Twitterのタイムラインは結構隈なくチェックする方です。



朝というか世間的には昼起きてとりあえずTwitter一通り見るだけで場合によっては2、30分かかったりします。


まぁ場合によってはですけど。





でもそれ以上に時間をとられるのがTwitterで何かしらの議論(多くの場合炎上ともいう)を眺めてるときです。





僕は議論を眺めるのが好きです。



世の中色んな人が色んなこと考えてるんやなーって。




この前見かけたツイートに「最近の若者には主人公が努力することなく強いストーリーの作品が人気で〜みたいな論あるけどそんな主人公の作品は30年前ぐらいからあった」的な意味合いのものがありました。



これは別に炎上とかではなくて、どちらかというと、「確かにそうだー〇〇だって△△だって主人公はたいして努力してない」や、「友情、努力、勝利をモットーにしてる少年ジャンプの作品だって努力のシーンを描いてる作品は意外と一部しかない」とか「そもそも努力のシーンを面白く書けるかどうかの問題」等々様々な意見が気持ち賛同多めに集まってる感じでした。





ただ僕はそこで盛り上がってる意見たちに若干の論点のズレを感じました。




多分最初の出発点となっている「最近の若者には努力せずに強い主人公が〜」っていわゆるなろう系とかラノベ系の作品の傾向の話な気がします。

(ここばっかりは僕も当該のツイートがうろ覚えで、さらにはそもそもそのツイートにおいてそういう文脈で使用されていたのかも憶測でしかないのですんごいふわふわした前提にはなってしまいますが…。)



その場合においての「努力せずに強い」というのは本当に努力せずに強いのであって「努力の過程が描かれていない」とはまた別物の話な気がします。



とまぁここまで考えたはいいもののなんか別にそこまで間違ってない気もしてきました。




うーん?




ちょっと整理してみます。




昔の主人公が努力する作品といえばやはりスポ根ものが代表格でしょうか。

巨人の星とかアタックNo.1とか、まぁちょっと今の時代からすると前時代的で過剰とも思えるしごきや特訓に耐えて強くなる、みたいなイメージがあります。

ちゃんと見たことがないので断定はできませんが。

あとあしたのジョーとかもですかね。

これは見たことあるので断定できます。ジョーも力石もちゃんと練習して努力してます。



ではスポ根以外の作品だとどうなのでしょうか?

ツイートに寄せられた意見では鉄腕アトムとかウルトラマンとかを努力しない主人公の例として挙げている人もいたのですがそれはちょっと違う気がするんですよね。

ウルトラマンとかアトムって「人外ゆえに人外の強さを持つもの」という役割を作品中において担っているのであって、ある意味では強いことがその存在の前提であり定義であるので、そこに努力はなくて当たり前のような気がします。



そうじゃなくて普通(?)の人間が努力せずに強い作品??




ちょっと昔の作品は知識が乏しいので「最近の」作品から考えていきます。




いわゆる「主人公が努力せずに最初から最強の作品」と聞いて僕が真っ先に思い浮かべるのは「ソードアート・オンライン」です。

ざっくりいうと天才的なゲームプレイヤーの主人公がゲームの世界で大活躍するっていう話なんですが、なんでそこまでゲームが上手いのかとか、そこまで上手くなるまでにどのような努力が(もしあったとしたら)なされたのかとかそういう描写は確か作中には無かったはずです。

確か、なのでもしあったとしたらごめんなさいとしか言いようがないのですが。



僕の中ではこの作品がヒットしたあたりからいわゆる「チート能力をもつ主人公が無双する系」の物語が1つのジャンルとして発展していったっていう認識です。



で、最初のツイートは「いやいやチート能力をもつ主人公が無双する話なんて昔からあったやないかい」っていう主張なわけですよね。



さらに最近の無双する主人公の特徴の1つが「大した努力をしてない」と言われることもあるわけですが、いや昔の作品の主人公だって大して努力してへんやろ、と。




うーん、言われてみればそうな気がするし、違う気もするし。




書いてて思ったんですけど偉そうに噛みつこうとしてる割には僕の昔の作品に対する知識があまりにも乏しすぎるんですよね(笑)





こういう「最近は努力せずに強い主人公が人気」論っていわゆるゆとり世代とか努力を嫌う若者像とかと結び付けられることが多いんですけど、それって本当に最近の若者だけに見られる傾向なの?ってことに繋がってくる議論な気がします。



いや最近の若者は努力を嫌う論も分からなくはないんですよ。

よくいわれる、ゲーム1つとっても最近の若者(子ども)たちはプレイに詰まるとすぐネットの攻略サイトに頼るとか、何回か失敗すると難易度を下げるかどうか表示が出るとか。

そういう話を聞くと努力を嫌うというか試行錯誤の手間を惜しむ傾向があるというのもまぁ理解できなくもないんですけど、結局じゃあ昔の子どもたちはみんな(大多数)が辛抱強く努力できたのかって言われると分かんないですよね。


ただ単にネットっていう環境が無かっただけで、昔の子どもたちだって今と同じ環境ならすぐ調べてたかもしれんし。




じゃあ漫画の傾向はどうだったのよ?って話が件のツイートに繋がっていくわけですな。




で、これは今の僕の知識では説得力のある結論は出せそうにないと。





要するにウルトラマンとソードアート・オンラインは構造的には一緒かどうかって話ですよね。



そう思うと同じな気もしてきたな。


さっきそれとこれとは別って書いたけど(笑)




根拠なき人外の強さを持つ者が人か宇宙人かの違いなだけなんかね。





結局、「最近の若者には努力せずに主人公が最強な物語が人気!なぜなら最近の若者は努力が嫌いだから!」っていう主張があって、「いや昔でも努力せずに主人公が最強な物語が人気あったやないかい」っていう反論があったわけですね。



この反論が成り立つためには昔の努力せずに主人公が最強な物語の比率(作品数の割合や売上など)が現在のそれと大差ないことが必要なんですけど、いかんせん僕の中に肝心のその昔の作品のデータが少ないがゆえに、ん?その反論成り立つ?ってなってしまったってとこでしょうか。







多分僕の漫画に対する知識がジャンプ漫画を軸に形成されてるせいでうまく整理できなかったんでしょうね。

そういうことにしときます。







またなんか思いついたら書きます。





いや書き散らかしたなー