私は孔子に質問をした。「社会は私を毎日甲陵高校に行かせる。甲陵高校に行くための電車は度々鹿を引いて止まる。先生達は生徒に振替休日に校内模試をさせる。なんと大変な事ではないか。勉強は一人で出来る。どうして学校に行かずに効率を求めないのか。」と。

 

 

孔子は「読書にのみふけって思索を怠ると、知識が身につかない。思索にのみふけって読書を怠ると、独善的になる。なので、友達と交流し、自分を客観視することで、学びを深めることが出来るのだ。これにおいて学校に勝る場所はない。また、自分には何が分かっているか、また何が分かっていないか、この区別がつくことが理解するという事なのだ。この区別は一人では出来ない・これが学校へいく理由なのだ。」と答えた。

 

 

私は反論し「それは昔の話しですよね。いまは技術が発達し、家で友と交流することが出来きます。だから、必ずしも学校へ行く必要は無いのでは。鳥ですら自由に空を飛ぶのに、どうして生徒は自らを束縛することが出来ましょうか。いや、出来ない。」と言った。

 

 

孔子は「甲陵高校はただ勉強をする場所なだけではなく、徳と礼を学ぶ場所でもある。徳は全ての物事に通じている。礼は厳格で、和の心が根本に存在している。これらにより人間は仁者になるのだ。不仁な人間には逆境に耐えられず、順境にはたちまち溺れる。だが、仁者はつねに仁者の境地に安住できるし知者は知者で仁の効用をわきまえて、仁から離れまいとする。ゆえに、仁知らざる者、そこで病気になり、長年浪人してもやはり大学に合格することは出来ない。なんと悲しいことではないか。」と反論した。

 

 

私は「自分が謝っていました。学校に行くことの重要性を知りました。今謹んであなたの教えを受けたいと存じます。お願いです。先生が僕を君子にしてください。

 

 

孔子答えて「是において友と力を合わせることが最も重要だ。」といった。

 

 

 私は三年二組が最も結束力がある組だと思っている。学園祭の時、私は目の前の大きな壁にひれ伏した。しかし、三年二組の仲間がアイデアを交換し、この壁を打破してくれたのだ。是をもって、私は徳と礼を知った。また、丸林先生と柴田先生のちからがなかったら、私はまだ未来に望みを持てていなかっただろう。先生達は私達に進路について相談する場所を何度も提供してくれました。これはなんと素晴らしいことではないか。みんな生まれたときから仁の種を持っている。そしてこの三年間でその種は成長した。それはまるで堂々とした唐松のようである。