

前者のメリットは
・音楽が始まった瞬間、またはそれ以前からビートが存在しているので、すぐにグルーヴすることができる。
一方デメリットは
・自身のビートがヨレた場合、それに気付ける手段が乏しい。

後者のメリットは
・自身、他の演者のコンディション、フィーリングに合わせて柔軟に対応しやすい。
デメリットは
・音楽が始まらないとビートを判断できないので、早くてもグルーヴするのに一小節ほどは必要になる。


多少条件を付けてみましょう。

【テンポを正確に刻む事を目的とすれば】
前者のメリット
・他の演者のミスやヨレに影響されにくい。
後者のデメリット
・他の演者のミスやヨレに影響されやすい。

【グルーヴすることを目的とすれば】
前者のデメリット
・他の演者のヨレや揺らぎを拾いにくい。
後者のメリット
・他の演者のヨレや揺らぎにある程度寄り添える。

というように「何を正義とするか」という条件を付けることで答えは多岐にわたるのですが、大まかにこういった要素だと思います。あくまで僕の考えが及ぶ範囲ですけどね。

じゃあ結局どうなの?って話ですが、やはりどれだけ考えてもどちらが正義という答えは出せません。作ろうとしている音楽の方向性、共に音を鳴らすメンバー各々のタイプ、バランス感覚によって目標とする結果を一つに絞っても過程が大きく変わってきます。その過程は自分一人で作るものでは無いから非常に難しい。
個人的に大事だと思うのは、両方の要素をバランス良く鍛錬すること。僕は後者の鍛錬を行い、ある程度仕上がってきた実感があるので今は前者の研究をしています。

正確だと思って聴いていた音楽が実はテンポとしてはけっこうな揺らぎがある、というパターンは以外と多いものです。例えばTOTOの名曲、Rossanaは一聴すると違和感無いのですが、Bメロに入った瞬間は早く、そこから緩やかにテンポが落ちているように感じます。
東京事変の「教育」や「大人」あたりのアルバムもテンポはかなり暴れている(というか各パート音がばっちり合ってもない)のに全体として強烈なグルーヴのあるアルバムに仕上がっていて凄く良いんですよね。

と、いうわけでビート(テンポ)に対する解釈の手段のお話でした。
リスナーの皆さんはこんな難しい事考えずにライヴでもCDでもただ目の前にある音楽を全力で感じ取って欲しいなというのが僕の希望です。
我々は作り出す身として努力と考察あるのみです。

また何か議題が沸いて出れば書こうと思います。