極私的銀玉回顧 1 | ブルーローズのブログ

ブルーローズのブログ

ブログの説明を入力します。

高校を卒業した頃、よく利用する駅のそばに、パチンコ屋が新規オープンした。
18歳は過ぎていたし、子供の頃、父のパチンコによく連れて行かれたので、パチンコは面白そうで興味があった。
父は僕の高2の春に亡くなっていて、僕は母と二人暮し。育英会の奨学金を父が亡くなってから、月7000円もらっていて、それが、卒業するまでそれが僕の月の小遣いだった。
暮しは楽ではなかったが、僕は浪人していて、春の初めはまだ楽観的で、受験に対する逼迫した気分とはほど遠かった。
僕がパチンコをやり始めた頃、いわゆるフィーバー機は出始めで、飛行機タイプは存在すらしておらず、その店には少し複雑な一般台(チューリップに玉が入ると13〜15発玉が払い出されて開き、次の玉が入ると同じ数の玉が払い出されて閉じる)が主流で、店によっては、椅子が設置されておらず、立って打つ店もあった。
ともかく、その新規オープンの店に僕は一人で行き、パチンコをやった。 
盤面にやたらとチューリップが沢山ある台だったと思う。
今ではどの店にも存在しない小箱に、八分目くらい玉が出て、やめたのだと思う。もちろん、初めての両替だ。
確か500円くらい使って、1400円の換金だった。今から思えば、笑ってしまうほどの額だが、月の小遣いが7000円の感覚からいったら大儲けで、次の日もやったのだと思う。
そして、同じ種類の台をやり、今度は小箱に一箱分両替した。1800円だった。
今は等価交換が当たり前だが、当時その店のレートは1個2円だったと思う。そして、すぐに2円50銭に上がった。一箱2000円になった。