ティナとアンナ、ときどきモンチンチン~佐々木Aみのみちづれ~
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 扇風機おばさんの幻聴をきいたコトがありますか?
 
血塗れで叫ぶ女と子どもの歌です。
 
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円山みやこ『嗤う花  』(ぶんか社ホラーミステリーコミックス)所収
 
 
「壊れゆく街に」(初出:月刊ホラーミステリー 95年9月号)
 
 
シングルマザーのキャリアウーマンと名門私立中学受験のために進学塾に通う娘、不慮の事故で障害者になった実の父親は少女の母親から見放される。
 
虫ケラ同然の野宿者(実際、主人公の少女は野宿者たちに巨大なダンゴ虫を幻視し、生き別れた実の父親の面影を見つける)の排除(虐殺)を目の当たりにして、主人公の少女は生き別れた父親の面影を野宿者に見つけ、自らも野宿者と折り重なるようにして、ダンゴ虫となってしまう。
 
 
主人公の母親「あんなの(ホームレス)はね…甘えてるんですよ!!男のくせに、働けば男だってだけで女より出世するのに、努力すればいろんなことができるはずなのに、こぼれた500円玉とりあいして、虫と同じですよ」「あんなふうになってはダメよ…?」(20ページ)
 
 
90年代後半、「新自由主義」の旗印の下、再生産領域に対する階級攻撃はミドルクラスを解体しつつあった。ミドルクラスの「中流幻想」は一方で「ひきこもり」の「病理」(スペクタクル)を大量に生み出し、周縁化し、ジェントリフィケーションによる都市の「浄化」は人間をスペクタクルによって、徹底的にしばきあげる自主管理刑務所とした。
 
 
主人公「いや、あんなのいや、あたしは虫になんかならない-!!」(29ページ)
 
 
駅の構内で折り重なるようにして、ダンゴ虫になってしまった娘と父親(本当は主人公の少女の妄想にすぎないのかもしれない)のラストシーンにそれぞれに再生産過程を断たれた人間の残酷な現実が描かれている。
 
 
「ママ…、ごめんネ…、オバアちゃんも…、アタシ もう、がんばれ…ナイノ、ダッテモウ、あたし、虫…二…」(39ページ)
 
 
 
「イインダヨ、モウ何モ、考エナクテイイカラ…」(40ページ)
 
 
 
「社会の工場化」が進行し、何もかもが労働となった世界では反動的自殺者たちの叫び声だけが皮肉にも、みすぼらしく塗りたくられた胸糞悪いアート空間に響いている。
 
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「いつも自分が犯してしまった罪と罰にのた打ち回っています。(…)だけど14歳であのような行為が出来た自分に対して、いまの自分が激しく劣等感を抱いていることは確かです」
 
-酒鬼薔薇聖斗こと元少年A
 
 
「その時点では本人(元少年A)かどうかはわからなかったけど、偽物でも別によかったんだ。」-見城徹