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地図男——。彼は所有する国土地理院発行の「29cm×19cmの関東地域大判地図帖(ちょう)」に無数の物語を記しつつある。それは具体的な場所で生ま れた物語であり、地図上の当の場所に細かな文字で書き込まれるだけでなく、付箋(ふせん)や紙切れが次々張り付けられて非常に分厚くなっている。
  登場人物が移動すれば、書き込まれる場所も地図上を移動する。その結果、一つの物語を追いかける読者は、どこを読んだらいいか分からなくなってしまう。と いって、書かれたものが魅力を失うわけではない。層になった物語群が一種の迷宮をなすことで、一つ一つの断片はむしろ輝きを帯びると想像される。
  物語は通常単線的なものである。だが、地図男の物語は平面に広がり、さらに層をなすことで三次元方向にまで拡張される。これは地理に異様に詳しい地図男 が、地図を空間的に把握していることに比喩(ひゆ)的に対応しているのだけれど、小説というものの本質にも対応している。
 小説は物語そのもので はなく、元来単線的である物語を素材に、広がりのある時空間を作り上げる技術だ、という言い方ができるだろう。つまらない小説が物語にただ寄り添うのに対 して、面白い小説は、どんなに単線的に見えても、小説世界に奥行きが感じられるものだ。地図男の「書物」は小説の理想であり、ボルヘスの小説にでも登場し そうなこの「書物」は、アイデアがよいだけでなく、そのイメージがリアルな感触で定着されているのが素晴らしい。
 さほど長くない小説中で紹介さ れる物語の断片はほんのいくつかでしかない。が、スピード感あふれる文体で記される断片はどれも魅力的だ。そして小説後半、一見脈絡のない地図男の物語群 に隠された主題を探るという、謎解きの趣向 が導入されるに至って、一編はウェルメードなエンターテインメントとしての着地点を見いだす。そのことに文句は ない。文句はないが、ウェルメードであるために失ったものもあるのではないか……と論じるだけの字数がもうない。まずは新たな小説的才能 の出現を喜びた い。